バブル崩壊後、日本は深刻な不良債権問題に苦しんだ。だが、これが長期不況の原因か結果かについては、激しい論争がある。
そもそも、不良債権をめぐる論争の進み方は異常だった。
不良債権問題の深刻さは90年代前半から広く知られていた。ところが経済政策論争では、この問題は、長年、無視されてきた。
その理由はなにか。
ひとつは、不良債権問題が、景気や経済全体の問題とは無関係な、狭い意味での「業界問題」だと思われたことにある。
「不良債権は、過去の失敗でできたゴミである。それは今後の景気動向と関係ない。銀行と借り手企業だけで処理すべき問題だ」というのがエコノミストの支配的な見解だった。銀行界も金融当局も、「一般社会に迷惑はかけない」という姿勢を貫き、情報を公開せず、「金融村」の身内だけで処理しようとした。
経済学者やエコノミストの常識にも問題があった。
政策論争で使われる教科書的経済モデルでは、銀行システムは省略されている。不良債権問題を考える思考の枠組みそのものが、標準的な経済学の世界にはなかったのだ。
また、不良債権問題には、ダーティーなイメージがつきまとっていたことも大きい。エコノミストは、当然、経済学で割り切れない問題にかかわるのを嫌った。
こうした理由で、90年代前半の政策論争は、不良債権という核心に触れないまま議論が進んだ。様々な理屈で「景気回復は近い」と繰り返されたが、本質的な問題は議論されず、まさに隔靴掻痒という状況だった。
90年代末になって、大型銀行破綻が頻発するようになると状況は一変した。
日本経済が立ち直るためには、不良債権問題を解決しなければならないのではないか。そういう現場の実感が、ようやくエコノミストの論争に反映されるようになってきた。
経済学の研究で、「金融システムが不況の原因になり得る」という可能性が示されたことも大きかった。欧米の学会では以前からこうした議論はあったが、日本の政策現場の論争に浸透しはじめたのは、残念ながら90年代末だった。
因果関係の論争は今も続くが、統計データを使った研究でも、不良債権処理の遅れが様々な産業活動の停滞とかかわりを持つことは分かってきた。
しかし、不良債権が不況を長引かせる、という議論には、一部のエコノミストが猛反発した。不況だから企業は借金を返せなくなり、不良債権が増えるというのだ。逆に、不良債権が不況の原因なら、ことは「金融村」の問題ではすまなくなり、部外者から不良債権処理をめぐってあれこれ干渉されることになる。
こうして論争は、科学的事実についての理性的な論争というより、むしろ非難の応酬に近くなった。
不良債権問題をめぐる論争は、銀行や借り手の「責任」をどう考えるか、と密接に結びついている。
そして、失敗の責任の取り方への根本的な合意がないこととあいまって、論争は感情的になり、議論がすれ違ってしまう。その状況は今も基本的には変わっていない。
2004年4月10日 『朝日新聞』に掲載(全8回)