現在のねじれ国会では、本当の意味での政治主導が始まったといえそうだ。官僚の準備した案が、政治の思惑でこれほどもみくちゃにされたことはない。日本銀行総裁が空席になったことや、ガソリン税の暫定税率が延長できなかったことは、まさに歴史的だ。
政策決定プロセスについてのこれまでの常識は根底から破壊されつつある。しかし、これからどのような政策決定のあり方が築かれていくのか。どうにも不安を感じてしまう。
政策決定プロセスをどうするのか、という行政改革の問題は、単に官主導から政治主導に、というような政府組織の仕組みだけの話ではない。公務員も民間も含め、政策現場を担う人材をどうやって長く確保するのか、また、公共性に携わる人々の世界観や人生設計をどのように変えるのか、という問題でもある。
公務員制度改革が与野党対決の次のテーマと報道されているが、報道や政治家の発言からは、どのようなタイプの人間に、公務員になってほしいと考えているのか、うかがい知ることができない。仕事のやりがい、生涯所得の大きさやリスクに応じて、集まってくる人材のタイプや質は、大きく異なるはずだ。
一方、現実には若手官僚が次々と辞職し、高給の外資系投資銀行やファンドなどに転職する傾向が強まっている。有名大学の新卒者の就職先としても、公務員の人気は低下している。
有能な人は公務員にならない、というパターンが定着し、日本の官僚は無能で間違いばかりする、というのが常識になる時代がいずれ来るかもしれない。
いまでもひどい、という人もいるだろうが、いまよりもっと無能な官僚機構を作ることが公務員改革の目標ではないだろう。
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アメリカの幹部公務員のライフサイクルをまとめると、政権につけないリスクは大きいが、期待される生涯所得もかなり大きいといえる。失職リスクが大きく、自分を売り込む必要があるため、政策立案能力の研鑽を積む動機も大きいと考えられる。
アメリカ型の公務員制度を作るためには、数千人の幹部公務員の候補を、政権交代に備えて常に民間で養っておく必要がある。民間の負担は、日本の天下りよりも大きいかもしれない。
次に従来の日本モデル。
日本の公務員は、失職するリスクはほとんどゼロで、天下りを含めて期待される生涯所得もかなり大きい(大企業製造業の従業員並み)。リスクもなく、所得も安定しているために、さまざまな非効率や活力のなさが生み出される。これを支えているのは一度ある省庁に就職すると、天下りも含めた、ずっとその省庁のお世話になる、という「家族的共同体」の構造だ。
現在の政府・与党の公務員制度改革の案は、省庁の共同体構造を解体することで活性化を目指しているようだ。
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では、現在の構造が壊れた後に公共性を担う人材はどうやって育てるのか。
アメリカの政策シンクタンクのような場を官庁の外に用意し、幹部公務員の候補となる多くの人材が、政策を勉強できるようにしておくことが必要なのではないか。
つまり、官庁の改革だけではなく、民間側のあり方も変える必要がある。
いままでのように、単に定年間際の公務員の天下りを民間が受け入れるのではなく、若手の公務員を民間が受け入れて政策の勉強をさせるとか、企業の若手人材を官庁に本格的に転出させる、ということである。
そうした新しい公共性を支えるコストを、だれがどうやって負担するのか。学界、経済界などの優秀な人材が官庁と行き来するキャリアパスをどうやって定着させるか。こういうことを政治がリーダーシップを持って考える必要があるのではないか。
単に霞が関の官庁の組織をいじるだけでは変わらない。問題は、公共性を民間側がどうやって支えるか、ということでもあるのだ。
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2008年4月26日 「朝日新聞」に掲載