本年3月に発表された「世界の金融市場インデックス」。東京市場のランキングは、昨年9月時点の10位から1ランクアップの9位。とはいえ3位の香港と4位のシンガポールには、大きく水をあけられています。本シリーズの中心的な問題意識は、「どうすれば国際金融市場としての東京市場の地位を回復できるのか」。その政策立案の参考として、今回は前回のレポートで紹介したスイス米系投資銀行が、1995年前後にグループ内オフショアリングの拠点として選択した、シンガポールの国家戦略を分析します。
シンガポールの歴史
近年、香港と並び名実共にアジアパシフィック地域における、国際金融市場としての地位を築いたシンガポール。この小さな島国(約700km₂)は、アメリカのニューヨーク市(約785km₂)より少し小さめ、淡路島(約592km₂)より少し大きめの国土面積を持ち、インドネシアの島々に囲まれたマレー半島の南端に位置する独立国家です。海運に適した立地によって、7世紀頃から東南アジア地域における重要な貿易の拠点として発展。14世紀頃には中国からの移民によって市民社会が形成されています。1819年1月、イギリス人ラッフルズ卿がシンガポールに来航。自由貿易港としての潜在性を見抜いたラッフルズ卿は、イギリスの植民地として近代シンガポールの基礎を作り始めます。その後、中国、インド、マレーシアおよびヨーロッパからの移民が押し寄せ、シンガポールの人口はラッフルズ卿が来航した1819年の約1000人から、5年後の1824年に約1万700人まで急増。更に1860年には、約7000 人のヨーロッパ人を含む、約8万1000人まで増加したという記録があります(注1)。
1869年のスエズ運河開通以降、シンガポールはヨーロッパと東アジア地域との海運貿易の経由地としての立地を活用。国際貿易にかかわる港湾設備を整備すると共に、交通、通信や金融といった経済的社会基盤を整えることで、東南アジア地域における活気ある港湾の1つとして、着実に発展して行きます。第二次世界大戦開戦当初、シンガポールは一時的にイギリス軍の要塞となりましたが、1942年に日本軍によって占領されます。終戦直後の1945年9月、イギリス軍がシンガポールに帰還。その後10年以上に亘り、イギリスが継続的にシンガポールの防衛、警察、外交の管理を行います。
1958年5月、イギリスとシンガポールの両国が、ロンドンでコンスティテューショナルアグリーメントを締結。翌1959年、第一回普通選挙が実施されます。その結果、リー・クアンユー(李光耀)率いるPeople's Action Party(PAP)が、53議席中41 議席を獲得。リー氏がシンガポールの初代総理大臣に就任します。その後、PAPはマレーシア連邦の一部分として、イギリスからの独立を目指します。しかし、マレー人が主流であるシンガポール以外のマレーシア連邦の地域と、中国人が主流であるシンガポールとの間で、政治の枠組み、国家の財政、市場の仕組みなど、国家運営における重要な部分に関して、コンセンサスを打ち立てることが困難となります。その結果、シンガポールをマレーシア連邦から分離して独立するという案が浮上。1965年8月9日に独立宣言を行い、シンガポールは独立国家となります。
1968年以降、PAPは総選挙で60%以上の得票率を誇る政党として、持続的にシンガポール国民から支持を受け続けています。国家のリーダーは、1959年から30年以上首相として活躍した初代首相リー・クアンユーから、1991年に第2代首相ゴー・チョクトン(呉作棟)へ、そして2004年には第3代首相リー・シェンロン(李顯龍)へと、引き継がれています。この政治的安定が功を奏し、短期と長期の両面から戦略的に政策を実施することが可能となっています。独立後、シンガポール政府は先進的ビジネス環境の整備を第一目標と掲げ、海外からの投資を呼び込むために、外国資本に対する規制緩和と優遇税制を実施します。また、自国通貨であるシンガポールドルを安定させる為に、高度な為替保護政策を取り続けます。更に、シンガポール国民に対しては、高い貯蓄を奨励して行きます。加えて、国家独立までシンガポールでは、5つの主要な言語と20の方言が使われていましたが、シンガポール政府は、1965年の独立以降、英語、マレー語、中国語、タミール語の4つの主要言語を選択。文化の維持と国際ビジネスへの対応の両立を狙った言語教育を推進します。
1960年代後半から1970年代に掛けて、製造業を中心とする産業資本を外国から誘致。1980年代以降、土地と人件費の高騰を受けて、シンガポール政府は1990年代前半からアジアパシフィック地域における国際ビジネスのハブとなる政策の方向性を継続しつつ、誘致する産業を金融業やIT産業といった高付加価値産業に絞ることで、低付加価値部門は別の人件費の安い国へ移動。シンガポール国内の産業構造は、効率的なバリューチェーンへと変化して行きます。1990年代中頃までに100社以上の多国籍企業が、シンガポールにアジアパシフィック地域の中心拠点を構築。アジア通貨危機が起こる1997年まで、シンガポールは約8%の成長を継続して行きます。アジア通貨危機の発生時、タイ、マレーシア、インドネシアといった近隣諸国の経済は甚大なダメージを受けたものの、シンガポールでは、この通貨危機の影響は軽微なものでした。1998年には再び政策を刷新。税制優遇、人材育成、そして社会的インフラの整備を行うことによって、多国籍企業の誘致に益々力を入れています(注1,2,3,4)。
