日本はこうしてデフレから脱却しつつある

吉冨 勝
RIETI所長・CRO

日本のデフレは「緩慢」かつ「循環的」

2003年10~12月期に、消費者物価(除く生鮮食品)の上昇率(前年同期比)がちょうどゼロになった。同期の実質GDPの成長率も3.6%(同上)と高かった。では、日本経済は本当に、デフレ(物価水準の絶対的下落)から脱却しつつあるのだろうか。そのためには、一体どういう要因が働いて、日本のデフレが克服されつつあるのか、それを見ておかねばならない。

1990年代以降の日本のデフレについて決して見逃してはならない特徴の1つは、それが「緩慢(moderate)」でかつ「景気循環的」なサイクルを描いている点だ。

「緩慢」とは、消費者物価の下落率(前年比)が最大で1%だったことだ(01年1~3月期から02年7~9月期)。

「景気循環的」とは、この10年余の間に、3回の景気循環が見られるが、消費者物価の変化率もほぼ同じようなサイクルを描いていることだ。96~97年の回復期にはプラス0.8%まで上昇率が高まり、97年11月の金融システムの動揺の後、はじめてデフレが発生した。しかし、99年前半にはゼロとなった。それが00年に入ってからの不況で01~02年には前述のようにマイナス1%のデフレとなった。そうして02年中ごろからの景気回復とともに、03年10~12月期にはゼロとなった、という具合である。

以下、緩慢なデフレが激しいデフレとどこで決定的に違っているのか、そうして小さなサイクルを描いてきたデフレが何を意味するのか、簡単に見ていこう。

デフレというと、多くのエコノミストは、1930年代の米国の大恐慌期を頭に描く。だがそのときのデフレ(物価水準の絶対的下落)は「激しく」(29~33年は年率マイナス10%近く)、かつ4年近くもサイクルを描かず一本調子で「継続的」に下落していった。その理由は、実体経済そのもの(実質GDP)がほぼ一本調子で合計25%近くも落ちていったからである。だから、デフレと実質GDPの下落を合計した名目GDPはこの大恐慌期に半減したのである!

緩慢なデフレと激しいデフレの差は経済学的にも非常に重要である。デフレ最大の問題は、負債の実質価値が物価の下落とともに増大することにある。このために負債者(多くの場合、企業)による債務返済が困難になるからだ。ところでその債務増大の大きさは、実質金利(名目金利マイナス物価上昇率)で測ることができる。だから仮に名目金利は今日の日本のようにゼロ金利の場合でも、実質金利はデフレの分だけプラスになる。

したがって米国の大恐慌期には、実質金利は少なくとも年率10%はあったことになる。こんなに高い実質金利では企業は設備投資ができるわけがない。実際、大恐慌期の米国の設備投資は激減し、33年には減価償却費さえ下回るようになった!

だが、日本はどうか。ゼロ金利の下デフレが1%なら、実質金利は1%である。これは短期金利だ。10年物国債の名目金利は1.5%くらいだから、実質長期金利でも2.5%くらいである。これは決して高い金利ではない。

本来、実質金利は名目金利から「期待」インフレ率を差し引いた値として計算する。では「期待」デフレ率はどうなっているのだろうか。内閣府の「国民生活モニター」(2400世帯、01年4~6月から03年4~6月)によると、期待デフレ率は、現実のデフレ率が1%前後だった時も、せいぜいマイナス0.3%くらいであった。だから実質金利は、0.3%から1.8%(短期~長期)という低い値となる。

これくらいの実質金利で高すぎるのならば、それは企業の設備投資の利潤率が低すぎるからだ、と考える方が素直であろう。つまり、日本の緩慢なデフレの下では、緩慢であるがゆえに、高すぎる実質金利という大きな弊害が発生しているとは言い難いのである。

