「新時代の日本的経営」の何が新しかったのか?―人事方針(HR Policy)変化の分析―

執筆者 梅崎 修 (法政大学)/八代 充史 (慶応義塾大学)
発行日/NO. 2019年2月  19-J-009
研究プロジェクト 労働市場制度改革
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概要

本稿では、主に日経連の報告書と日経連事務局を中心としたオーラルヒストリーを使って、日経連が主導した日本企業の人事方針(HR policy)の変遷を分析した。特に1995年に発表された『新時代の「日本的経営」-挑戦すべき方向とその具体策』を取り上げて、その人事方針の継続性と新規性を分析した。明らかになった事実は、以下の4点である。

(1)1970-80年代の職能を軸とした「能力主義」という人事方針の時代、職能資格制度と職能給が抱えていた課題はポスト不足であった。その対処として企業内専門職制度が導入された。
(2)「新時代の日本的経営」は、「雇用ポートフォリオ」の起源として総人件費削減や雇用不安と関連付けられて批判されてきた。しかし、「雇用ポートフォリオ」は、バブル経済期の1980年代後半にフロー人材とストック人材の2分類として提示されていた。つまり、経営業績が悪化によって「雇用ポートフォリオ」が生まれたわけではないと言える。
(3)「新時代の日本的経営」は、1970-80年年代の人事方針である「長期的な視野」と「人間尊重(=人材育成側面の重視)」に関しては継承すべきという立場であった。
(4)「新時代の日本的経営」の人事方針としての新規性は、2分類であった「雇用ポートフォリオ」を3分類にした点であった。「高度専門能力活用型グループ」は短期勤続を前提としている点で、1980年代までの企業専門制度とも異なる。この新しい人材像は、高付加価値人材は企業内キャリアだけで育成されないという主張を含んでおり、そのために職能主義から職務主義への移行が目指されていた。ただし、3分類か2分類かについては意見の対立も推測される。加えて、2000年代前半時点では「高度専門能力活用型グループ」の拡大は確認できない。すなわち、人事方針として提示されたが、人事施策として機能してない。

以上要するに、「新時代の日本的経営」は、「雇用ポートフォリオ」という人事方針を継承しつつ、新しく「高度専門能力活用型グループ」という人事方針を提示した。そして、前者は人事施策として継承されているが、後者は、現場に定着しない理想論であったと言えよう。ただし、その理想は早すぎた理想論であったなのかもしれない。2000年以後の日本企業の人事を考えると、「新時代の日本的経営」は形を変えて、現在も繰り返し議論されている問題と考えられる。