1995年、マイクロソフト社はオペレーティングシステム(OS)ウィンドウズ3.1の後継としてウィンドウズ95を発売。これに伴い、世界中でインターネットの使用が一気に拡大。情報システムのグローバルネットワーク化の流れを受けて、国際金融の現場では劇的なパラダイムシフトが始まります。このパラダイムシフトは、金融ビジネスを取り巻く「リスク認識」を根底から変化させて行きます。今回は、アジア国際金融市場の一角を担うシンガポールで起きた事件と、それに伴う伝統的国際金融機関の破綻、そしてオペレーショナルリスクに対する関心の高まりを解説します。
ベアリングス銀行の破綻
第八回のレポート(注1)でご説明した通り、投資銀行業界におけるグローバル情報システムマネジメントの劇的なパラダイムシフトは、水野和夫氏の指摘(注2)同様、「1995年」に始まったと捉えています。この1995年上半期、日本では3つの大きな災害、事件、出来事が起こりました。1つめは、1月の阪神・淡路大震災、2つめは、3月の地下鉄サリン事件、そして3つめは、4月の外国為替市場における対ドル日本円史上最高値記録更新(1ドル79.75円)です。
同1995年、「1762年の創業で約230年に亘る歴史を持つ、英国系金融機関であるベアリングス銀行が、経営破綻」という、国際金融市場を震撼させるニュースが、前回のレポート(注3)で国家戦略を分析したシンガポールから発信されました。たった1人のデリバティブトレーダーが引き起こした巨額損失が、経営破綻の原因でした。このトレーダーは主に、シンガポール国際金融取引所 (SIMEX:現在のシンガポール金融取引所:SME) と大阪証券取引所に上場されている、日経225の先物・オプション取引を行っていました。
彼が引き起こしたデリバティブ取引に関る巨額損失には、相場が彼の見通しとは逆に動いたことに加えて、今まで本シリーズで説明をしてきた投資銀行の事務処理部門における「情報システムのスパゲッティ化」と「事務処理プロセスの複雑化」が、深く関っています。ベアリング銀行に転職する前の1987年から約2年の間、この巨額損失を齎したデリバティブトレーダーは、別のアメリカ系投資銀行のバックオフィスで、先物オプション取引に関る決済事務に従事しながら、事務処理部門のビジネスフローを学んだ経歴があります。
1989年、彼はベアリングス銀行に転職した後、フロントオフィスへ移動となり、当時活況を呈していた日本株式の先物やオプションのデリバティブ市場で、巨額の収益を上げ始めます。それに応じて、彼の保有するデリバティブ取引のポジションは増加の一途を辿ります。しかし1992年以降、彼のデリバティブ取引口座では、徐々に損失が発生し始めます。そこで彼は、嘗て学んだ事務処理部門の知識を悪用することで損失の隠蔽を企てます。この隠蔽工作によって、損失の実態が明らかになるまで、時間が掛かる事態となり、損失は益々増加。1995年1月に起きた前述の阪神・淡路大震災による、日本株式市場の急激な上下変動に伴い、隠蔽工作は継続不可能となり終焉。翌月2月、長い歴史を持ち世界的に有名な金融機関が、たった一人のトレーダーの損失によって、破綻に追い込まれるという、前代未聞の結末となりました(注4)。
ベアリングス銀行は、保険業務と郵便貯金業務を基盤として、世界の数十カ国で各種国際金融業務を展開するオランダの大手金融グループINGに、買収されることになります。この事件が切っ掛けとなり、金融業界ではオペレーショナルリスク管理を、経営課題の1つとして重要視し始めることになります。
国際決済銀行とバーゼル銀行監督委員会
さてここで、金融機関の抱えるリスク全般に対する認識の変化を、スイスのバーゼルに本部を置く国際決済銀行(BIS: Bank for International Settlements)と、バーゼル銀行監督委員会(BCBS: Basel Committee on Banking Supervision)という、2つの組織の歴史的経緯、位置付け、そしてその活動の観点を踏まえて分析します。
1930年、第一次世界大戦敗戦国ドイツの賠償金支払い管理業務を行う金融機関として設立されたBISは、第二次世界大戦中も同様、設立当初の目的である賠償金管理業務を継続します。第二次世界大戦終結の過程で、1944年締結され翌1945年発効した、ブレトン・ウッズ体制のスタートに伴い、国際通貨基金(IMF: International Monetary Fund)と国際復興開発銀行(IBRD: International Bank for Reconstruction and Development)を中心とした、国際金融管理の枠組みが構築されて行きます。この体制下では、BISの活動範囲は限定的なものとなるとの見方から、BISの存在意義に対する疑問が浮上します。しかし、欧州域内の各国中央銀行から、BISの存続に対する強い要請が起こり、BISは維持されることになります。
