今年の夏、米国で住宅価格が下落し、住宅を担保にした低所得者向けの住宅ローン(いわゆるサブプライムローン)が大量に焦げ付く事態となった。その結果、直接住宅ローンを貸し付けていたアメリカの金融会社だけでなく、ファンドなどを通じて資金を供給していたヨーロッパの銀行も大きな損失を出した。日本でも株価が下落し、危機感が高まった8月末、金融業界誌の編集長が訪ねてきた。
私が経済産業研究所のウェブ上で連載しているコラム『ちょっと気になる経済論文』を見て話を聞きに来たのだという。コラムは、金融商品の発展が経済を不安定化させるという論文を紹介したものだ。この考え方を使って、サブプライムローン問題を読み解いてほしい、という。
金融商品とは、リスクを分散する手段だから、オプションなどのデリバティブ(金融派生商品)が増えれば、様々なタイプのリスクに対応する手段が増える。個人も企業も不測の事態に備えられる度合いが増す。その結果、当然、経済全体が安定化する、というのが経済学者の通念だ。
この通念は多くの市場参加者にも共有されている。金融の発展は、途上国の金融危機や今回のサブプライムローン問題のような動揺を一時的に引き起こすかもしれないが、究極的には経済の安定化に貢献している。そういう通念だ。
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しかし、この通念は素朴すぎるのかもしれない。そう考えさせる経済論文が10年前に発表された(この論文を紹介したのが私のコラムだ)。
その内容はこうだ。金融商品とは、何らかのリスクを分散することを意図して開発される。しかし新しい金融商品(たとえば株式などをあらかじめ決まった価格で買う権利を商品化したオプション)ができると、市場参加者は「オプションを使うか、使わないか」という新しい選択に直面する。オプションが行使される時とされない時では、株価の動きが異なる。それによって生じる株価変動は、新たなリスクだ。つまり、新しい金融商品が生まれると、それを使うかどうか、という新しいリスクが生み出される。その結果、経済が不安定化する。
「リスクに対処するための金融商品自身が新たなリスクになる」というこの論文のロジックは、数学や論理学の世界で有名な「ゲーデルの不完全性定理」と関係しているのではないか、と私は考えてきた。
「私の発言はうそである」と私が言ったとすると、この発言は、真実だろうか、うそだろうか。真実だとすれば、私の発言はうそでなければいけないから、この発言も真実ではないはずだ。逆に、この発言がうそだとすると、私の発言はうそだ、という命題は正しいことになり、この発言は真実だということになる。
結局、この発言は真とも偽とも判定できず、論理の完全性は破綻してしまうのだ。
論理学者ゲーデルは、このような自己言及的命題(自分自身について述べる命題)が、論理の体系の完全性を破壊してしまうため、いかなる数学体系も完全なものにできない、と証明した。これがゲーデルの不完全性定理だ。
ゲーデルの定理は、「数学が発展すれば、完全な数学体系に到達できる」という数学者の素朴な通念を覆した。
これと同じことが金融市場について言えるのではないか。金融が発展すれば究極的に経済は安定する、という経済学者の通念は幻想かもしれない。どこまで金融が発展しても、新たな金融商品が新たなリスクを生み出し、市場の不安定性はなくならないのかもしれない。
編集長は、私のこの考えが、サブプライムローン問題に関係しているのでは、と直感したそうだ。編集長の質問にはうまく答えられなかったが、今考えると、この問題は、住宅担保についての自己言及性の問題といえそうだ。
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サブプライムローンは、住宅価格が必ず上昇する、ということが前提になった貸し付けだった。住宅価格が上がるから、金融会社は住宅の担保価値を過大に評価し、低所得者に過剰な貸し付けをした。借り手は借金で消費を増やし、その消費のための支払は、誰かの所得となった。今度は所得が増えた人が住宅を購入しようとして、住宅価格が上昇した。
住宅価格の上昇が住宅担保ローンを増やし、そのローンによる消費がまた住宅価格を押し上げる、という自己言及的循環が起きていたわけだ。
それが逆回転して破綻したのが、今回のサブプライムローン問題といえる。しかし、これは日本の土地バブルを始め、世界中の不動産バブルで繰り返し起きてきた。
ゲーデルの定理が金融の世界でも成り立つのだとすると、バブルの発生と崩壊は、どんなに金融市場が発展しても無くなることはない、ということかもしれない。
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2007年10月20日 「朝日新聞」に掲載