あすへの話題

きれいな電気

西水 美恵子
RIETIコンサルティングフェロー

途上国の貧しい女性は「きれいな電気が欲しい」とよく言う。彼女らと寝食を共にするまでは「きれいな」を聞き落とし、2つの意味を含むことなど知らなかった。

掃除、洗濯、水汲み、草刈りと、家事や畑仕事は何でも手伝ったが、竈の煙が濛々と立ちこめる台所に入ることだけは苦手だった。息を吸う度に肺が猛烈に反抗して窒息しそうになり、目は針で刺されたように痛い。女子供の酷い空咳、慢性炎症で充血した目、多すぎる盲目の老女...。環境医学専門の部下に調査を頼んだ。途上国の女性や子供の死因のトップは、竈の煙からくる室内汚染という分析結果に、やはりそうかと唖然とした。貧しい女性たちが望む「きれいな」電気は、竈の煙という死に神から解放されることだった。

南アジアの数カ国では、そのきれいな電気が近くまで来ていても電化されない村をよく見かけた。特にインドの幾つかの州やバングラデシュに多かった。日が落ちて夕食をすませた後、村人は焚き火を囲んで憩いの場を設けてくれる。そんな時、月明かりに黒く浮かび上がる高圧送電線を眺めていたら、村長が「不思議かい?」と笑った。「電柱1本、礼金500ドル。村にそんな大金はない」。無理な金を都合してせっかく引いても賄賂は続くと言う。集金人が料金の割引交渉を強いる。割引どころか支払いは袖の下で、使用記録は抹殺される。「そんな汚い電気など結構よ」と女衆が笑った。分析してみると、その汚い国営電力会社は大赤字で、国家財政赤字の最大原因だった。村人はちゃんと知っていた。「ツケは必ず我らに回ってくる」と。

目から鱗が落ちる民の視点。我が国を司る方々にも大いに推奨したいと心底思う。

2006年10月14日 日本経済新聞に掲載

2006年10月14日掲載

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