共通通貨創設の鍵となる「為替レート安定化」3つの条件

吉冨 勝
RIETI所長・CRO

1999年10月下旬、東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス日中韓の識者26名がソウルで「東アジア・ビジョン・グループ」(EAVG)を結成し、第1回ミーティングを開いた。金大中大統領(当時)が各国に呼びかけ、司会は韓昇洲高麗大学教授(当時、元韓国外相・前駐米大使)が務めるという、韓国主導のハイレベルな会合であった。

東アジアの将来を話し合う共通プラットフォームとして発足したEAVGには各国から2名の専門家が招かれた。日本から参加したのが田中明彦東大教授と当時アジア開発銀行研究所所長を務めていた私だった。

以来、2001年5月の第5回ミーティングまで、経済、政治、文化など多岐にわたるテーマが話し合われた。最終的には同年11月に「東アジア共同体に向けて」というタイトルの報告書を作成。「東アジア共同体」のビジョンが初めて具体的に提案されることとなった。このとき主に田中教授が「政治」、私は「通貨」に関する分野を担当している。

その後、EAVGでは東アジア共同体構想に消極的だった中国が一転して「EAVGが提案したビジョンを具体的な政策に」と動き始める。

その結果、03年9月、幹事役中国の首都・北京で「東アジア・シンクタンク・ネットワーク」(NEAT)が設立された。これはネットワークで結ばれた東アジア各国の研究機関が、通貨・経済統合をも視野に入れた政策論議を深めていくことを目的とする。さらに昨年8月のバンコクでのNEAT総会で、具体的な政策提言をしていくためのワーキンググループを作ることが決定し、同年11月に「新しい不均衡の解決を通してアジアの経済統合を促進する」ためのワーキンググループを誕生させた。経済産業研究所がそのスポンサーに、私が座長に就いている。

ちなみに「新しい不均衡」とは、「米国の赤字とアジアの黒字」を指している。世界的な問題となっているこの不均衡問題を解決するとき、それが東アジア経済統合を促進するよう役立てるためには、どのようにして協力・協調関係を築いていくか、というのがこの主旨である。

今年は8月にNEATの総会が東京で行われる他、12月にはクアラルンプールにおいて「東アジア首脳会議」が開催される。東アジア共同体への第一歩としての注目を集める同会議に向けて、NEATでは政策提言を行う予定だ。

以上が東アジアの通貨・経済統合を巡る動向の概略である。以下、共通通貨形成に必要な条件・政策を解説する。

前提となる「為替レート安定化」に必要な政策

アジアの共通通貨というと、欧州の共通通貨ユーロ(EURO)とすぐ比較される。ユーロは02年1月にスタートしたが、それは欧州経済共同体(EEC)が57年に結ばれてから、実に45年も経って実現された。共通通貨の形成は、何故そのように長い道程になりがちなのか。それを理解するには、どのような政策を経て初めて共通通貨が出来上がるのかを知る必要がある。

ユーロは欧州の15の通貨(イギリス・ポンドを除く)を1つに束ねた共通通貨だ。しかし、それぞれ違った購買力を持つ通貨、例えばマルクとフランという2つの通貨を、1つの共通通貨にするためには、両通貨間の為替レートは完全に固定されて不動でなくてはならない。マルクとフランの間の為替レートが絶対に変わらないのであれば、マルクを保有していようとフランを持っていようと、いずれの購買力も変わらないから、この両通貨を束ねて、マルクでもフランでもない1つの共通通貨を作ることができる。

アジアの場合、例えば日本円と中国人民元の間の為替レートが永久に固定されなければならない(現在はおよそ13日本円=1人民元)。それが可能になれば、この世から日本円も人民元も消え失せて、1つのアジア共通通貨、例えばACU(Asian Common Currency)だけがアジアでは流通するようになる。

さらにACUという1つの通貨しか存在しなくなるのであれば、各国の中央銀行も消滅して、アジアで唯一の新たな中央銀行(例えばAsian Central Bank、ACB)を樹立し、そのACBがアジア唯一の「通貨の番人」として共通通貨ACUを発行することになる。

では通貨の番人とは何か。それは中央銀行によるインフレの管理であり、そのための通貨政策を指す。インフレはその国の為替レートの動きに大きく影響する。となると、各国が自国のインフレをすべてうまく安定化させて初めて、各国間の為替レートもお互いに安定しやすくなり共通通貨への素地が作られる。

では、アジア通貨の為替レートの安定は、一体どんな政策によって実現するのだろうか。それは3つに分けて考えられる。第1に、国内の経済政策、とりわけ通貨政策と財政政策が、為替レートの大きな変動を生むことのないように運営されることである。

第2に、アジア域内で貿易、直接投資、金融サービス、金融資本の移動が活性化し、外的経済ショックが生じてもそれを域内でうまく分散して吸収できるよう、経済統合を進めておくことである。

第3には、大きな経済ショック、例えば米ドルの暴落や、97~98年のアジア危機(資本収支危機)のようなアジア通貨の暴落が生じても、それを協調して吸収できるような通貨協力の仕組みを作ることである。

