あすへの話題

ある絞首刑

西水 美恵子
RIETIコンサルティングフェロー

1811年5月8日正午、英植民地バージン諸島で1人の英国人が絞首刑になった。名はアーサー・ホッヂ郷士。貴族と姻戚関係を結ぶ紳士階級の大農園主で、当植民地政府の議員など数々の要職にあったが、奴隷をなぶり殺した罪に問われ、陪審裁判で有罪となった。陪審員は白人のみの判決だった。英国奴隷制度廃止法成立の22年前、更に米国奴隷解放宣言の52年前のことだから、衝撃的な事件だった。自ら来島した英連邦カリブ海域総督が、死刑当日に戒厳令をしいての遂行だった。

英国は当時、すでに奴隷貿易禁止法を施行していたが、根深い奴隷制度には歯も立たなかった。奴隷労力で巨大な富を築く上流階級は、絞首刑のニュースに震え上がった。裁判の詳細を報道し、ホッヂ郷士の残忍な虐待行為をあからさまにした英新聞記事は、良心ある人々の心を大きく動かした。四半世紀にも渡って紆余曲折の道を強いられていた英国の奴隷解放運動に拍車をかけた大事件だった。

被告の無罪申し立ては「所有物なる奴隷を所有者が殺すことは、法律上犬を殺すことより重い罪ではない」と烏滸がましく、当時の世相と主流思考を反映する。「奴隷時代には価値などなかった黒人の命が、ホッヂの時以来白人と同じ値打ちになった」というこの国の民は、植民地時代の数々の遺跡を「白蟻とジャングルの餌」にした。ホッヂ農園も、今は跡形もない。

この国でただ一軒昔の姿を留める我が家は、隣のホッヂ農園から逃れ来る人々を匿い、彼の悪行を告発し、裁判で証人台に立ったパシア家の人々の住居だった。「パシア邸」と愛しまれるこの家に、人種差別を心底嫌う国民の強く優しい意志を感じる。

2006年9月2日 日本経済新聞に掲載

2006年9月2日掲載

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