格差問題(特に賃金格差やワーキングプアの問題)は、日本では1昨年ごろから大きく取り上げられるようになり、小泉時代の構造改革が原因と論じられることが多い。
しかし、世界的にみると、賃金格差は、遅くとも90年代には欧米で深刻な社会問題になっていた。
アメリカでは70年代まで賃金格差が縮小傾向にあったが、70年代を境に現在まで賃金格差の拡大が続いている。ヨーロッパでも同じような傾向が見られる(ドイツでは賃金格差は比較的小さかったが、近年は拡大傾向にある)。
こうした欧米先進国の傾向をみると、日本の格差拡大も、世界的な経済の構造変化の潮流によって引き起こされた、不可避的な現象なのかもしれない。これまでは、平等主義的な日本型経済システムが欧米のような格差の広がりを押しとどめてきたのだろう。しかしそれも限界に達し、欧米から20年遅れて、格差拡大の潮流に突入した、ということだろうか。
だとすると、現在の格差問題は、1つの政権の政策路線の結果としてできた短期的な問題ではなく、首相が代わって簡単に解決できるようなことではないだろう。また、産業構造の大きな変化が格差の要因だとすると、現在の格差問題は、これから30年、40年と続くような息の長い経済問題なのかもしれない。
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アメリカの格差の状況を見てみよう。
70年代から80年代にかけて、多くの人の賃金が下落し、労働生産性も低下した。学歴による賃金格差が開き、低学歴の労働者の賃金は下がり、高学歴の人の賃金は上昇した。さらに同年代・同学歴の間でも格差が広がった。
90年代に入ると、低所得層の賃金下落は止まったが、中間層の没落が顕著になった。低賃金と高賃金の雇用が増える一方、中程度の賃金の雇用が減り、現在まで労働者の二極化が進んでいる。
さらに最近は、21世紀に入ってからいっそう格差が広がっている、という指摘もある。ここ数年、医師や弁護士など上位4%の人々の所得が激増し、残り96%の人々(大卒や高卒以下の普通の人々)は所得が低下しているという。
格差の拡大で、アメリカでも市場経済システムへの不信が高まっているらしい。特にグローバル化が原因だという考えが広がり、反グローバリズムと保護主義の経済政策への支持が高まりつつある。
経済学の研究では、格差拡大の原因として、3つの要因が検討された。労働組合の弱体化、技術変化(情報化の進展)、と貿易の深化(グローバル化)である。
しかし、労働組合の弱体化と格差拡大の時期は合わないし、アメリカ経済に占める貿易のインパクトは小さい。やはり、格差拡大の主因はコンピューターの普及などの技術変化だとする見方が主流である。
コンピューターの普及が、単純事務職などの中間層の仕事を奪い、また、情報化に適応した人と適応できない人との間で賃金格差を広げているのだと思われる。
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世界的な格差拡大の潮流はどうなっていくのだろう。
格差拡大は、技術体系の大きな変化の時期に特有な、過渡的な現象だという説がある。その場合、産業構造の変化が一巡すれば、今後、再び賃金が平準化して格差が縮小する可能性はある。
しかし、それまで待てない高齢者や中高年労働者などの弱者に対しては、対症療法として所得再配分政策が必要かもしれない(アメリカでも、グローバル化への支持を維持するためにも再配分を主眼としたニューディール政策が必要、との主張がある)。
ただ、長期的には、教育システムなどの社会制度を新しい技術体系に沿ったものに変えていくことが、永続的な格差是正効果を持つのではないだろうか。たとえば、19世紀から20世紀にかけて産業化が進んだ時代、製造業に適した教育システムが整うと、産業化社会に必要とされる技能(読み書きソロバンや集団行動)を誰でも身につけられるようになり、所得格差が縮小した面があると考えられる。
新しい技術体系に移行する過渡期には、ごく一部の人が利益を得て格差が拡大するが、技術体系が普及して標準化すれば、普通の人々の所得が上昇する局面が来る。その助けになるのは、多くの人々が受ける初等中等教育の内容が新しい技術体系のニーズに適した内容に変わることだ。
しかし、どのような技能がこれからの情報化社会に適しているのか、まだ分からないことも多い。それは19世紀に、20世紀の大量生産・大量消費型の製造業社会が予想できなかったのと同じだ。
今後の情報化の進展を注意深く観察し、情報化社会で成功した人や企業の行動パターンから学んで、新しい教育システムを構想していくことが必要なのではないか。
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2007年9月29日 「朝日新聞」に掲載