市場と経済政策 政府債務「需要」にも着目を

藤原 一平
ファカルティフェロー

高市早苗政権は経済成長と国民生活の安定を企図し、ワイズスペンディング(賢い支出)による「責任ある積極財政」を掲げている。成長分野への重点投資で経済の底上げを図り、その成果を財政の安定にもつなげようという考え方である。短期的な景気下支えと中長期的な成長力強化を同時に目指すという方向性そのものに異論は少ない。

しかしその前提となる日本の財政環境は極めて厳しい。一般政府債務残高は国内総生産(GDP)比で240%前後と主要先進国の中で突出して高い。これほど大きな債務を抱えつつも日本は長年、低金利を維持してきた。しかしその環境も変わりつつある。

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近年のインフレ率上昇を背景に、長短金利が上がっている。これは金融政策が超緩和状態から平常へ戻りつつあることを意味する一方、低金利に依存してきた財政には新たな負担要因となる。超低金利の下で抑えられてきた国債の利払い費が増え、財政運営を圧迫する可能性が高まっている。

こうした局面で想起されるのが、2022年9月の英国で起きた「トラス・ショック」である。当時の政権が大規模な減税と支出拡大を柱とする積極財政を表明すると、直後に長期金利が急上昇した。10年物国債の利回りは数日で1%超上がり、通貨ポンドも急落した。重要なのは積極財政そのものが否定されたというより、積極財政を支える条件が疑問視された瞬間、市場が反応した点である。

日本でもそうした条件、すなわち「政府債務はどの程度まで維持可能なのか」「望ましい債務GDP比率は何%か」といった問いへの関心が高まっている。残念ながら、これらの問いに「○%が適正である」と明快な数字で答えることはできない(経済学者はいつもそうだと批判を受けそうだが)。経済の構造、人口動態、金融環境、制度の違いによって、許容される債務水準は異なるからだ。

そこで重要となるのが、政府債務が国債の形で民間に保有されてきた点である。そもそもなぜ国債は保有されるのか。その要因も含めて考えることで初めて、積極財政を支える条件を総合的に理解できる。当期の財政赤字という国債の供給面だけでなく、民間の国債需要の面にも注目する視点から、現代のマクロ経済学は研究を進めている。

国債には保有したい側の「動機」もある

ここではプリンストン大学のマーカス・ブルネルマイヤー教授らの研究に従い、国債の保有要因を三つに分けて考えてみよう。

第一は、将来の財政黒字による裏付けである。国債は、将来の税収増や支出抑制によって利払いと元本が賄われると期待されるからこそ価値を持つ。言い換えれば、国債は将来の基礎的財政収支の黒字に対する請求権であり、その割引現在価値が価値を支えている。借りたお金は将来返さなければならない、というシンプルな原則が国債需要の元にあるという考え方だ。

日本の場合、高齢化の進展により社会保障関係費は増加が見込まれる一方、税収の大幅な増加は期待しにくい。このため、日本の巨額債務が将来の財政黒字という要因から需要されてきたとは考えにくい。

そこで国債が保有される第二の理由は、安全資産としての役割である。家計や企業は、失業、病気、景気変動といったさまざまな不確実性に直面しており、それらのリスクを完全に分散できる市場は存在しない。こうした中、価格変動が比較的小さく、名目的に安全とみなされる国債を保有することは、保険として重要な意味を持つ。

国債は単なる政府の借金ではなく、民間主体には持ち得ない課税能力を背景に発行される特別な資産だ。国家が法律に基づき税を徴収し、返済原資が確保されると人々が信頼する限り、価値が維持される。この信認を背景に、国債は金融市場で良質な担保としても評価されてきた。国債は「返ってくる」からだけでなく、「安心して持てる」からこそ需要を集めてきた。

これに関係する国債需要の第三の理由は、流動性を提供し、取引や決済を円滑にする点にある。この流動性を得るため、人々は貨幣を含む政府の名目負債を保有しようとする。この結果、国債そのものは支払い手段ではないが、同じ政府の負債として一緒に需要されることが多い。

これら三つの要因は互いに独立して存在するものではない。経済・金融環境、人口構造の変化によって、その相対的な重要性が移り変わる。ある時期には財政的な裏付けが重視され、別の時期には安全資産や流動性としての役割が前面に出ることもある。重要なのはどの要因がどの程度、政府債務の価値を支えているのかを、時々の経済状況に即して見極めることである。

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日本の政府債務残高の拡大はここで述べた第一の要因ではなく、第二・第三の要因に支えられてきた可能性が高い。高齢化の進展による将来不安の高まりは家計に貯蓄動機をもたらし、安全資産への需要を押し上げてきた。またバブル崩壊以降の不安定な金融環境により流動性の高い資産が求められたことも、日本国債への安定した需要を生んできたといえよう。

米国でもこうした視点での研究は進んでいる。スタンフォード大学のエイドリアン・オークラート准教授らの研究は政府債務の需要と供給を理論的に整理している。米国では過去およそ75年、安全資産への需要が供給を上回って推移してきた結果、低金利が維持され、政府債務の持続可能性が保たれてきたと指摘する。

ただしこの条件が永続するわけではない。人口高齢化は政府債務の需給両面に影響する。家計の貯蓄動機を通じて安全資産への需要は引き続き高まる一方、政府の側でも社会保障や医療費の増加を通じて財政赤字が拡大する。これは政府債務すなわち国債の供給を増やす要因ともなる。

現行の税・社会保障制度が維持される場合、国債の供給拡大は恒常的なものとなり、将来は需要を上回り、需給バランスが崩れる局面が訪れる可能性があるとオークラート氏らは指摘する。その段階では追加的な国債発行が金利上昇圧力を伴い、政府債務の持続可能性が問題となる。

東京大学の星岳雄教授らの研究は、日本でこうした制約が早く表面化する可能性を指摘してきた。日本は豊富な国内貯蓄を背景に、高い債務残高にもかかわらず低金利を維持してきた。しかし高齢化がさらに深化すると、貯蓄を取り崩す世帯の増加から、貯蓄率が低下し、安全資産への需要が弱まれば、国債を民間が吸収できる余地は縮小していく。その兆しが見え始めれば市場が先回りして反応し、金利上昇という形で調整を迫る可能性がある。

このように政府債務を支える三つの要因から考えると、国債の需給構造が将来は転換する可能性が浮かび上がってくる。最適な政府債務残高を考える際には、経済・人口・金融的条件がどこまで需要を支えるのかが、これまで以上に厳しく問われることになろう。

2025年12月26日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2026年1月16日掲載

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