物価目標「柔軟な枠組み」で

伊藤 隆敏
ファカルティフェロー

日米欧がインフレ目標政策を導入していないのは、政治プロセスも絡んだ理由が背景になっている。導入各国は「柔軟な枠組み」を採用しており、日銀自身はインフレ目標への抵抗が強いが、今年3月の「物価安定の理解」は事実上、これと似たものである。

日米欧の不採用 政治的な理由で

1990年以降、世界の中央銀行の政府との関係や金融政策の枠組みは大きく変化した。多くの中銀が政府から独立を果たした一方、金融政策の透明性や説明責任(アカウンタビリティー)を求められるようになった。また、90年にニュージーランド準備銀行(中央銀行)が採り入れたインフレ目標政策は、多くの国で採用され中身も改善されてきた。現在では、日銀、米連邦準備理事会(FRB)、欧州中央銀行(ECB)を除く、先進国、新興市場国の多くの中銀がインフレ目標政策を採り入れている。

インフレ目標政策に関する学界の評価も過去15年でほぼ確立した。採用国では「中銀と政府の関係が適切になり、市場との対話にも役立つ」と好評である。ユーロ参加のため金融政策自体がなくなった国以外でインフレ目標を廃止した国はない。

日米欧がまだ採用しないのは、経済学的な理由より政治過程もからんだ反対が大きいためだ。本稿では、日米に関して政治経済学的考察を加え、今後を展望する。その前にまずインフレ目標政策を簡単に復習しよう。

インフレ目標政策は、中銀と政府が金融政策の数値目標で合意し、手段は完全に中銀の裁量に任せる枠組みである。政府・中銀間で金利操作のタイミングや幅について意見が異なっても、政治的な衝突に発展せず、閣僚が「中銀はいま金利をあげるべきではない」と発言することもなくなる。

一方、中銀は政策の結果について責任が生じるため、中期的な(おおよそ2-3年の平均)インフレ率で過去の政策の説明責任を負うことになる。つまりインフレ目標政策は、政治経済学的見地から見ても、中銀と政府との関係がより対等・独立になり、摩擦がなくなる仕組みであるといえる。

金融政策が効果を発揮するには時間がかかるので、中銀はあらゆるマクロ変数を考慮しながら、将来のインフレ率推移が安定的に目標水準(範囲)となるように金融政策を運営する。中長期的に安定的なインフレ率水準を確保する政策とは、ある一時点だけインフレ率を目標範囲の中心値にピンポイントに一致させる政策ではない。平均的に一致すれば、経済に対する内外のショックの種類に応じ、インフレ率以外の変数(成長率)などにも配慮できる。これを「柔軟なインフレ目標政策の枠組み」とよぶことにしよう。

米国が導入していない理由として一番もっともらしいのは、今年1月末に退任したグリーンスパン前議長がインフレ目標に懐疑的だったためである。公開されている議事要旨によれば、何回か真剣に議論されている。たとえば、昨年2月1-2日の連邦公開市場委員会(FOMC)では、賛成派が「長期インフレ率の期待(予想)にアンカー(いかり)を与えることができる」「市場との対話を深める手段になる」などと主張した。

宣言しない米も市場の信頼得る

反対派は逆に次の3つを挙げる。第1に、FRBは「雇用最大化」「物価安定」の2つの目標が法律で義務付けられており、インフレ目標のみを掲げると、雇用面がおろそかになると懸念する議会との関係が悪化する。第2に、政策にバイアスがかかり、政策の発動に制約がかかるのではと懸念される。第3に、インフレ期待が十分に低位で安定しており、数値公表の意義が見当たらない。

議会や市場から絶大な信頼があった前議長は、FOMCの運営でも「独裁的」な影響力があったといわれる。重要な決定の前にはメンバーを説得し、必ず多数派が形成されるよう行動してきた。このため、このFOMCでは特に決定は行われず「現状維持」が続いた。

