選挙や結婚や犯罪についての経済学論文が多数あるように、人間世界の様々な現象を合理性で説明しようとするのが経済学である。今回は、そういう観点から国際政治の問題を考える。
昨今の国際政治では、ミャンマー問題、パキスタンの非常事態宣言などで鮮明になったように、「民主化」が大きなテーマだ。
今後のテロとの戦いにおいて、アメリカは、イラク戦争のときと同じように有志連合をつくり、素早く柔軟に対処するパターンを繰り返すとの見方もある。
その際に、味方を結集する共通の価値観は、おそらく民主主義だ。民主化や民主主義は、今後ますます重要なキーワードになる。民主化の効果や影響を、より客観的に、緻密に分析することが必要な時代になってきたといえる。
民主化の効果についての学説として、冷戦後に注目されているのが、「デモクラティック・ピース(民主的平和)」という国際政治学の学説である。ひとことで言えば「民主国家同士は戦争をしない」という説だ(『パクス・デモクラティア』ブルース・ラセット著、東京大学出版会)。この学説は、近年、何度も論争の的になってきた。
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この説が本当なら、世界中で民主化を進めることは、欧米や日本の利益になる。民主主義は単に良い制度だから他国にも勧める、というだけではない。相手国が民主化すれば、民主国家の自国も戦争の危険が減る。つまり他国の民主化は自国の国益そのものになり、その促進は自国にとって合理的な政策となる。
実際、民主化を是とする日本や欧米先進国の外交政策は、デモクラティック・ピースの論理を暗黙に前提としているように思われる。
デモクラティック・ピースの出発点は、歴史的に見て民主国家同士の戦争はほぼ絶無だった、という事実だ。この経験則を敷衍し、民主主義国同士は「原理的に」戦争をしない、と主張するのが民主的平和説である。この説でいう民主主義国とは、議会制だけでなく言論の自由など、広い意味での自由と民主主義の価値観を共有する国のことだ。
戦争防止の根拠として2つの理論が提唱されている。
ひとつは、公開の場での透明な政策決定という民主主義の特性が戦争を抑止するという「構造モデル」。独裁国家は何を考えているかわからず、他国に疑心暗鬼を生んで、誤解や先制攻撃による戦争を誘発する。民主国同士は、そうした疑心暗鬼に陥りにくい。その結果、交渉で紛争を解決できる、という説だ。
もうひとつは「規範モデル」。民主主義は、そもそも暴力を使わず、話し合いで問題を解決するという規範に基づく政治体制だ。この規範は、主に国内政治の規範だが、同じ規範を有する国同士が暴力的な戦争をすれば、民主主義の自己否定になる。だから民主国家同士は、戦争しない、という理論だ。
しかし、強制的な民主化で民主主義を移植すれば、平和な国家になるのかどうか。
現在のイラクの混乱はひどいし、第1次大戦後のドイツも、民主主義を移植されたが独裁国家に変質した。
ラセットは、表面的な民主化より、民主的な規範が広く国民に共有されることが、民主的平和の決定要因だとし、規範モデルに軍配を上げた。
それでも問題はある。まず国民が平和的な規範を持っているから民主制が定着するのか、それとも、まず民主制を導入すれば、平和的な規範が国民の中に定着するのか。
後者なら強制的な民主化も民主的平和を達成するのに有効だ、ということになるが、前者なら強制的民主化は意味がない、ということになる。
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この問題を解くには、国民と政府の関係構造を分析する必要があると思われる。
たとえば、独裁国の政府は、戦争で国民が死ぬのもいとわないので好戦的になるが、民主国の政府はそうはいかない。一方、国民の側も、国民同士の横並び意識によって、独裁体制の下では戦争のコストを小さいと認識し、民主制の下では、大きいと認識する、ということもあるかもしれない。たとえば、戦前と戦後の日本のように。
その分析には、経済学のモデルの助けが有用だ。すでに、政府と国民の関係を独占企業と消費者に見立てた研究などはある。さらに経済学には、代理人理論で株主(国民)と経営者(政府)の関係を分析する研究や、ゲーム理論を使って社会慣習の形成を分析する研究もある。こうした最新の知見も使えないだろうか。
どのような条件のときに民主的平和が実現するか。経済モデルを使った理論研究は、現実の外交や国際政治の基本姿勢を構想する上で有益な知識をもたらすかもしれないのである。
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2007年11月24日 「朝日新聞」に掲載