GDPの信頼回復急げ

深尾 京司
ファカルティフェロー

昨年12月、同年7~9月期の国内総生産(GDP)が大幅に下方修正され、2008年度の確報でも推計ミスが起きるなど、日本の国民経済計算(SNA)への信頼が揺らいでいる。今年2月の統計委員会と民間エコノミストとの意見交換会では「GDP推計の現状は、日本の経済統計ひいては政府の対外的な信頼を大きく損なう」「GDPではなく鉱工業生産指数を見ている」など厳しい意見が出た。

昨年決議決定された「公的統計の整備に関する基本的な計画(基本計画)」でも、SNAは抜本的な改革が必要だとして、今年度から5年間に実施すべき40以上の課題が列記された。以下で日本のSNAの課題と展望を考えたい。

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三面等価の原則として知られるように、GDPは支出、出産、所得の3面からとらえることができ、事後的な恒等関係により理論的には3者は必ず等しくなる。従ってGDPを各面から推計し互いに照合すれば、推計精度を高められる。

ところが日本では、三面等価の原則に基づく年次推計が行われていない。すなわち、詳細な品目別に供給のうちどれだけが中間需要ではなく消費、投資など最終需要を満たすために使われたかを調べるGDPの支出側推計と、各産業での生産額から中間投入額を引くことで推計されるGDPの生産側推計の間の不一致は、「統計上の不突合」として残されている(表)。

表 3面から見た日本のGDP
図 支出側GDPに対する統計上の不突合の割合

統計上の不突合、すなわち支出側GDPから生産側GDPを引いた不突合を支出側GDPで割った値の推移(図)を見ると、総務省産業連関表などの情報をもとにベンチマーク年(体系基準年)として推計が行われた2000年度の前後では不突合は小さいが、その後、不突合は拡大傾向にある。これは恐らく中間投入等の情報が次第に不正確・非整合になることを反映したものだろう。08年度には不突合は11兆円を超え、支出側GDP比2.3%に達した。

戦前期のGDPを推計する数量経済史研究では、生産側と支出側のGDPを別々に推計し、乖離が5%以内なら良好な結果だと判断する。下図を眺めると、現代の先進国のSNAというより歴史統計をほうふつさせる。

乖離の原因を究明し、支出側と生産側の推計を補正して乖離を減らす作業は、現在は十分に行われていない。また所得の構成要素のうち営業余剰・混合所得は、生産側推計から雇用者報酬など他の所得の推計値を引いて産出されており、GDPの所得側推計は生産側推計と常に等しく、独立した推計になっていない。

本来は、整合的な産業連関表の体系を推計すれば、三面等価を満たすGDPの支出、生産、所得側推計をそれぞれ得ることができる。他の多くの先進国では、こうした産業連関表を毎年作成。これを核に支出、生産、所得の1次統計を互いに照合し、統計上の不突合ゼロのGDP推計値を出している。日本ではSNAに用いるための年次の経済活動別の生産および投入マトリックスを簡便な方法で推計しているが、主に生産側推計に使われ、GDPの支出、生産、所得側推計を照合する格としての役割を果たしていない。

近年、SNAベースの国民貯蓄率が07年度の7.5%から08年度に2.0%になるなど急速な貯蓄率低下が目立つ。貯蓄率は可処分所得等から最終消費支出を引いたものを可処分所得で割って算出される。最終消費支出が支出側GDPの一部である一方、日本の可処分所得推計は先に述べたように生産側GDPに基づいている。貯蓄率の低下の一部は不突合の拡大が生み出している可能性がある。

基本計画にある通り、SNAのための年次の産業連関表を推計し、これを核に3面から整合的に推計する体制への移行が望まれる。

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現行の四半期ごとのGDPは、支出側GDPとして、生産動態統計などで品目別の供給を把握し、家計調査などの需要側情報を加味して推計されている。期末から約6週間後に公表される速報値(1次速報)、同約70日後の改定値(2次速報)、年度末から8カ月後に公表される確報、20カ月後の確々報がある。

昨年12月に話題になったのは、09年7~9月期の実質GDP2次速報値が前期比年率1.3%増と、1次速報値の4.8%増から3.5ポイントも引き下げられたものだ(直近の改定で0.6%減に)。しかし過去にも年率2%程度の改定はしばしばあった。

また2次速報値と確報・確々報の間の乖離も大きい。前期比年率成長率に関する1次と2次の速報値の乖離の絶対値の平均(05年1~3月期から09年10~12月期まで)は1.0%だが、2次速報値と確々報では(05年1~3月期から07年10~12月期まで)2.3%に達する(落合勝昭・日本経済研究センター副主任研究員による)。これは米国の同時期の対応する値0.6%、1.1%の約2倍である。

GDP統計の信頼性を回復するため、内閣府は2月に、(1)担当部の人員増員(2)民間設備・在庫投資を中心にした推計方法見直し(3)季節調整法の改訂(4)2~3年間での抜本的対策の実施、などを柱とする方策を発表した。

推計の改善のためにはこの他、四半期推計の基礎となる1次統計を改革する息の長い努力も重要だ。法人企業統計季報や家計調査など、速報推計で重要な役割を果たす需要側の基礎統計には、標本替えや標本の少なさなどに伴う計数の振れがある。また、四半期推計で使う生産動態統計と年次推計に用いる工業統計調査の間に大きな乖離がある。これらのように、解決すべき課題は多い。

また四半期推計でも、産業連関表を利用して生産面からGDPを推計する方法で、支出と生産の二面等価により推計結果をチェックし精度を向上させることが必要だ。06年3月に国際通貨基金(IMF)が出した、日本のマクロ経済統計に関する評価報告書も、四半期速報を生産系列に拡張することを勧告している。

速報推計では基礎データと作業期間が限られるため、精度向上にはノイズのある情報をいかに取捨選択するかが重要だ。筆者が最近米国経済分析局のGDP推計担当者たちと面談した折りに印象的だったのは、米国では推計システムが整備されているだけでなく、疑わしい1次統計に直面した際、別途インタビューや個票データを使って問題を発見・解決する見識と余力が重視されていることであった。

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1976年発行の490ページもの支出側GDPの推計作業マニュアルをはじめ同時期のいくつかの分厚い図書(「新SNA推計資料」シリーズ)には、当時新しいSNA体系導入後間もないからか、担当者らの清新な熱気が感じられる。現在外部向けに公表されている『SNA推計手法解説書』では上記作業の説明はわずか27ページにすぎない。過去に様々な改定が積み上げられてきたことで、現行の推計システムは整合性やそれを支える体系的なマニュアル面で劣化していることが危惧される。

基本計画の下、間接的に計測される金融仲介サービス(FISIM)の推計や資本の時価評価を用いたストック統計など、SNAに関する多くの難しい課題が着実に遂行されつつある。だが最重要である推計体系の抜本的改革を加速する必要がある。

それを阻んでいる最大の原因は、マンパワーの絶対的不足にある。担当部局である内閣府の国民経済計算部は、今回の増員を含めても58人にすぎず、担当者が200人を超える英国やカナダ、100人以上を確保する米国やフランス、イタリアなどに比べ見劣りする。SNAは経済政策を支える最も重要なインフラの1つだ。資源を集中投入し、抜本的な改革を期待したい。

2010年3月30日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2010年4月19日掲載

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