02年以降の回復の3つの特徴

では、日本のデフレの景気循環的サイクルは何を意味しているのだろうか。02年から始まった今回の景気回復は、バブル崩壊後、実は3回目である。ところが今回の回復期には、前2回(95~96年と99~00年)には見られなかった3つの特徴がある。最初に列挙しておくと、(1)ケインジアン的刺激政策のない中での自律的回復、(2)企業の利潤率の水準が、賃金デフレとバランスシートの調整の大きな進捗によって、これまでの回復期よりも高くなっていること、(3)アジア地域全体が世界の工場となり、この新しい分業に組み込まれた日本の輸出がアジア向けに大きく伸びていること、の3つである。

使い尽くされたケインジアン政策
第1の特徴は今回の回復が、ケインジアン的景気刺激政策が日本ではほとんどすべて使い尽くされてしまった後に生じている点だ。マクロ経済刺激政策の助けなき回復だと言い換えてもよい。日本でとられてきたケインジアン的財政刺激策の代表は公共投資の増大だった。その結果、GDP比で一般政府の赤字は7.4%に達し、中央・地方政府の債務残高は155%にも達してしまった。その公共投資(公的固定資本形成)が00年から毎四半期、年率5~6%で減少し続けている。今回はその中での景気回復である。今回とは違って前2回の回復の場合、96年も99年も公共投資は増えて、需要回復を後押ししていた。

ケインジアン的金融政策も枯渇してしまった。金融政策も今回の景気回復を後押ししたとはとうてい考えられない。01~02年にデフレが深刻化した時(といっても前述のようにマイナス1%)、いわゆるインフレ目標論者は、デフレ克服のため思い切った金融の量的緩和、つまりベースマネーを大量に増やすことを提案した。実際に日銀は、01年央から、市中銀行が日銀に預ける当座預金残高を急速に増やしていった。02年には15兆円、03年春に福井俊彦総裁が就任する前にはすでに25兆円近くに達していたし、今日では30兆円以上にのぼっている。

量的緩和は効果がなかった
それでは、今日30兆円以上にものぼる市中銀行の当座預金残高に代表される量的緩和、つまり、ゼロ金利の下でのベースマネーの増大が、果たして今回の景気回復に貢献しているかどうか、という問題である。答えは限りなくノーに近い。

まずはっきりしていることは、ゼロの短期金利の下でいくらベースマネーを増やしても、金利がゼロ以下に下がるわけではないから、金利引き下げの効果は働いていない。

長期金利への量的緩和の影響はどうか。長期国債10年物の金利は03年の春には0.5%まで下がった。これはデフレ悲観論の真最中で生じた国債バブルの結果だったが、その後景気回復の兆しがはっきりするにつれ、ほぼ1.5%弱で落ち着いている。日銀は01年3月に、「消費者物価(除く生鮮食品)の上昇率(前年比)が安定的にゼロ%以上になるまで、量的緩和ないしゼロ金利政策を継続する」というアナウンスを行った。この3年も前のアナウンスが市場へ浸透し、最近のように消費者物価の上昇率がゼロになっても、近い将来、短期金利が上昇することはないという期待が市場で定着し、したがって、長期金利も1.5%以下にとどまっている、と考えられる。しかしこの水準の長期金利はすでに3年前の01年から続いており、最近になって特に低くなったわけではない。

では金利ゼロの下で、ベースマネーの増大(前年比15~20%)という量的緩和は、どういうチャネルなりメカニズムを通して、経済活動を実際に刺激するのであろうか。実は経済学的には、そのチャネルが明らかになっていないのである。「――理論の世界でも実証の世界でも、ゼロ金利の下で『量』を増やすということの効果については、決着がついていない――」(須田美矢子・日銀審議委員「量的緩和政策について」、日銀調査月報04年1月号)。

そうして実際、現実の経済活動と最も関係の深いマネーサプライ(M2+CD)は、03年には1.5%(前年比)でしか増えていない。あえていえば、これは02年の3%の増加率に比べ低くさえなっている。ベースマネーとマネーサプライの間が断ち切れているのである。その理由は、銀行信用が減少し続けているからだ。

