2020年、菅義偉首相(当時)は50年にカーボンニュートラル(温暖化ガス排出実質ゼロ)を実現することを宣言した。そして21年に英グラスゴーで開催された第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)に向けて、30年度までの温暖化ガス排出削減目標を従来の13年度比26%から46%に引き上げた。
その実現に向けた長期戦略として、35年までに乗用車新車販売の電動車シェア100%を目指し、充電施設などのインフラ整備の促進に包括的な措置を講じる。ただし政府の電動車の概念には外国の基準にないハイブリッド車を含んでいる。地域内の人・モノの車による移動では、電気自動車(EV)、プラグインハイブリッド車(PHEV)、燃料電池車(FCV)が最初の選択肢となることを目指している。
21年に日本で販売された電動車の合計は4万6380台で、その内訳はEVが2万1139台、PHEVが2万2777台、FCVが2464台だ(日本自動車販売協会連合会調べ)。乗用車販売台数445万台の約1%にすぎず、まだ電動車が社会に受け入れられているとはいえない。
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一方で、世界の主要な自動車市場では電動化が想定以上のスピードで進んでいる。国際エネルギー機関(IEA)によると、21年に世界で660万台のEVが売れ、新車販売の9%を占めた。20年の307万台、4%をともに大きく上回った。中国と欧州がこの動きを先導しており、21年に中国で335万台、欧州で229万台の電動車が販売された。67万台が売れた米国市場とともに、世界の自動車市場の3分の2を占める3つの市場でEVの約96%が売れた。
各国の自動車の電動化は政策主導で進んでいる。中国の電動車(新エネルギー車と呼ばれる)の市場シェアは21年に13.4%、22年第1四半期には19.2%に達した(中国汽車工業協会調べ)。25年をめどに新車販売の20%を新エネ車にするという中国政府の目標は前倒しで達成されそうだ。中国政府は購入補助金を22年に終了させるが、大都市では新エネ車へのナンバープレート割り当て優遇の利点が残る。今後は地方でも充電インフラ整備が進み、電動車の車種が広がってきた低価格帯を中心に販売が拡大すると期待される。
欧州連合(EU)の欧州委員会は35年にエンジン車販売を禁止することを決定し、手厚い購入補助金制度を設けて21年のEUの電動車の市場シェアを19%まで伸ばした。米国の電動車のシェアは4.5%にとどまっているが、バイデン政権は30年までにEVを新車販売の50%以上にする目標を掲げている。また米カリフォルニア州は独自に、35年までにエンジン車の販売を禁止する方針を示した。
日本でも22年3月に電動車購入補助金の上限が引き上げられ、EVでは85万円になった。出遅れた日本でも、今後は自動車電動化への流れは強まるだろう。そこで懸念される2つの問題を指摘しておきたい。
第1に雇用への影響だ。自動車の電動化とは、車の動力源であるエンジンと、動力を推進力としてタイヤに伝達するトランスミッション、プロペラシャフト、ディファレンシャルギア、ドライブシャフトを総称する「パワートレイン(駆動装置)」を、モーター、バッテリー、コントロールパネルに置き換えることだ。
不要になるパワートレインの製造に関わる企業が現在どれほどの雇用を抱えているのか。経済産業省「工業統計調査」を基に試算した結果を表に示した。
工業統計調査は品目別に雇用を集計していないので、自動車部品(産業分類3113)の雇用を内燃機関とその部品および駆動・伝導・操縦装置部品(品目分類311311~311315)の出荷額の比率で案分した。内燃機関電装品(産業分類2922)についても、自動車向け(品目分類292219と292221)について同様に計算して加算した。
こうして得られたパワートレイン製造の雇用は約31万人だった。自動車製造関連雇用の約30%、全製造業雇用の4%に相当する。地域別では、パワートレイン製造が全製造業雇用に占める比率は愛知県の13%、三重県の9%、静岡県の8%で特に高く、雇用の53%が3県に集中している。
排出削減には当然社会的意義があるが、政策的な誘導を受ける労働者の「公正な移行」に配慮すべきだ。影響が大きい地域で重点的に、職業訓練や再就職支援、企業の業態転換や多角化の支援、新規企業の誘致などの措置が求められる。
昭和30年代のエネルギー構造転換による炭鉱閉鎖の際に、政府は給付金支給、技術訓練、就職支援を実施して、現在のハローワークの広域職業紹介や移転費の給付につながる制度が始まった。自動車の電動化で直接影響を受ける雇用の規模が当時の離職者20万人を超える可能性があることを念頭に置いて、取り組む必要がある。
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第2に電動化の政策誘導がEVへの偏重を生んでいることだ。
エンジン車と比較した電動車の排出量削減効果は、油井(ウェル)から車輪の回転(ホイール)までのエネルギー転換全体の排出量を測るウェル・トゥ・ホイール基準で計算する必要がある。IEAが公表する世界平均値によると、1キロメートル走行時の排出量はエンジン車202グラムに対しEVでは83グラムに削減される。しかし電池の生産でも大量の電気を使うため、11年の東日本大震災後に火力発電への依存が高まった日本では、EVの排出削減効果は限定的とみる議論もある。
排出削減への貢献を実質化するためには、1次エネルギーの化石燃料から再生可能エネルギーへの転換を伴わなければならない。
特に再生エネを使ったグリーン水素生産への期待が大きい。水素でEV向けに発電し、FCVの発電源として直接車に充塡することもできる。さらに水素をメタン化し、化石燃料を使わずにガソリンを化学合成する技術が実用化すれば、エンジン車のサプライチェーン(供給網)とガソリンスタンドの社会インフラをそのまま使える。パワートレイン製造も完成車メーカー系列を越えて生産性が高い企業に集約化し、現在の半導体産業のような体制で残っていくのではないか。
また、水素が基盤として確立されれば、EV一本やりでない多様な排出削減の道筋が開ける。ただし水素の価格低減はまだ高い障壁になっている。
グリーン水素の生産性が高い場所は一般に風・光・熱などの自然エネルギーの密度が高く人口が希薄な地域だ。水素の生産費用とエネルギーの中間貯蔵手段として輸送費用も下がれば、エネルギー消費地から遠いために未利用のままの地域自然資源を活用できる。そうしてできる限り国内の自然資源を活用しつつ、海外の多様な自然条件に目を向け、国際的なグリーン水素のサプライチェーン構築を急ぐことが望ましい。
2022年5月5日 日本経済新聞「経済教室」に掲載