高まるエネルギー不安 脱化石燃料・脱炭素化に転機

有馬 純
コンサルティングフェロー

ウクライナ危機は、国民生活や産業の血液であるエネルギーの低廉かつ安定的な供給が死活的に重要なこと、エネルギーの安定供給は地政学の影響を大きく受けることを再認識させた。

この点を骨身にしみて感じているのは欧州、特にドイツだろう。脱原発、脱石炭を掲げるドイツは、風力などの変動性再生可能エネルギーの導入を強力に進める一方、再エネの出力変動の大部分をロシア産天然ガスで調整することとしていた。だがウクライナ危機は独ロの新しいガスパイプライン「ノルドストリーム2」計画を頓挫させ、ドイツはエネルギー供給中断の危機に直面することとなった。

ドイツの失敗は供給源、エネルギー源の面で多くのオプションを保持するというエネルギー安全保障の要諦を軽視し、環境原理主義、反原発・再エネ原理主義に基づき、自ら選択肢を狭めてきたことにある。

日本を含む先進国のエネルギー政策は、温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」以降、もっぱら脱炭素という政策目標に支配されてきた。2度の石油危機の記憶は風化し、化石燃料が引き続き大きな役割を担っているにもかかわらず、「化石燃料は排除されるべきであり、化石燃料投資は座礁資産化する」といった極論が強調されてきた。

これは現下のエネルギー価格上昇局面においても投資がなかなか進まない一因でもあるが、化石燃料の安定供給を危うくする。エネルギー転換は一朝一夕に実現するものではない。化石燃料を含むエネルギー安全保障を見据えたエネルギー政策の再調整が必要だ。

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ウクライナ危機によるエネルギー、原材料、食品の価格上昇や、世界経済の下振れリスクは温暖化防止に対する機運を弱める可能性がある。

政治的スローガンとしての温暖化防止が揺らぐことはない。3月の国際エネルギー機関(IEA)閣僚理事会では、2021年に英グラスゴーで開催された第26回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP26)での合意を念頭に、温暖化防止に対する取り組みが再確認された。

だが問題は現実の行動が伴うかどうかだ。グラスゴー合意の野心的文言とは裏腹に、各国はエネルギー価格高騰の鎮静化に忙殺されている。脱炭素化、脱化石燃料を掲げてきた米バイデン政権は中間選挙を約半年後に控え、ガソリン価格高騰を抑えるため、石油備蓄放出、石油・ガス産業への増産要請に加え、制裁対象だったベネズエラからの石油輸入再開や連邦ガソリン税の凍結を検討している。

脱石炭のリーダーだった欧州の石炭輸入はガス価格高騰を背景に大幅に拡大している。中国、インドでは石炭生産や石炭火力の発電量が大幅に増大している。

日本でもガソリン補助金が導入され、ガソリン税を一時的に下げる「トリガー条項」の発動も取り沙汰された。いずれも温暖化防止に逆行する動きだが、エネルギーコストの高騰が国民生活や産業に悪影響を与えるとなれば、温暖化防止よりもエネルギーの低廉な供給を優先せざるを得ないという政治的現実でもある。

国連の持続可能な開発目標(SDGs)に関する意識調査によれば、気候行動の優先順位はスウェーデンで1位、日本で3位だが、中国では15位、ロシアとインドネシアでは9位だ。豊かな先進国と違い、途上国で貧困、教育、保健衛生、雇用が温暖化防止より優先されるのは当然だ。これはコロナ禍やウクライナ危機前の回答だ。世界の経済状態が悪化しエネルギー価格が高騰している現在、途上国での気候行動への優先順位はさらに低下しているだろう。

今後の世界のエネルギー需要、温暖化ガス排出動向の鍵を握るのは欧米諸国でなく、アジアを中心とする途上国だ(図参照)。天然ガス価格の高騰により石炭依存の強いアジア地域のガス転換が遅れれば、温暖化ガスの削減は難しくなる。

図:エネルギー起源CO2排出量

もともと温暖化防止は、冷戦終結に伴う国際協調機運の高まりとともにクローズアップされてきた。しかし今では、力による現状変更を志向するロシア、中国などと西側先進国との間で新冷戦ともいうべき対立状況が現出しつつある。これは国際協調を何よりも必要とする温暖化防止にはマイナスに作用する。先進国の軍事支出が拡大する中で、温暖化防止のための途上国支援に回る資金が減少すれば、途上国の対応も鈍らざるを得ない。

中国の動向にも注意せねばならない。温暖化防止に向けた国際的潮流の中で、中国は新疆ウイグル地区の安価な労働力、石炭火力による安価な電力で生産された太陽光パネルを世界中に輸出するとともに、途上国向けには石炭火力を輸出してきた。西側諸国が資源インフレに苦しむ中で、中国は経済制裁で行き場を失ったロシアのエネルギーを安く調達し、コスト面で一層優位となる可能性が高い。

先進国が脱化石燃料を加速すれば中国製のパネル、風車、蓄電池、電気自動車(EV)の輸入が拡大し、中国が支配力を有する戦略鉱物への依存度を高めることになりかねない。これはロシア依存とは別の意味の地政学リスクであり、中国の脅威に直面する日本にとって看過できない問題だ。

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ウクライナ危機は日本のエネルギー安全保障にも様々な課題を投げかける。何より石油、天然ガスの価格上昇と円安の進行は、ただでさえ主要国中最も高い日本のエネルギーコストをさらに引き上げ、日本経済の大きな重荷になっている。

日本は国内に化石燃料資源がなく、隣国と連系線を有さないうえ、平地面積に恵まれず太陽光パネルのスペースに限界があり、海が深く洋上風力のコストもかさむ。資源大国米国や、各国が電力網やパイプラインで連結された欧州に比してエネルギー安全保障面で圧倒的に不利な状況にある。

「今こそ脱化石燃料と脱原発を」との議論があるが、日本の置かれた状況を考えれば使えるオプションをすべて使うべきだ。再エネ一本足打法では、ドイツの二の舞いになりかねない。

中でも原発再稼働の加速は喫緊の課題だ。原発再稼働により化石燃料の輸入コスト増加の悪影響を抑えられるが、逆に遅れればコストアップ要因となる。3月の東京電力管内での電力需給逼迫も、原発再稼働が進んでいれば回避できたはずだ。脱炭素化には再稼働のみならず新増設も必要だ。

ウクライナの原発への攻撃を理由に、軍事攻撃に脆弱な原発から脱却すべきだとの主張もあるが、こうしたリスクにさらされるのは他の重要インフラや大都市も同様だ。重要なのは日本の防衛体制全体の強化だ。

ウクライナ危機は平和に安住してきた日本に強いショックを与えた。中国、ロシア、北朝鮮に近接した日本が直面するリスクは欧米に比べても格段に高い。国家・経済安全保障体制の再検討が喫緊の課題である。脱炭素に大きく傾いたエネルギー政策についても、最も根源的な要請であるエネルギー安全保障を見据えた対応が求められている。

2022年4月25日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2022年4月26日掲載

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