ディベート経済

今後の経済 国家の役割は?

小林 慶一郎
RIETI上席研究員

ライブドア事件、格差拡大......。06年は、国家が何をするべきかを問い直すような経済問題が起きた。今回は、今年1年を振り返り、経済の分野で国家が果たすべき役割を考える。

格差是正へ積極介入を

日本経済は、02年2月から景気回復が続き、ついに戦後最長のいざなぎ景気を超えたといわれる。しかし、いざなぎ景気の年率11%の高い経済成長に比べると、今回の景気回復では、2.4%の成長率にとどまり、いかにも低空飛行だ。

問題は、家計の消費と賃金の回復が弱いことだ。06年の半ばごろには賃金が上昇し、消費が力強く回復するだろう、と筆者も今年はじめには考えていたが、予想外に賃金の回復は遅い。

景気回復で企業は高収益を上げているのに、労働者への配分が少なすぎるという不満が高まった。

今年、メディアや論壇でクローズアップされた格差問題は、こうした背景から出てきたといえる。

格差の実態については、データ上の論争もあるが、日本社会全体に格差感が広がっているのはあきらかだ。この格差感の高まりが、市場主義的な構造改革への大きな反発を生んだ。

市場競争が激しくなったから格差が生まれたとする見方は、政府に積極的な格差是正の役割を求める。財政資金の再配分による格差是正という考え方だ。

おりしも財政再建のために社会保障関係費が様々な分野で削減されつつある。その結果、医療や生活保護などの現場で、悲惨な状況に陥った弱者が生み出され、格差への怒りを増幅している。

政府による格差是正を求める議論は、具体的には、政府の歳出増を求めることになる。保守系の政治家などは、公共事業の拡大を志向する。公共事業で地方の建設業者を潤し、経済格差を緩和しよう、というバラマキ政治への回帰だ。

革新系の論者は、医療、福祉、失業対策などの弱者救済のための資金的手当てを手厚くするように求める。

いずれの処方箋も、もし再配分の対象を真の弱者に限定するのでなければ、政府の支出拡大が必至だ。多くの論者は議論を避けているが、その場合、大きな増税が必要になる。

再配分より市場監視を

今年の金融市場にも影響を与えたライブドア事件、村上ファンド事件では、証券市場で不正な取引によって利益を上げたとして逮捕者がでた。

両事件とも裁判中だが、事実だとすれば、市場競争の前提となるルールに違反して、巨万の利益を得たことになる。

不正なやり方がまかり通るから市場競争への反発が強まるのであり、公正な競争で利益を上げたなら誰も文句は言わない。松坂大輔が毎年10億円以上の年俸をもらっても、不公平だと思う人はいないだろう。

したがって、政府の役割は公正な市場環境を作ることだ、という考え方もある。市場のルールを整備し、ルールをしっかり遵守させる事後チェック機能が重要だ。

格差問題の象徴でもある正社員と非正規雇用社員との雇用格差についても、これは市場ルールの問題、と考えることもできる。

労働者全体をマクロの数字で見れば、必ずしも日本の労働者の取り分が少なすぎる、というわけではないからだ。日本の労働分配率(国民所得を資本家と労働者に分配したときの、労働者の取り分)は、最近低下する傾向があるとはいえ、欧米諸国と比べて、格段に低いわけではないようだ。

バブル崩壊後の90年代前半は、労働分配率は上がり続けた。労働者はそのツケを、いま支払わされているという面もある。企業の取り分を減らして賃金に回す、と単純にいけるかとなると難しい。

むしろ、労働者の中で、優遇されている者と不当に低い境遇に置かれている非正規労働者の格差が大きいことが、たとえば将来への不安を高めて、消費を減退させるなどの弊害を生んでいるのではないか。

雇用格差の問題を解決するためには、同一労働同一賃金などの公正な原則を日本の労働市場に貫徹させることが重要となる。この問題について必要な政策は、政府による再配分というより、労働市場のルール作りといえる。

共同体の自然な再生目指せ

セーフティネットの削減は財政再建だけでなく、広く構造改革への反発に転化する。改革や財政再建を長期的に進めるなら、貧困対策や医療弱者の救済への財政支出は、なるべく手厚くし、国民の支持を失わない工夫をすべきだ。

また、このような、改革への政治的支持をつなぎとめる観点からは、公正な市場ルール作りと事後チェック機能の拡充も重要だ。

今年の論壇に広がり見せた格差批判には、もう1つ、隠された論点がある。それは、日本企業が担ってきた「会社共同体」の機能が失われたことだ。

戦後の社会で、伝統的な家族や農村の共同体が縮小する中、人々の心のよりどころとしての共同体の役割を担ったのは企業だった。

日本の企業は、(現実はどうであれ)終身雇用制や企業福祉に支えられた労働者の共同体というイメージを強く持っていた。日本社会で、企業が労働者を解雇することに非常に強い抵抗があったのも、企業を共同体としてとらえる一般的通念があったからだろう。

バブル崩壊後も、企業は雇用を守る努力を続けたが、長引く不況が企業経営を圧迫した結果、90年代末を境に、企業は共同体としての社会的役割を放棄し始めた。終身雇用制は壊れ始め、大規模なリストラや非正規雇用の利用が増えた。

これまで共同体として従業員の心を支える役割が期待されていた企業が、それを裏切って利潤追求に走っている。その怒りが、格差論争の裏側にある。そして、共同体の再生を希求する思いがある。

問題は、単に金銭的な格差をどうするかだけではないのだ。

この問題への1つの回答を、安倍政権の路線に見てとることができる。それは、強い国家が共同体の機能を担って人々の心のよりどころとなる一方で、経済面では自由主義を原則とする方向だ。これは首尾一貫しているが、復古的な国家主義に陥る懸念もある。

一方、革新系には、政府による再配分の重要性を強調する人が多い。しかし、会社共同体の崩壊で高まった国民の不安と不満がこの議論と化合すると、国家への依頼心を過度に高めることになるのではないか。そうなれば、論者の意図とは裏腹に、昨今の国家主義的な世論の傾向を強める作用を持つだろう。革新系の論者はこの点にもっと注意深くあるべきだ。

やはり自然なのは、国家が共同体をおぜん立てするのではなく、民間の中から、あるいは市場の中から、自生的に共同体が再生されることだろう。

現状ではNPOなどの市民団体や企業福祉の再生に期待するしかない。寄付金税制の充実や企業の育児支援促進などの政策が有効だろう。政府に求められる政策は、自生的な共同体再生が起きる環境をつくることではないだろうか。

筆者及び朝日新聞社に無断で掲載することを禁じます

2006年12月25日 「朝日新聞」に掲載

2007年6月18日掲載

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