ディベート経済

安倍政権の成長路線 評価は

小林 慶一郎
RIETI上席研究員

本間正明・大阪大学教授が政府税制調査会長に就任することが決まり、経済政策は成長重視の路線に大きくシフトしそうだ。経済成長と歳出削減で財政再建を目指す安倍政権の成長路線をどのように評価するべきか。

名目4%で財政再建可能

中川秀直・自民党幹事長の近著『上げ潮の時代』に書かれている政策ビジョンが、安倍政権の今後の経済政策の基本的方向を示すものと考えていいだろう。

情報化が進む現在を、第3次産業革命の時代ととらえ、その進展によって実質3%(名目4%)の経済成長が可能だ、という明るい時代認識が根本にある。

石炭と蒸気機関の第1次産業革命でも、石油と電気の第2次産業革命でも、ある時期から急激に経済は成長した。IT革命は、90年代の米国で長期の好況を生んだ。

日本でもIT革命による高成長は可能だ、という展望だ。

ただそのためには、情報技術を使いこなす人材の厚みを増す必要がある。また、閉鎖的な日本企業の風土を変えて、組織の外とも情報が柔軟に共有される「知識共有」化経済になることが必要だ。情報化が進んだ経済では、情報が企業の壁を越え、思いもよらない結合をすることで、新しい発展が生まれる。こうした変化を促すために、教育改革を行って、新しい人材を育成し、イノベーションの促進を政策的に進めるという。

もし、日本経済が名目4%成長を実現できれば、財政再建も極めて容易になることは間違いない。増税をほとんどしなくても財政再建は可能だ、と中川氏は主張する。成長によって経済全体が底上げされれば、経済格差もおのずから縮小し、格差問題も解消する。

また、中川氏の構想では、4%成長を実現するまで、経済を下支えするのは金融政策と歳出削減だ。

金融政策を緩和基調で維持し、デフレ脱却を確実なものにして経済環境を安定させる。

そして、公共部門の無駄を徹底的に削減して財政赤字の膨張を食い止める。歳出削減の柱は、公務員制度の改革による人件費の削減と、地方分権の推進による無駄の削減ということになる。

小泉政権が「抵抗勢力」との対決を売り物にしたように、安倍政権は官僚の組織防衛と対決するというのが中川氏の戦略のようである。

格差是正へ企業課税強化

成長路線には、基本的に将来に対する楽観論がある。指導者が国民に明るい展望を示して活力を与えることは良いことだ。

ただ、それに説得されない悲観論者もいる。財政破綻の危機を心配する人からみれば、安倍政権の成長路線は、森政権のIT成長路線の再来に見えるかも知れない。

米国のITバブルが真っ盛りだった99年、IT革命で日本経済は成長する、との楽観論が広がった。

金融危機を何とか封じ込め、誰もが前向きの話に飛びつきたがっていた。しかし、2000年ごろには不良債権問題が再燃し、森政権から小泉政権に変わると、ITよりも、金融を中心とした構造改革が政策の主要課題となった。

不良債権が解決していないのに、それに目をつぶってIT革命にすがった結果、金融問題が足を引っ張り、成長できなかった、というのが森政権での経験だ。

今回、財政危機の問題に正面から取り組まず、IT革命による成長を頼りにして本当に大丈夫か。悲観論者の心配はそこにある。

また、財政悲観論者でなくても、格差の拡がりを我慢できない、という議論もある。

経済成長で格差が縮まるとはいえ、時間がかかる。90年代の米国も好況なのになかなか格差が縮まらず、ジョブレス・リカバリー(仕事のない景気回復)といわれた。

格差が縮まらない中、歳出削減によって医療や福祉の現場では弱者切り捨てが問題になりつつある。また、地域経済の疲弊が続き、地方の公共事業を増やすことを求める声も高まっている。

財政危機に対応し、格差を早めに是正するには、歳出を絞りすぎず、増税による財源増を実施すべきだという考え方もある。公務員の人件費を削減することと、福祉などの歳出を減らさないことは同時にできる。それなら、官僚と対決するという路線とも矛盾しない。

こういう意見の論者からは、特に収益が好調な企業部門への課税を強化すべきだ、という声が出てくると思われる。

賃上げ促す法人税減税も一策

明るい将来展望で国民を鼓舞する成長路線は、基本的には望ましい路線だと考える。

しかし、増税ゼロで財政再建できるというのは言い過ぎだ。名目4%の経済成長で、国債費以外の財政収支(プライマリーバランス)の赤字をなくすことはできるかもしれない。しかし、すでに累積している政府債務は、複利で雪だるま式に増える。名目利子率が名目経済成長率よりも小さければ大丈夫だが、そうでなければ、プライマリーバランスが黒字になるまで増税しないと財政破綻に陥ってしまう。

将来の利子と成長率の関係は不確かだから、手堅く見積もるなら、高成長になっても、ある程度の増税は不可避だと考えておくほうが安全だろう。

一方、現在の成長路線が財政問題で足をすくわれ、森政権の二の舞になるというおそれは少ない。

ふつう、途上国などでの財政破綻は、海外に資金が逃避することで起こる。日本経済は、貿易で黒字を増やし、円高基調も変わっていない。この状態で、日本から急激に資金が逃げ出すことは起こりそうもない。財政問題が、金融危機のように経済成長にブレーキをかける心配はないだろう。

また、企業への課税を抑えて成長を高めようという安倍政権の方向性も、間違っていない。格差是正の観点からは企業に増税するのが望ましいように思えるが、長期的には逆効果になる。

企業への課税は、経済成長を抑える効果があるからだ。経済学者ケインズは、戦時中、格差是正のために、企業への課税強化を主張し、英国はそれにしたがって法人税を引き上げた。戦後、英国経済は停滞し、経済の回復は、法人税率の引き下げと同時に起きたのである。

企業の成長を高めながら、格差是正にも効果があるような政策を考えることが必要だろう。法人税を減税するにしても、企業に賃金を上げる誘因を与えるような減税方法を考えるべきだ。

たとえば、法人の課税所得から、賃金支払いの1割増しの金額を特別控除することにすれば、企業は、減税の恩典をうけるためにも、賃上げをしようとするだろう。

特に、派遣社員など非正規雇用の労働者への賃金を対象にすれば格差問題には有効と思われる。

また、成長のためという目標は、財政のバラマキを正当化する口実として使われがちだ。財政に頼らず、市場の改革によって成長を高めるという基本哲学を堅持すべきだろう。これまでは金融と企業法制の改革が進んだ。残るは労働市場である。労使の交渉の自由度が大きくなるような改革を進め、柔軟な労働市場をつくれるかどうか。それが成長のかぎを握る。

筆者及び朝日新聞社に無断で掲載することを禁じます

2006年11月6日 「朝日新聞」に掲載

2007年6月18日掲載

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