しかし、米国でもインフレ目標政策についての理解は十分に進んでいるようだ。個人のカリスマ性も味方につけた前議長下の金融政策は、宣言こそしないものの、1-3%のインフレ率を目指すと市場も了解し、現に安定的に低位推移することにおおむね成功した。

2月に就任したバーナンキ議長は、もともとインフレ目標推進論者だったが、中期的に望ましいインフレ率について1-2%が「心地よい水準」と言及している。彼以外も、クロズナー理事、ミシキン理事(議会未承認)さらにイエレン・サンフランシスコ連邦準備銀行総裁と、「推進派」が増えている。懐疑派のコーン副議長らも受け入れ、さらに議会も納得する表現を使ったインフレ目標政策が導入されるのは時間の問題だろう。

期待への効果や透明性で問題も

一方、日銀は一貫して否定的な立場だった。2003年3月の福井俊彦総裁就任以前には、何度か政策委員会で議論されたことが議事要旨からうかがえる。当時は、否定的な見解を持つ委員が多く、速水優前総裁自身も否定的だった。また、インフレ目標は「リスク資産の購入や量的緩和など、日銀が不適切と考えるさまざまなデフレ脱却の手段を行使させる政治的なトロイの木馬である」との警戒感も強かった。日銀が拒否していたのは、経済学的理由というより政府の攻撃材料になると懸念した側面があるのかもしれない。

結局は否定されたが、2000年8月のゼロ金利政策解除で政府の議決延期請求権が行使されたことに象徴されるように、政府と日銀の関係は良好ではなかった。しかし、量的緩和策を拡大し、日銀のデフレと闘う姿勢が鮮明になるにつれて、いったんインフレ目標政策論も下火になる。

福井総裁の就任で政府との関係は大きく改善したが、いずれにせよ、インフレ目標政策が再び議論されだしたのは、量的緩和解除の出口条件として政府与党の一部からインフレ目標政策を採用すべしとの主張が出た昨年後半以降である。もっとも、政府・自民党も一枚岩ではなく、財務省の一部は「長期金利を高騰させる(国債価格が暴落する)のではないか」と危惧して支持していない。

結局、今年の3月の量的緩和解除時に、物価安定のため望ましいインフレ率の水準として、政策委員各自が個人の見解として数値を表明。その集約として「中長期的な物価安定の理解(『理解』)は0-2%、委員の理解の中位値はおおむね1%の前後で分散していた」と日銀は公表した。

3月9日の記者会見で福井総裁は、この「理解」は目標でも参照値でもなく、インフレ目標と異なり、ルールベースの政策運営をするわけではない、「理解」を念頭に金融政策を行うが、政策運営自体はフォワードルッキングであり、総合判断で行うと説明した。

その一方で、インフレ目標を採用している国でも、機械的なルールベースの政策運営をしている中銀はほとんど存在しないとも述べている。つまり、現在は柔軟なインフレ目標政策の枠組みが主流であることも、暗に認めている。とすれば、英国、カナダ、豪州などの中銀が実践するインフレ目標政策との間の経済学的な距離は意外に近いかもしれない。

ただし、日銀はこれまで、「インフレ目標はルールであり機動的な政策の妨げとなる」と狭義に解釈して批判してきただけに、距離は近くても簡単には埋まらない。多くの中銀や学界の解釈のように、「柔軟な枠組み」と日銀が再解釈して採用する可能性は低く、何らかのインフレ目標採用を後押しする状況が生じない限り難しいだろう。一方で、日銀の政策運営は、宣言されないインフレ目標政策が実行されていたグリーンスパン議長時代のFRBのスタンスに近づくと思われる。

以上のように、政治的にインフレ目標が採用される条件が整いつつあるように見える米国に対し、日本では、インフレ目標政策を宣言する可能性は低いものの、海外で主流である「柔軟なインフレ目標政策の枠組み」と実質的には似た政策運営を目指す可能性は高い。ただし、その場合、期待に働きかける効果や、透明性・説明責任の面で、十分な効果は期待できないだろう。

2006年8月10日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2006年8月18日掲載