03年から04年にかけて、円高の阻止をめざした、前代未聞の大量の介入が外国為替市場で行われ、その結果として外貨準備が急増している。外国為替市場での円売り・ドル買いの介入は、ベースマネーの供給を増やす。だから巨額の介入は、同じく巨額のベースマネーを増やすことになる。ではなぜそれほど巨額な介入が可能か。その理由は、日銀がベースマネーを大量に増やしてもよい量的緩和政策を採用しているからである。そうでなければ、介入によるベースマネーの増大を事後的に抑えるため、大量に不胎化(短期債を売ってベースマネーを吸収する)しなくてはならなくなる。加えて、ベースマネーをいかに大量に増やしても、前述のようにそれがマネーサプライの増大につながらず、インフレの恐れがないためである。他の国でこんなことをまねしたら、いっぺんにインフレになってしまう。

前述の銀行信用残高の減少には、2つの要因が働いている。1つは市中銀行が自己資本比率(自己資本/資産)の低下を恐れて、信用リスクの高いと思われる融資を積極的に増やそうとはしていないからだ。2つに、借り手の企業はキャッシュフローが増えても過大な債務残高を減らし続けてきたからだ。このため企業部門では、その貯蓄(内部留保)が投資(設備と在庫投資)を上回るという異常な貯蓄・投資バランスになっている。通常は、投資に比べ内部留保が少なく、その投資超過を銀行融資を含めた外部金融に頼るのが企業部門の常態だが、その逆になっているわけである。

自律回復力の源泉
それでは、ケインジアン的景気刺激策の助けもなしに、どんな力が働いて、民間部門が自律回復しつつあるのだろうか。

それを解く鍵は2つある。1つは企業のバランスシート調整の進展。2つは、企業の利潤率(資本効率)の上昇である。

まず企業のバランスシートの調整は、80年代に膨らんだ異常な過剰債務の返済と資産(土地と株)デフレの終焉によってのみ、進展する。前述のようにケインジアン政策が枯渇するまで徹底的に動員されたことに助けられて、停滞の10年と言われる期間にも、実質GDPは合計10%増え、そうした中でようやく企業のバランスシートの調整も終わりを迎えつつある。企業の債務残高/売上高の比率や地価/名目GDPの比率がバブル前に戻ってきているからである。

だが自律回復力を支える積極的な鍵は利潤率の上昇にある。前述したように、マイルドなデフレの下では実質金利はせいぜい0.3~1.8%(短~長期)程度であり、これが高すぎるというより、真の問題は、この程度の実質金利でさえクリアできない企業の利潤率の低さにこそあった。

それを端的に示しているのが、労働分配率の異常な高まりだ。02年には75%にまで上昇した(国民所得統計)。これは米国を抜いて世界の中で最も高い。80年代に日本の平均は65%だった。これを反映して、資本収益率(営業利益/有形固定資産、「法人企業統計」ベース)は、80年代は平均12%を確保し、実質金利約5%を優に上回っていた。だが、90年代末には資本収益率が5%さえ割るようになっていった。

デフレの下で企業の利潤率を押し下げる大きな要因は、名目賃金の上昇率がマイナスになりにくいという下方硬直性である。企業の売り上げ価格が下がるのがデフレなのだから、名目賃金もデフレにならないと、利潤が圧迫され、労働分配率が上昇して資本収益率は低下し続ける。名目雇用者報酬は97年までは上昇し続けた。銀行システムの危機(97年11月)が発生して以来、賃金デフレも始まったが、それが加速したのはようやく01~03年の最近3年間だった。03年には、賃金デフレが2.9%に及んだ(国民所得統計速報)。