その後、東西冷戦構造の体制下において、BISは東西両陣営の中央銀行首脳が顔を合わせることのできる、数少ない価値ある対話の場となります。加えて、1950年に発足した欧州支払同盟 (EPU: European Payments Union)、それを引き継いだ1958年からの欧州通貨協定(EMA: European Monetary Agreement)、1979年に発足した欧州通貨制度(EMS: European Monetary System)、そして1999年の欧州通貨統合(EMU: European Monetary Union)までの、約半世紀に亘る欧州域内の経済統合に関る議論の過程で、BISは重要な対話の場として活躍します。
西側と東側とのイデオロギー対立が、雪解けを迎える約15年程前の1975年、西側のG10諸国が参加する中央銀行総裁会議によって、バーゼル銀行監督委員会(BCBS: Basel Committee on Banking Supervision)、通称、バーゼル委員会(Basel Committee)が設立されました。当委員会の設立には、当初、北米からアメリカとカナダ、欧州からイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、スウェーデン、そしてアジアから唯一日本の合計10カ国が参加。その後、欧州から更に、スイス、ルクセンブルグ、そしてスペインの3カ国が加わることで、現在では13カ国の中央銀行総裁によって構成されています。
このバーゼル委員会は、公式な指導的権威を有するものではなく、またその決定は法的拘束力を有するもではないという基本的理念のもと、参加国の合意に基づき、国際金融のリスク管理に関する大まかな管理規制を策定することを目的としています。参加各国は、それぞれの金融経済の国内事情を鑑み、バーゼル委員会で合意された管理規制の導入に対して最大限の努力を行うとしています(注5)。
オペレーショナルリスクとBasel II
1988年、バーゼル委員会の参加国は、金融機関のリスクに対する国際標準管理規制の先駆けとして、信用リスクに焦点を当てた、「Basel Capital Accord」(日本においてはBIS規制と呼ばれる)を合意します。その後、この規制は、市場リスクとオペレーショナルリスクを含めることで、「New Basel Capital Accord」(略称Basel II:日本においては新BIS規制と呼ばれる)へと、成長拡大しています。
本シリーズ第二回と第三回のレポート(注6,7)で触れたように、1980年代に入ると、国際金融機関による国境を越えた金融取引は増加の一途を辿り、1984年、国際金融ビジネスを手掛けるアメリカの大手金融機関が破綻するケースから、1つの金融機関の破綻の影響が世界的規模に拡散する危険性の存在を、認識するようになります。
これを受けて、国際金融市場における世界規模での破綻連鎖を、回避するメカニズムの構築を目指して、国際業務を行う金融機関の経営の健全性を計測する手法を模索し始めます。それまで経営破綻に追い込まれる金融機関は、総資産に対する自己資本の割合である「自己資本比率」が、低水準であったケースが多かったことに着目。そこで、バーゼル委員会は、銀行が国際業務を営む場合には、この自己資本比率を8%以上、国内業務に留まる場合でも、この比率を4%以上の水準に維持するという、国際統一基準を策定します。これが1988年に合意されたBIS規制です。
このように、BIS規制は、当初、「信用リスク」の観点からスタートしました。信用リスクとは、債務不履行リスクあるいは貸倒れリスクとも呼ばれ、取引先の財務状況が悪化した場合に、金融機関が債権を回収することが出来なくなり、それによって金融機関のバランスシート上に、損失が発生する不確実性のことをいいます。これに加えて、バーゼル委員会は、「市場リスク」も考慮に入れ始めます。市場リスクとは、マーケットリスクあるいは価格変動リスクとも呼ばれ、金融市場の変動に伴って、金融機関が保有する有価証券などの金融商品の市場価値が変動し、それによって金融機関のバランスシート上に、損失が発生する不確実性のことを指します。
更にバーゼル委員会は、最初に説明したベアリング銀行の破綻の例などから、「内部のプロセス、人、システムが不適切であること或いは機能しないことによって、または外性的な事象が発生することによって、損失が生じるリスク」と定義される、「オペレーショナルリスク」に対しても分析を開始します。このオペレーショナルリスクは、基礎的リスクとも呼ばれ、事務手続上の事故、内部者による不正行為や法令遵守違反、情報システムの誤作動、風評による会社の評判が傷つくことなど、全社的に存在する不確実性のことを意味します。つまりオペレーショナルリスクとは、信用リスクと市場リスク以外のリスクの総称であり、事務リスクや情報システムリスクのみならず、法務リスク、風評リスク、災害リスク、あるいはカントリーリスクといった、広範囲なリスクが含むことになります。
