最近の経済政策に関する政策論争を見ていると、10年たってまた同じところに戻ってきた、という印象を強くする。道路財源の論議にみられるように、地方への財政支出を増やすべきだという積極財政派と、財政健全化のために歳出削減や増税を図るべきだという財政再建派の論争は10年前にもあった。
それだけではない。論争の枠外に、誰も触れようとしない重要な問題が存在しているように思われる。核心から目をそらしている、という点で論争の「精神構造」が10年前と類似しているのだ。
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10年前の隠れた重要課題は、不良債権処理を焦点とする金融危機の問題だった。
今から見れば、1990年代の不況の真因は不良債権問題による金融の機能不全だったことに多くの異論はあるまい。不良債権を抜本的に処理し、公的資金の注入と、民間からの大増資による銀行の資本増強を行って金融システムを健全化することが必要な処方箋だったが、それを実施できたのは、97年末からの金融危機の後のことだ。
96~97年当時は、金融システムが旧住宅金融専門会社の処理(95年)の後で小康状態だったこともあり、不良債権は論争の中心テーマではなくなった。不況脱出のために財政拡大(公共事業などの景気対策)をするか、財政赤字を縮小するために景気対策を控えるか、という綱引きが政策論争の中心課題だった。
当時の構造改革論も、財政再建のための行財政改革が中心で、中央省庁の再編や特殊法人の改革が議論された。現在、連日のようにメディアをにぎわしている天下り問題(公務員制度改革)や独立行政法人の改革は、当時の議論をほうふつとさせる。
今日も、論争のテーマは、財政問題と公的部門の組織改革に集約されてきた。
現在の日本経済で隠れた最大の課題は、労働市場の改革だろう。今年の初めごろには経済財政諮問会議で「労働ビッグバン(労働規制の抜本的な改革)」がテーマに挙がったが、早々に立ち消えた。
しかし、格差問題の本質は、正社員と非正社員(派遣労働など)の待遇差があまりに不公平だ、という不満にある。これは、正社員が既得権化して、非正社員が搾取されるという労働者間不平等の問題だ。ちなみに32歳の非正規労働者である赤木智弘氏は、誰もが口をつぐんでいたこの問題を真正面から指摘して大きな反響を巻き起こした(『若者を見殺しにする国』双風舎)。
また、景気回復が5年以上も続いているのに、経済に力強さがない主因は、賃金が上昇しないことだ。労使の力関係にも明らかに問題がある。
こうした問題を解決するには、解雇や昇進の条件などの待遇を正社員と非正社員で平等化し、一方、使用者側にもより厳しい責任を負わせる、というような労働市場改革が必要だ。労働市場の改革は、格差を是正し、しかも、労働の効率化によって経済全体の生産性を上げるので、経済成長も高めるはずだ。成長にも格差是正にも有効なテーマが、なぜ政策論争の主要論点にならないのか。
答えは、10年前に不良債権問題がテーマとして取り上げられなかった事情と同じだ。つまり、多くの既得権者が存在し、彼らに具体的な「痛み」を与える改革だからだ。
10年前に不良債権で銀行や借り手企業が苦しんでいたとき、不良債権処理を進めれば、銀行や企業の倒産が続出し、経営者や従業員に大きな痛みが及ぶと恐れられた。
むしろ、不良債権の処理を先送りし、公共事業などで時間を稼ぐのが最良と思われた。そうすれば、最終的には、財政負担が国民全体に広く薄く行き渡るが、倒産などの痛みを感じる人は少なくてすむ、と考えられたわけだ。
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現在、労働市場の問題で難しいのは、格差を是正するためには、正社員の処遇を現状よりも悪化させざるを得ないだろう、という点だ。非正規社員の待遇を向上させ、正社員と平等化しようとすれば、正社員に「痛み」が発生してしまう。こんな改革をするよりも、財政資金を再配分することで、格差感を緩和し、負担は国民全体で背負う方が政治的には通りやすいわけだ。
だが不良債権処理が避けられなかったのと同様に、労働市場の抜本改革は、日本がこれから長期的に発展していくためには、避けて通ることはできないだろう。
労働市場の硬直性は、ただでさえ広がりつつある格差を拡大再生産し、いずれは社会不安を招きかねない。また、賃金決定のゆがみが続けば、経済成長も低迷したままだろう。低成長はさらなる格差拡大と財政赤字を生み、財政不安は将来の年金への不安をいっそう高めるだろう。
労働市場改革は、いつまでも先送りはできないのだ。
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2007年12月22日 「朝日新聞」に掲載