4月から後期高齢者医療制度が開始された。75歳以上の高齢者(後期高齢者)は、これまでの国民健康保険などから脱退し、新しくできた後期高齢者医療制度の被保険者になった。
その保険料は、低所得者の減免措置はあるものの、これまで子どもの扶養家族になって保険料を納めていなかった高齢者も年金からの天引きで徴収されることになった。4月15日から保険料の天引きが実際に始まり、大きな不満と混乱を引き起こした。
だがこの制度の問題は、根が深い。
後期高齢者医療制度の本来の目的とは、増大する医療費を抑制し、またその一方で、医療費のための保険料収入を増やす、ということだろう。
その目的のためには、(必要な医療の水準を落とすことなく)無駄な医療や投薬を、患者や現場の医師が自発的に抑制したくなるようなインセンティブ(誘因)を制度に埋め込むことが望まれる。
また、高齢者医療の財源が増えるのであれば、その負担が一部の世代にかたよらないように全世代で満遍なく分担することが社会厚生を高める上で望ましい。
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こうした点から見ると、腑に落ちないことが多い。
まず、医療費の「無駄」を抑制するメカニズムが入っているか、という点。
無駄を少なくするための最も簡単で効果的な方法は、患者(あるいはその家族)の自己負担を増やすことである。自分が医者に行けば、その分だけ損をする、という制度なら、無駄な医療を受ける高齢者は減り、医療費の総額も抑制される。
それは新しい制度を作らなくても、もっと簡単にできたはずだ。高齢者の患者の窓口負担を現行よりも上げればよかったのである(もちろん、低所得者に対しては減免措置を手厚くする必要がある)。
だが、新制度では、高齢者の患者負担は現行制度に比べてほとんど増えていない。一方、保険料は医者に行くかどうかにかかわりなく取られる。インセンティブの経済学を間違って理解した制度設計ではないか。
「保険料天引きなどで、高齢者に集団として医療費の負担を感じてもらえば、無駄な医療費を使わないようになるだろう」という考えが制度の背景にあったとすれば、完全に間違っている。
高齢者が、集団としてではなく自分個人の医療費を負担するならば、損しないために、無駄な医療を受けないように行動する(スポーツなど体調維持にお金をもっと使うかもしれない)。その結果、国全体の医療費も抑制されることになる。
しかし、保険料は医者に行くか行かないかという選択の自由に関係なく徴収されるものである。そこには自発的に無駄な医療を受診しないようにしよう、と高齢者に考えさせるメカニズムが何もないのである。
これでは、国全体の医療費が増大するスピードは基本的に変わらないだろう。
むしろ、報道されているとおり、新制度は、一部の高齢者の保険料負担を増やすかもしれない。生活が圧迫され、必要な医療を受けることをあきらめるようなことにならないだろうか。
高齢者の健康増進という究極目標の手段として高齢者医療があり、その医療費をどうするかが問題なのに、高齢者の所得を圧迫して劣悪な生活を強いるなら、本末転倒の結果としか言いようがない。
保険の理論からも、全世代で高齢者医療を広く負担することが社会厚生を高めることは明らかである。高齢者だけを別建ての保険にすることは「病人だけの保険」を作るのと同じくらい不自然なものだ。
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増え続ける医療費の財源は、消費税や所得税の増税などで、国民全体から徴収するのが望ましいだろう。
一方、高齢者には資産家が多いから、負担の公平性の観点からも、高齢者から保険料を多くとるべきだという意見があるかもしれない。だがこれも正しい理屈ではない。資産家の負担を多くすべきだというなら、年齢にかかわらず、資産の多い人の負担を増やす制度にすべきで、年齢で区切る経済的な合理性はない。
もっとも、資産によって負担割合を変えるには、行政が国民の資産状況を把握する必要がある。納税者番号制の導入など国の根幹にかかわる制度変更が必要になるだろう。
医療制度の個別の改正ではどうにもならない時期に来ているのではないか。今回の混乱ぶりからは、そう思えてならない。
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2008年5月24日 「朝日新聞」に掲載