中南米経済は過去20年余りにわたりグローバル化に進んできた。その方向は資源関連部門が成長した南米型と、北米市場グローバルバリューチェーン(GVC=国際的事業価値の連鎖)の構築が進んだメキシコ中米型に分かれる。
図は筆者と村上善道・神戸大助教の中南米経済に関する研究成果を示したものだ。
どちらの型のグローバル化も直接的には所得水準を上げるが、同時に所得格差を拡大するため、後者を介し所得水準を押し下げる効果もある。ただし資源輸出に伴う所得格差拡大は社会政策の充実により、GVC統合に伴う所得格差拡大は技術水準の上昇を促す教育政策により、それぞれ部分的に相殺される。従って適切な政策で補完すれば、グローバル化を格差縮小が伴う経済成長につなげられる。
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ブラジルは労働党(PT)政権期(2003~16年)に資源ブームとそこから得た財源による社会政策で、貧困削減と経済成長を実現した。しかし資源ブームの終わりとともに経済は失速し、失業が増大した。悪化した財政状況で追加的社会政策を打てず、公共料金引き上げの必要にも迫られ、中間層以下の所得階層の生活は困窮した。
14年のサッカーワールドカップ(W杯)、16年のリオデジャネイロ五輪といった国際イベントからも、期待された景気浮揚効果は得られなかった。財源不足で放置された一部の遺構は、まさに「つわものどもが夢の跡」だ。折しもルラ元大統領をはじめ労働党の幹部が有罪判決を受けて収監される事態に発展した巨大汚職の実態が明らかになり、国民の憤怒は膨れ上がった。
そうした状況の中で、ブラジル大統領選は10月28日の決選投票を迎えた。社会自由党(PSL)のジャイル・ボルソナロ氏が、労働党のフェルナンド・アダジ氏を破った。19年1月に就任する。
ボルソナロ氏は1991年から下院議員を務めるベテラン政治家だ。軍アカデミーで教育を受け、現在も予備役として軍籍を持つ。政治的思想は権威主義的で腐敗した議会政治への激しい嫌悪、軍事政権期(64~85年)の強圧的統治への共感、汚職追放や治安回復のために拷問や死刑を容認するコメントの端々にその傾向が表れる。また武器所有規制の緩和を含む個人の権利と自由選択の尊重、胎児中絶や同性間婚の否定、女性と貧困層に対する蔑視の発言から、反リベラルで保守的な性格がうかがわれる。
国民がボルソナロ氏に最も期待することは汚職撲滅と治安回復だ。これまでの法規定の枠組みの中で捜査・処罰していては生ぬるいと批判し、強権的に徹底した世直しをしてくれそうなボルソナロ氏を支持した。主な支持層は、中間層以上の所得階層、男性、近年の農作物輸出で経済成長が著しい南部・中西部の住民、軍事政権下の弾圧を知らない若年層のいずれかの特徴を持つ人々だろう。
資源輸出と社会政策に基づく労働党の経済政策は既に訴求力を失い、汚職問題への批判も相まって、労働党が大敗してもおかしくなかった。だが低所得者が多い北東部で、ボルソナロ氏の権威主義的言説への危機感や、労働党が推進した雇用創出および社会扶助の経済的利益の継続を望んでアダジ氏に投票した有権者が依然として支配的だった。
本来は反労働党票の受け皿になる中道保守政党についても、同様に汚職や政治権力の乱用の実態が連日報じられたため、既成政治勢力への国民の信頼は失墜していた。結果的にボルソナロ氏は、これまで少数政党に所属し政権と距離を置いてきたことが功を奏した。あえて他党との連立を模索せず、徹底的にアウトサイダーを貫く姿勢が、しがらみなく世直しをしてくれそうな強いリーダーシップを望む国民に歓迎された。
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経済政策に関するボルソナロ氏の選挙公約は自由化、民営化に重点を置き、経済に干渉せず財政規模を抑えた小さな政府を唱えている。
ボルソナロ氏自身はかつて国営鉱山会社リオ・ドセ(現ヴァーレ)を民営化したカルドゾ政権を「国益に反して資産を安売りした」と批判したり、管理為替レートの必要性を訴えたりしたことがある。だが選挙公約では経済政策について、米シカゴ大学で経済学博士号を取得し証券・投資金融で知られるパウロ・ゲジス氏に委任すると公言し、同氏が唱える自由化と小さな政府の方針を支持している。
具体的には、石油部門を聖域化しない徹底した民営化、関税引き下げと地域統合から2国間協定への貿易政策の変更、企業補助金の廃止、所得税率の一本化と富裕層を対象にした金融取引および投資配当への課税などが検討されている。マクロ経済政策は現在のインフレ目標、基礎的財政収支の黒字目標、自由変動為替レートの3本柱を維持しつつ、中央銀行の独立性を強化する。金融市場は新政権の誕生に期待して、株価と通貨レアルともに上昇している。
しかしゲジス氏が唱える改革には、財政、公共部門、労働契約を含む多くの制度変更に対する国会の承認が必要となる。憲法改正を要する場合には上下両院の5分の3の賛成が求められる。現政権で取り組んできた財政再建に不可欠な年金改革も、新政権に持ち越しになる可能性が高い。
従って新政権にとって国会との関係が重要となる。多数の小規模政党に分裂したブラジル国会の状況は今回の選挙後も変わっていない。過去の政権は国会の支持を得るために多数の政党と連立を組み、行政ポストと予算を配分してきた。これが汚職と政府機構肥大化の要因にもなった。
こうした傾向を否定するボルソナロ政権が諸改革を実現するには、国会に同じ方向を向かせる大義となる国民的支持が欠かせない。90年代以降、国会と対立したコロル政権、第2次ルセフ政権は弾劾手続きにより罷免されており、ボルソナロ政権が同じ運命をたどる可能性も否定できない。
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対外関係にも変化が予想される。労働党政権はベネズエラやボリビアといった反米的左派政権と協力し、リベラルな地域統合を形成しようとしてきた。これに対して新政権はこの方針を捨て、アルゼンチン、チリ、パラグアイで次々に誕生している保守系政権と連携し、先進国も含めた2国間交渉に重点を置く。
中国とは天然資源ブームの下で貿易・投資・金融関係が急速に深まったが、ボルソナロ氏は「中国はブラジルからモノを買うだけでなく、ブラジルそのものを買おうとしている」と警戒をあらわにする。
とはいえ中国との関係がすぐに敵対的になるわけではないだろう。中国は今後もブラジルにとって最重要の天然資源市場であり、民営化の推進には中国の投資を排除することはできない。それでも新政権では従来よりもブラジルの国益をより強く反映させるように、中国に2国間関係の見直しを迫ることになろう。
一方で、ボルソナロ氏は教育と科学技術の振興で国を発展させたとして日本と韓国を称賛している。日本政府がブラジル新政権が送る好意的なシグナルを感度よくとらえられれば、中国の積極的な経済関係強化により近年薄れた中南米での日本の存在感を回復することも可能だろう。
しかし対中関係と同様に、対日関係でもブラジルが国益を前面に押し出してくることは間違いない。それが保護主義的な傾向を示す場合には、その是正を求める政策対話が必要となる。
2018年11月6日 日本経済新聞「経済教室」に掲載