シンガポールの人材育成
シンガポール政府の統計局 (DOS: Singapore Department of Statistics)によれば(注5,6)、シンガポールの人口は、1995年298万6500人、2000年401万7733人、そして2007年458万8600人と増加しています(上記統計は全て6月末時点)。国家単位としての人口密度は高く、モナコに続き世界第2位です。
さて、前述のシンガポールへの外国資本の誘致を行った場合、外国企業に対する優秀な労働力の供給が不可欠となります。そこで、シンガポール労働省(MOM: Singapore Ministry of Manpower)とシンガポール教育省(MOE: Singapore Ministry of Education)が中心となり、シンガポール国民の教育水準の向上と、海外からの優秀なビジネスマンや熟練技術者の招聘という両面から、その対策を講じています。まず、シンガポール国民の教育水準の向上に対しては、シンガポール国立大学 (NUS: National University of Singapore), 南洋工科大学(NTU: Nanyang Technological University)、およびシンガポール経営大学 (SMU: Singapore Management University)の3つの大学が中心となり、国際舞台で活躍できる人材育成を行っています。
また、シンガポール国内にいながら、直接、海外の大学教育を受ける枠組みを斡旋する機関があります。たとえば、APMI(Asia Pacific Management Institute)という大学教育取次機関の場合には、イギリスのフル大学、オーストラリアのモナッシュ大学および南オーストラリア大学、アイルランドのユニバーシティ・カレッジ・ダブリン、アメリカの南イリノイ大学などと提携。ビジネス・アドミニストレーション、マーケティング、人的資源管理、リーダーシップ、情報システム、そしてファイナンスといった分野の修士課程などのコースを提供しています。このような学習を社会人が行う場合、学費が所得税の控除対象となります。更に、税制や永住権取得の優遇措置などを実施するによって、国際的に活躍している優秀なビジネスマンや高度な技術者を、海外から積極的にシンガポールに招聘しています。その結果、全人口に対する大学卒の人口の割合は、1990年から2000年までの10年間で、シンガポールの市民権取得者で4.0%から9.5%に、永住権保持者で14.2%から32.7%に、順調に増加しています(注7)。
シンガポールの外資誘導政策
現在、シンガポールには外資を誘導する政策として、財務省(MOF: Ministry of Finance)による全企業を対象とした法人税の低税率政策に加え、1980年代中頃から開始した、経済開発庁(EDB: Economic Development Board)による製造業およびサービス業向けの外資誘導政策と、2000年以降に導入された、シンガポール通貨監督庁(MAS: Monetary Authority of Singapore)による金融業向けの外資誘導政策が存在します。
1980年初頭にシンガポール政府は、製造業とサービス業を経済成長推進の2業種と位置付けます。1986年、シンガポール経済開発庁は外資誘導政策の具体的施策として、多国籍企業本部の中枢的事務処理をシンガポールに誘致するために、「オペレーショナル統括本部」(OHQ: Operational Headquarters)という税制優遇措置を導入しました。これは主に大規模な多国籍企業が、他の国々にある子会社や関連会社のマネジメントや本部機能をシンガポールに設立した場合に、軽減税率を適用する制度です。前回のレポートで紹介したスイス米系投資銀行のグロープ内オフショアリング拠点構築は、このOHQの制度を活用したケースでした。
その後、ビジネススタイルの変化に対応する過程で、「ビジネス統括本部」(BHQ:Business Headquarters)、「製造統括本部」(MHQ: Manufacturing Headquarters)、「グローバル統括本部」(GHQ: Global Headquarters)などの制度へと拡大して行きます。2003年、制度全体の見直しが行われ、隙間ビジネスを行う中小規模の多国籍企業に対する「地域統括本部」(RHQ: Regional Headquarters)という新たな制度が追加されると同時に、既存のBHQ、MHQおよびGHQの制度は、グローバルビジネスを行う大規模多国籍企業に対する「国際統括本部」(IHQ: International Headquarters)という制度に統一されました(注8)。
