通説を撃つ 「好況、デフレ下では不可能」は誤り
企業利益改善テコに実現

吉冨 勝
RIETI所長・CRO

経済の動きを説明する「通説」や「俗説」は多いが、たゆまぬ検証が求められる。まず、「デフレである限り、景気は回復せず、好況は望めない」という通説から撃ってみたい。

景気刺激策なきデフレ下の回復

「踊り場」脱却をめぐる議論が盛んだ。しかし3年半に及ぶ最近の景気の回復と、盛んに議論された「デフレ罪悪論」との関係は、ほとんど誰も論じない(例えば今年度の「年次経済財政報告」)。学会とてそうだ。

デフレは続き、金融政策の景気刺激指標である通貨供給量(マネーサプライ、M2+CD)の伸びは鈍化している(表)。加えて、公的資本形成も1999年から05年初にかけ何と4割も減っている。ところが景気は02年春から回復しており、04~05の両年度も実質成長率はおよそ2%である。

「デフレ(物価下落)が景気回復を阻む」というデフレ罪悪論の主張とは反対の現象が生じているわけだ。この主張の因果論に注目してほしい。デフレが原因で景気は回復しない(デフレ→景気悪化)という主張である。ではデフレがどんなメカニズムで景気の回復を阻むのか。2つのメカニズムが主張された。1つはデフレによる実質金利の高止り。2つは、物価下落を予想すると今日の消費は明日に延ばされるので需要がさらに落ち込みデフレが深刻化していくという、デフレ・スパイラル論だ。

両者は関連している。というのは、実質金利は「名目金利マイナス期待インフレ率」である。デフレスパイラルの期待が働くと「期待デフレ率」はどんどん大きくなり、実質金利はどんどん高まっていくからだ。

本当だろうか。内閣府の「国民生活モニター調査」(期間は01年4月~04年3月)を使った研究(堀・清水谷、04など)がある。家計のデフレ期待率についてほぼ唯一といってもよいこの研究は、実際の消費者物価のデフレ率が1%でも、期待デフレ率はせいぜい0.2%だったことを示す。デフレの下方スパイラルは働かなかったのである。これだとゼロ金利下で実質金利はプラス0.2%程度となる。

ではこの程度の実質金利の高止まりが、景気の足を引っ張ったといえるのだろうか。問題は、実質金利が一体何に比べて高すぎるか、という点だ。金利と比較すべきは企業の利潤率である。

コペルニクス的発想の転換必要

コペルニクス的発想の転換が必要だ。デフレのため実質金利が高すぎたというより、企業の利潤率が低すぎて、たいして高くもない実質金利をクリアできなかった、と考えればよいのである。

先の期待デフレ率を使うと、消費者物価のデフレ率が1%という最悪のときでも、短期金利では名目ゼロで実質は0.2%、長期金利でも名目が1.3%で実質は1.5%だ。まずこの程度の実質金利が「高すぎる」とはいえない。高い実質金利が景気回復を阻んでいるというよりも、むしろ逆に企業の利潤率が低すぎたと考える方が素直である。

そうして実際、デフレが続くなかで、中小企業を含む全企業の売上高経常利益率(日銀短観)が高まり、設備投資が増加している。とりわけ大企業では製造業・非製造業ともに利益率がバブル期(88年~89年度)を上回っている。

では企業の利益率を大きく改善した要因は何か。3つの要因だけを挙げる。

第1は賃金デフレで、それは現金給与総額(実質)の下落に明らかだ(表)。その結果、異常に高かった労働分配率は下がり、利潤分配率が物価デフレの下にあっても上昇していった。労働分配率はピークの90年代末に73%もあったが、今年初は65%と、80年代のバブル期(62%前後)に近づいている。

