揺らぐサプライチェーン デジタル貿易が生産性左右

伊藤 萬里
リサーチアソシエイト

経済のデジタル化により財・サービスの電子的な発注や、ダウンロード・ネット配信など電子的に配送されるサービスの利用が増えている。こうした発注・配送時のデータ収集・移転を伴う財・サービスの貿易を「デジタル貿易」と呼ぶ。

例えば外国事業者の宅配サービスや音楽・動画配信サービスの利用はデジタル輸入に該当する。企業間取引でもサプライヤー(部品会社など)のネット注文システムから部品や保守サービスを発注したり、情報通信技術(ICT)サービス事業者が開発や保守サービスを外国事業者に委託したりするケースが該当する。

デジタル貿易の視点で見ると、日本は外国のサプライチェーン(供給網)への依存度が高い。ICT分野やデジタル関連の貿易収支は大幅な輸入超だ。2022年の総務省「情報通信白書」によると、20年のICT分野の財・サービス貿易額は、輸出が10.6兆円に対し輸入が16.8兆円だ。

国連貿易開発会議(UNCTAD)の電子配送サービス貿易の統計によれば、日本は21年に300億ドルの輸入超で、20カ国・地域(G20)で赤字幅は最大だ。一方、輸出超が大きいのは米国(2600億ドル)、英国(1800億ドル)、インド(970億ドル)、中国(300億ドル)などだ。

現状はデジタル分野での日本の競争力の低さを反映している。貿易赤字を改善し安定した供給網を築くには、国内のデジタルトランスフォーメーション(DX)を急ぐ必要がある。

外国のサプライチェーンへの依存は、中国や東アジア諸国への業務委託(サービス輸入)の場合に特に情報セキュリティーの問題が取り沙汰される。21年にはLINEの個人情報が委託先の中国で閲覧可能だったことが判明し、中国への業務委託をやめて国内に完全移転する決断を迫られた。

業務の国内移転は個人情報保護など情報セキュリティー上必要だが、委託元企業にとってはコスト高となり競争力低下を招きかねない。情報セキュリティー対策を強化しつつ国内のDXを進め、輸出促進も意識したデジタル分野の抜本的な競争力強化が求められる。

◆◆◆

デジタル輸出の促進には何が重要となるか。一般にモノの輸出に関してはマーク・メリッツ米ハーバード大教授に代表される「新・新貿易理論」により、企業の「生産性の高さ」が輸出の決定要因とされる。実際に輸出企業の生産性は非輸出企業に比べて高いことが明らかにされている。

デジタル貿易ではどうだろうか。筆者は一橋大学の冨浦英一教授とカン・ビョンウ准教授と共同で、日本企業約4千社から得たデジタル貿易と密接に関連するデータ収集の有無について調査を実施した。

国内に加えて海外でも事業目的で常時データ収集している企業(443社)は、国内事業のみでデータ収集している企業(691社)に比べ生産性が高く、非データ収集企業(2891社)の生産性は最も低い(図参照)。この生産性の序列は、輸出・海外直接投資の有無や、産業属性を考慮してもなお残るものだった。

図:日本企業のデータ収集活動と生産性の序列

この結果は、データ収集に一定の固定費用がかかることを反映している。外国のデータ移転規制への適応や、サーバーやネットワーク構築にかかる追加的な固定費用が発生するためだ。こうした固定費用を賄える生産性の高い企業が海外データ収集やそれに伴うデジタル貿易に参入できると考えられる。輸出の敷居を下げる自由なデータ流通の推進は、デジタル輸出の利益を高め、輸出を始める企業を増やすことにつながる。

デジタル輸出の拡大は国内に賃金上昇と生産性向上をもたらすと期待される。これは前述の「新・新貿易理論」で説明されるもので、主に労働市場を通じてもたらされる。輸出企業増加により労働需要が増え、賃金が上昇する。賃金上昇により低生産性企業は市場から退出し、生産性が高い企業が市場に残る。市場シェアが低生産性企業から高生産性企業に移転される「再配分効果」で産業全体の平均生産性が高まる。実際にカナダ・チリなどでは貿易自由化後に再配分効果による生産性上昇が顕著だった。

このメカニズムがデジタル貿易にも当てはまるとしたら、越境データ移転の自由化は輸出企業の参入を増やし、デジタル人材の需要増・賃金上昇による再配分効果で生産性上昇が期待される。他方、再配分効果には敗者が存在し、企業の退出に伴う失業が生じうる。そうした労働者を高生産性企業に円滑にシフトさせていくことが政策的に重要であり、リスキリング(学び直し)が鍵となってくる。

◆◆◆

日本のデジタル輸出拡大による生産性上昇には課題も多い。3点指摘したい。

第1に自由なデータ流通の行方だ。米国主導の新経済圏構想「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」でもデータローカライゼーションに傾倒しているインドが9月開催の閣僚会合で貿易分野の交渉参加を見送った。友好国の間でもデジタル貿易への思惑の違いから交渉が難航する可能性がある。日本はデータ移転規制を進めようとする諸国と、高齢化や災害復興などに関する豊富な知見をデータとして共有していくことで、デジタル保護主義の台頭を抑制できるかもしれない。

第2にそもそも国内でデジタル人材が不足していることだ。総務省情報通信政策研究所の調査によると、データ分析の際の体制を聞いたところ約7割の企業が「各事業部門のデータ分析が専門ではない人」と答えた。直近の同調査では製造業とサービス業、大企業と中小企業で差が見られず、業種や企業規模にかかわらず人材不足は深刻だ。特にデジタル人材を増やすリスキリングの推進が急務だ。

第3に経済安全保障を目的とする国内回帰によってリスキリングが鈍化する懸念だ。海外生産から得られる利益にはコスト削減効果だけでなく、国内で浮いた資源を研究開発などのより高付加価値の業務に特化することで得られる生産性上昇がある。筆者と若杉隆平・新潟県立大学長と前述の冨浦教授が日本の製造業企業5500社について検証した結果では、実際に海外業務委託は平均的に企業の生産性を上昇させている。

人手不足のなか、アジア地域で生産してきた製造業の国内回帰が進むことは、回帰した財の生産に労働力が割かれ、特化による生産性上昇が犠牲になったり、DXに向けたリスキリングの足かせとなったりする可能性がある。経済安全保障への対応として、海外依存度が高い製品の国産化を進める場合には、国内の労働配分に与える影響についても目配りが必要だ。

再配分効果は企業内部の事業所(部)単位でも起きうる。世界的にデータ駆動型ビジネスへのシフトが強まるなか、企業内でもリスキリングを通じた資源再配分が急務だ。人への投資拡大が企業の生産性を高め、国内市場に加えグローバル市場を獲得することにつながる。そしてその果実は賃金上昇という形で労働者に還元されるであろう。

2022年11月29日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年12月8日掲載

この著者の記事