地域統括本部(RHQ)に対する適格要件は、シンガポール国内での会社設立後3年間の事業拡大過程における、資本金の規模とその変化、サービスを提供する国の数、熟練労働者の割合、新規専門職雇用数、従業員1人当たり付加価値額、従業員上位10名の年間平均給与額、年間事業支出最低額、累計総事業支出最低額などの項目で規程されています。これに適していると判断された場合、軽減税率が適用されることになります。また、国際統括本部(IHQ)とは、地域統括本部の適格要件を超える事業を行う多国籍企業に対する措置で、軽減税率は経済開発庁との個別協議により決定されます(注9)。このように法改正を随時行いつつ、経済開発庁は目標数値を掲げて外国企業の誘致を行っています(注8)。
また、シンガポール通貨監督庁による外資誘導政策は2つあります。まず、2002年に発表された「金融分野インセンティブ制度」(FSI: Financial Sector Incentive Scheme)は、多国籍金融グループのフロントオフィスやバックオフィスの誘致を狙った措置です。地域統括本部としての機能、発行市場および流通市場における金融商品の取引量、そして会社の事業規模といった項目が規定を超えた場合、軽減税率が一定の期間に亘り適用されます。一方、2005年に発表された「認定金融財務センター制度」(FTC:Approved Finance and Treasury Centre)は、製造業とサービス業などの多国籍企業における為替変動リスク管理を担当する財務部門の誘致を狙った措置です。この部門をシンガポールに移動した場合、外為取引、オフショア投資、金融サービスの提供などによって発生した所得などに対して、軽減税率が一定の期間に亘り適用されます(注9)。
シンガポールの社会的インフラストラクチャー
ここまで説明をしてき通り、天然資源が乏しいシンガポールが、ここ数十年に亘って行ってきた外資誘導政策は、長期安定政権の下、財務省、労働省、教育省、経済開発庁、通貨監督庁の各省庁が、横の連携を密にして取り組んできた成果と見ることができます。その結果、冒頭で紹介した世界の金融市場インデックスによれば、現在、シンガポールは世界ランキング第4位、アジア地域に絞れば香港に続き第2位の金融市場という評価を得ています。
タンジャン・パーガー、シティ・ホール、ラッフルズ・プレース、サンテックシティといった中心的ビジネス街(CBD: Central Business District)には、金融機関を含む多国籍企業がオフィスを構える高層ビルが立ち並び、シンガポール通貨監督庁(MAS)や、シンガポール金融取引所(SME: Singapore Monetary Exchange)なども、その域内に位置します。公共住宅公社であるシンガポール住宅開発局(HDB: The Housing and Development Board)が供給する高層公共住宅が国内全域に数多く存在し、シンガポール国民の8割以上が、そこに居住しています。シンガポール国内には、地下鉄網(MRT: Mass Rapid Transit)とバス網に(SBS: Singapore Bus Serviceなど)に加え、CTE(Central Expressway)、AYE(Ayer Rajah Expressway)、PIE(Pan Island Expressway)などの無料高速道路が存在し、充実した交通網が築かれています。国民生活の基盤となる年金制度は、CPF(Central Provident Fund)というシステムに集約され、老後を安心して暮らせる制度になっているようです。
余談になりますが、今回のレポートでは、シンガポールのことをより深く理解していただく為に、シンガポーリアンの方々が日常的に使用しているPAP、MRT、CPF、HDB、NUS、MAS、SMEなどの3文字略語を、いくつかご紹介させていただきました。シンガポーリアンの方々と会話をする際には、この3文字略語をお使いいただくと、よりスムーズなコミュニケーションとなると思います。また、毎年、シンガポール独立記念日である8月9日に国立競技場などで執り行われるナショナルデーパレード (NDP: National Day Parade)は、シンガポールの「今」を理解するのに役立ちます。その模様は、主に海外に住むシンガポーリアンを対象として、インターネット同時中継が行われています。テーマ・スローガンは1992年から1996年まで「My Singapore, My Home」、1997年から1998年まで「Our Singapore, Our Future」、1999年から2001年まで「Together We Make The Difference」、2002年から2004年まで「Together, A New Singapore」、独立40周年の2005年は「The Future is Ours to Make」、2006年は「Our Global City」、そして2007年は「City of Possibilities」として盛大に開催されてきました。本年のテーマは2008年「Celebrating the Singapore Spirit」となっています(注10)。
さて次回は、同時期のアジアパシフィック地域の金融市場の変化について、ご報告致します。