第2はバランスシートの立て直しだ。それにより、物価デフレよりもはるかに深刻だった資産デフレからの脱却がほとんど完了した。地価、株価など資産サイドのデフレが、債務残高の実質価値をどんどん高めたため、債務の返済が企業の利益を圧迫した。ようやく01-03年ごろにキャッシュフロー(手元資金)に対する有利子負債の比率がバブル期直前(85年度)の水準に戻った。

それと裏腹の関係で、銀行の不良債券比率が05年3月には2.9%になった。直近のピーク8%超(01年度下期)から大きく低下し、金融危機の原因は取り除かれた。

「デフレ罪悪論」では物価デフレが不良債権問題を悪化させているといわれた。だが現実には物価デフレが続くなか、資産デフレからの脱却が進んだのである。

第3に東アジアでは直接投資と貿易のリンクに支えられ新しい産業内垂直分業の形成と生産ネットワークが樹立された。たった2-3年前には「中国の台頭→安価な中国品の輸入急増→日本のデフレの深刻化」という議論が大勢だった。現実はその逆だ。日本から中国への輸出拡大が続き、それが日本の景気回復を促したのである。

というのは、中国の貿易では加工貿易が全体の6割近くを占める。その加工貿易の8割前後は直接投資を行った外国企業による。しかも中国の加工貿易は、日本や台湾、韓国から技術集約度の高い高度な中間財(部品、コンポーネント、素材など)を大量に輸入し、それを低賃金で加工して最終財を世界のあらゆる市場に輸出している。

中国など東アジアへの日本の輸出はこうした生産ネットワークの樹立に基づく恒久的な性格を備えている。純輸出の増大(表)がそれを示す。

デフレ脱却の関連指標

「桃源郷」にある現在の日本銀行

「デフレ罪悪論」は、日本銀行による過激な量的緩和を主張し、その景気刺激効果に強く期待した。しかし量的緩和政策(01年3月から実施)が果たした役割は金融システムの安定だった。

金融システムの安定化は、預金の急激な引き出しに備え金融機関が大量の日銀当座預金残高をもつことで補強された。

だが景気刺激上の効果をみると、量的緩和はベースマネー(現金と日銀当座預金)を増やしても銀行貸し出しの減少を止めたりM2+CDの増加率を高めたりしたわけではなかった。量的緩和政策の景気刺激効果が明らかでない限り、量的緩和がインフレ期待を生むかどうかも明らかでない。

加えて量的緩和が長期金利の上昇も抑えるといういわゆる「時間軸効果」も2つの理由で疑わしい。1つは、長期金利の沈静化はいわば世界的現象であって、日本だけで生じているわけではないことだ。米国に至っては、04年半ばまでの1%から今日にかけ3.5%まで上げたのに、国債の長期金利は4%台にとどまり続け、弱含みになるときさえあった。もう1つには、長期金利は企業のキャッシュフローが設備投資を上回るといった資金の供給過剰を反映したり、また今日のように世界的に落ちついた長期のインフレ期待に影響されるという点である。

金融システムが安定化した今日、量的緩和政策の基本的目的は達成された。システムが安定化すれば金融機関による日銀当座預金残高に対する需要は減る。その結果、日銀が金融機関へ流動性を供給しようとしても、それに対する需要が不足し、いわゆる「札割れ」が頻繁に生じるのは当然である。

日銀は今、奇妙な桃源郷のなかにある。インフレの番人としてインフレを心配する必要がない。しかも、マネーサプライの増加率は2%以下で、インフレの火種もない。むしろデフレが早く終わって適度なインフレが再来することを望んでいる。かといって、デフレが景気の足を引っ張るどころか、日本経済は1.5%程度の潜在成長路線で好況を迎えている。「デフレ罪悪論」からみても奇妙な光景である。

真の政策課題は、この成長路線を高めるイノベーション(革新)の促進や、公的金融、年金を含む総合的な政策パッケージの形成なのである。

2005年2月14日号『週刊エコノミスト』(毎日新聞社)に掲載

2005年9月12日掲載

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