1998年9月、バーゼル委員会は初期的レポートである「Operational Risk Management」(注8)を取り纏めます。その後、継続的な議論を重ねた結果、「オペレーショナルリスクの数量化手法」と「損失発生の原因となるオペレーショナルリスクの分類」を明示するBasel IIが、2004年に最終的合意に至り、昨年2007年から実施されました。このように国際金融ビジネスがグローバル化および情報化の波に直面する過程で、バーゼル委員会における、信用リスク、市場リスク、そしてオペレーショナルリスクに対する管理の枠組みは、変化をして行きます。
投資銀行におけるオペレーショナルリスクの位置付けと対応
さて本レポートが焦点を当てる投資銀行業界における、オペレーショナルリスクの位置付けと対応を、組織構造と情報システムの両面から解説します。
本シリーズ第一回(注9)で分析したように、投資銀行の組織は、収益を叩き出すプロフィットセンターであるフロントオフィスが一番上の第1階層に存在。その下の第2階層で、フロントオフィスの執り行う金融取引に関るリスク管理をミドルオフィスが行う。更にその下の第3階層で、口座管理、取引報告、受渡決済、定期報告、経理、税務、法務、人事、監査、法令遵守、情報セキュリティーなどをバックオフィスが行う、という構造になっています。この組織構造の中で、ミドルオフィスは、金融取引の相手方は「誰か」という観点で「信用リスク」を、金融取引の商品は「何か」という観点で「市場リスク」を、それぞれ集中的に管理しています。ところが、オペレーショナルリスクの場合は、その定義が「信用リスクと市場リスク以外の全てのリスク」であることから、フロントオフィス、ミドルオフィス、そしてバックオフィスの全ての組織に、リスク要因が拡散していることになります。
また、本シリーズ第二回と第三回のレポート(注6,7)で分析したように、投資銀行の情報システム構造は、第1階層には、株式、債券、先物などの金融商品の属性を管理する商品マスター、取引する相手方の属性を管理する顧客マスター、そして金融取引データを作成・記録する機能が存在。その下の第2階層には、ポジション管理や資金証券決済を行う機能が存在。更にその下の第3階層には、コーポレートアクション、経理処理、定期報告書や法定帳簿を行う機能が存在します。この情報システムの中で、ミドルオフィスが、第1階層にある顧客マスターのデータを基に、フロントオフィスの取引相手に関る「信用リスク」を、商品マスターのデータを基に、フロントオフィスの取扱商品に関る「市場リスク」を、それぞれ集中的に管理しています。ところが、オペレーショナルリスクの場合は、第1階層から第3階層までに亘る、情報システムの全ての機能、各機能を繋ぐインターフェース、更には手作業による事務処理プロセスまで、リスク要因が拡散していることになります。
このように投資銀行におけるオペレーショナルリスク管理は、組織構造の面からも情報システムの面からも、カバーすべきリスク要因が全社的な規模に拡散しているため、オペレーショナルリスクを引き起こすリスクシナリオは、多種多様で複雑多岐なものとなります。当時、投資銀行業界では、1995年以降の情報システムの劇的な変化、1998年の欧州通貨統合(EMU)対応、1999年のコンピューター2000年問題(Y2K)対応などに追われていました。そこで投資銀行業界では、信用リスクと市場リスクの管理と比較して管理手法の標準化が遅れていたオペレーショナルリスクに対して、事務処理部門の内部に暫定的な担当セクションを新設し、そのセクションが同業他社からの情報収集活動のみを行うとするケースが多く見られました。
911テロ以降、金融業界ではオペレーショナルリスクの対応が喫緊の課題として惹起。2004年、前述の通りバーゼル委員会は、数量化の手法と損失発生原因の分類を標準化したBasel IIを合意します。その過程で、災害復興計画(DR: Disaster Recovery)、ビジネス継続計画(BCP: Business Continuity Planning)、ビジネス継続マネジメント(BCM: Business Continuity Management)などの概念が確立されると共に、全社的にオペレーショナルリスクを監視する独立部門が設置する投資銀行が増えて行きます。この点については、後のレポートで更に深く分析する予定です。
さて次回は、1995年にスイスで設立されたもう1つの国際協調の枠組みと、グローバル金融拡大の過程で、乱気流に突入し揺れるアジアを分析します。