けいざいノート

「デフレの罠」?

小林 慶一郎
RIETI上席研究員

デフレ(物価下落)からの脱却は、小泉政権時代から続く、経済政策上の大きな宿題だ。しかし、デフレはなかなか終わりそうにない。一方、原油や穀物などの国際価格の上昇による、食品値上げやタクシーの値上げが話題になっている。食品やタクシーの値上げは国民生活を苦しくするので、政府も民間の識者も賛成する様子はない。

しかし、デフレ脱却とは物価の上昇のことなのだから、デフレ脱却を目標に掲げながら、タクシー料金の値上げに反対するのは、なんだかちぐはぐな印象だ。

政府などの姿勢が首尾一貫しない原因は、デフレ脱却がなぜ必要なのかという点についてそもそも、理解が混乱していることにある。

デフレの普通の見方(これはケインズ経済学にもとづく考え方)では、経済の需要が不足し、供給されたモノがあまると、値段が下がってデフレが起きると考える。デフレが続くのは、需要不足の状態(つまり不況)が続いている結果、ということになる。

普通は、デフレは不況の結果だが、数年前から、デフレが不況の原因だという説が多くの経済学者やエコノミストから提唱された。

政府や日本銀行も、デフレ脱却が不況を終わらせるために必要だという認識を持つようになった。「デフレ脱却」は、不況を終わらせるために、00年代になってから政府の政策目標に入ったのだ。

そして、デフレは需要不足と連関しているとの想定にもとづいて、日銀は、需要を刺激するために、ゼロ金利政策やその後の低金利政策を続けることになった。

デフレ脱却は本来、不況を終わらせるために掲げられた目標だった。ところが国内総生産でみると、02年2月から景気の回復がはじまり、いざなぎ景気を超える史上最長の景気拡大が続いている。

しかも、昨年末ころからは需要と供給のギャップが逆転し、需要不足ではなく、需要超過になっていることも明らかになった。つまり不況は、ほぼ完全に終わっているのである。にもかかわらず、いまだにデフレからの脱却宣言はできない。景気回復が5年も続いているのにデフレが終わらないというのは大きな謎というしかない。

あえて現象面から理由を探すと、最大の要因は賃金上昇が起きていないことだろう。景気拡大と言っても経済成長率は低い。また、これまでの不況で労働者や労働組合の立場が弱くなったこともあり、賃金の上昇は鈍いままだ。

しかし、経済成長率が低く、賃金が上がらないからデフレが続くというのは、米国経済と比較すると、説明として物足りない。

米国でも、実質成長率は日本とあまり変わらない3%強なのに、3%のインフレを実現している。労働者の立場も日本以上に弱い。日米を比較すると、あまり違いがないのに、なぜ日本でデフレが続くのか、説明がつかない。

ひょっとすると、デフレが需要不足と連動するという普通の経済学的な発想を転換すべきなのではないだろうか。需要不足はすでに、ほぼ解消した。なのにデフレが続いているということは、需要と供給がバランスした状態(均衡状態)でデフレが続いているということだ。

均衡状態の経済において、「長期的に日銀が低金利政策を続ける」という期待が市場に広がると、その期待のために、デフレが続く可能性がある。つまり、低金利が続くという期待が、デフレを再生産するわけである。これは、経済政策の実務の世界ではなじみのない話だが、経済理論の世界では、以前からその可能性が指摘されていた。

経済が均衡状態になると、実質金利は資本の収益性によって決定されるから、プラスの値になる。一方で、日銀の政策によって、名目金利はゼロ近辺に抑えられている。名目金利から物価上昇率を差し引いたもの、というのが実質金利の定義である。すると、名目金利がゼロ近辺で、実質金利がプラスなら、物価上昇率はマイナスにならざるを得ない。つまりデフレが続く。

デフレを脱却しようとして日銀が低金利政策を続ければ続けるほど、均衡状態の経済では、デフレを長引かせてしまうのである。

このような「デフレの罠」説はケインズ経済学的なデフレの説明とはまったく違うが、均衡状態の経済を分析する新古典派経済学の立場からは必ずしも否定できない。ただその場合、経済は均衡していて不況ではないのだから、デフレを脱却する必要もない。

この新しい発想に従えば、デフレ脱却のために必要な政策も、現在と正反対のものになる。現実感は乏しいが、「デフレを脱却するために金利を上げる」という政策を、ちょっと考えてはみるべきなのかもしれない。

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2007年6月16日 「朝日新聞」に掲載

2008年10月30日掲載

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