一方で、インフレ管理を危うくする要因がいくつもある。1つは、財政赤字が大きくなるときだ。この財政赤字を穴埋めするために、中央銀行が安易に国債の購入を引き受けて埋め合わせようとすると、マネーサプライ(通貨供給)が増えてインフレになり易い。実際こうした問題は、EUでも78~79年にフランスのミッテラン大統領の社会主義政党政権下で財政拡張政策がとられたときに生じた。フレンチ・フランは急落し、ドイツ・マルクとの為替レートの安定が大きく崩れた。92~93年には、イタリアで財政赤字が大きくなってインフレになるのではないかという予想が市場では強く働いて、ドイツ・マルクと固定レートを保とうとしていたイタリア・リラが大きく崩れた。

こうして各国のマクロ経済政策をめぐり試行錯誤の長い道程が生じた。そこからの教訓を学びとりユーロを不動のものにするため欧州では、各国の財政に共通の規律を課すことにした。マーストリヒト条約(93年)がそれである。財政赤字はGDP比の3%以内、政府債残高はGDPの60%以下に保つという財政規律の導入だ。しかしながら、財政状況は不況の深刻度や経済の発展段階に応じた物的インフラの建設の需要の大小などを反映して、各国の間で大きく異なりがちなため、厳しい共通の規律を課すのは難しい。

近年の貿易統合が金融・通貨統合に道を拓く

アジア経済の貿易面での統合が進むと、共通通貨形成への素地が固まってくる。

アジアの貿易統合は、3つの面から進んでいる。(1)域内貿易比率の上昇、(2)生産・流通ネットワークの形成、(3)自由貿易協定(Free Trade Agreements、FTAs)だ。

第1の域内貿易の比率の上昇は、貿易論では「引力論」で説明される。2国間の引力にあたる貿易は、重力にあたる国の経済規模とその経済成長率に比例し、2国間の距離には反比例するというわけだ。これによると東アジアのように経済成長率が高く(7~8%、他の地域では2~3%)、日本、中国のような大国が存在していると、そうした大国とのアジアの貿易の比重は高まる。しかも、東アジア諸国は地理的に近接しているので、運輸・通信費用などの取引コストが小さくて済み、お互いの貿易関係(引力)が強まる。

こうして、東アジア各国の域内の貿易比率は全貿易の今や50%以上を占めるようになっている。

2つ目の統合促進要因は、東アジア内で出来上がっている産業内垂直貿易である。例えばエレクトロニクス産業では、日本が資本集約的で技術集約度も高い、半導体製造装置や電子部品、電子材料を輸出し、韓国や台湾の中進国がそれに続く技術集約度の高い部品・コンポーネントを輸出し、中国がこれらを輸入し、安い労賃で加工・アセンブルして、最終製品である情報機器(パーソナル・コンピュータなど)として世界に向けて輸出している。中国を世界の工場と呼ぶのは木を見て森を見ていない類の観察と同じであり、実は東アジア全体が世界の製造センターになっているのである。

以上のように、東アジアの貿易統合が進むと、域内の民間の金融取引が活発になり、為替レートの調整も協調して行うというふうに、金融・通貨面での統合が進みやすくなる。

例えば、最近では、米国の経常収支赤字がGDP比6%近くにまで膨張しているが、この状況は持続可能ではないため、米ドルは30%下落する必要があるという説が国際金融論の学者の中では根強い。しかしこの場合でも、互いに協調し合うことによって東アジア通貨がすべて同じように30%、米ドルに対して強くなったとしよう。その場合は、アジア通貨側の為替レートは変動しないで済む。とすると、今や50%を占める域内の貿易は影響を受けないので、個々のアジア通貨の実効的な切り上げ率は30%の半分の15%で済む。これだと十分に対応可能な各国通貨切り上げ幅だと言えよう。

これはアジア通貨が強くなる場合だが、97~98年のように、国際短期資本が激しく移動すると、アジア通貨が暴落することもありうる。そのため、アジア危機で懲りたアジア諸国は自衛策上、膨大な外貨準備を積み上げた。この自衛策を共同防衛策に変えると、各国の外貨準備の大きな節約になる。

例えば、いま東アジアで各国が保有する外貨準備を15%ずつ拠出すると、2500億ドルもの外貨プールが出来上がる。これを共同管理して使えるEast Asian Monetary Fund(=東アジア通貨基金)にすることが出来る。

この基金は、加盟国の為替レートが余りにも大きく下落するとき、それを共同して防ぐために利用出来る。だから、こうした基金の形成は、東アジアでお互いの為替レートを安定させるような東アジア全体の為替制度を構築することを意味する。

こう考えてくると、アジアの共通通貨(ACU)に向けたアジア通貨間の為替レートの安定化は、ドル暴落に備えた、アジア通貨の協調的切り上げやアジア危機の回避に向けた東アジア通貨基金の形成を通して、一層促進されていくのである。

2005年2月23日号 『SAPIO』に掲載

2005年2月17日掲載

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