これに加えて、企業の利潤率を高める重要な要因は、技術革新による生産性(全要素生産性)の上昇である。これは単にデジタル家電とか新・三種の神器(一眼レフデジタルカメラ、薄型液晶テレビ、DVDレコーダー)に限られない。

03年末に中国の重慶市を訪れたとき、日本の援助で建設が進んでいる大型モノレールの現場をみた。中心部に1000万の人口を抱える重慶は山岳都市である。そのため、通常の路面電車やバスや地下鉄の建設は難しい。そこでモノレールとなったわけだ。その山岳都市で行われるモノレールの基礎工事には、穴掘りやトンネル掘りが上手な、しかし日給300~400円の日雇い労働者が何万人と集められた。そのうえに立つY字形の支柱には、中国製の強化セメントが使われた。つまり、非常に労働集約的な土木工事や中程度に技術集約的な強化セメントはもっぱら中国コンテンツである。ところが全モノレール工事費の6割を占めるのは、日本が比較的優位をもち高度な機能をこなせる大型建設機材や車両である。例えば、その車両は、日本の技術の粋、つまり制御・管制・通信技術の信号システムを組み込んだ鉄道車両、そうして点火プラグ、電池など微細・精密加工ででき上がっている集電装置、加えてエンジン、モーター、発電機などの動力機、といった重層的な高度技術系列システムそのものである。

世界の最先端を走っている日本の人間型ロボット開発も、こうした重層的高度技術(制御・通信、それに微細・精密な機能材料、さらに動力機)をシステム化したものだ(例えば、荒岡拓弥「産業発掘戦略は国内立地の視点から考え直せ」週刊エコノミスト03年8月5日号)。

こうして、日本企業の利潤率が、一方では賃金デフレに代表されるリストラ、他方では、デジタル家電、人間型ロボット、モノレール車両に代表される技術革新によって、高まってきている。これがマイルドなデフレ下の実質金利を十分クリアできる利潤率を保証し、自律回復力の源泉となりつつある。

世界の工場としてのアジア全域と日本
この数年の中国経済の台頭が、中国を世界の工場に仕立て上げているという見方が多いが、それは狭すぎる。そうではなく、日本企業が直接投資などを通し、アジア全地域の域内で急速に展開しつつある「垂直特化」の生産プロセスのネットワークの中に中国を抱きこんで、アジア全体が世界の工場になってきているのである。そのメカニズムはこうだ。

日本と韓国、台湾、シンガポール(NIES)は高級な中間財(部品、材料、コンポーネント)と資本財を中国、ASEANに輸出する。中国、ASEANはそれら輸入材を使い、安い労賃と中級技術で加工して最終財(デジタル家電も含めた消費財)を生産し、先進国(米欧日など)に輸出する。アジアででき上がっているこの生産ネットワークは、1つの生産物、例えばエレクトロニクスの長い生産工程を細かく分断し、その分断された工程を比較優位を持つ国々に配置し、同じ産業内で垂直的な細かい分業関係を築いている。外国企業による生産物が今や中国の総輸出の55%近くを占めるのもこのためである。つまり中国は、日本やNIES、さらには一部のASEANから、中間財などが供給されてこないことには、輸出ができないのである。

その結界、中国は、対米(2国間)貿易では03年には1000億ドル以上の貿易黒字を生んだ。なぜかというと中国は、米国に対し最終生産物を主に輸出するが、中間財は米国からあまり輸入していないからである。ところが中国の全貿易(多国間)の黒字は250億ドルにすぎない。つまり、中国は米国以外の国や地域に対しては貿易赤字を生んでいる。そうしてその赤字の大きな部分は、中間財の輸入によるものなのである。

日本の経済は、今やこうした新しいアジアの垂直分業に基づく世界の工場を、高度な技術が体化した中間財、資本財の輸出を通して構築し、動かしている。だから最近は中国脅威論や中国発デフレ論は弱まって、中国を拡大するマーケットとして見直しているのである。実は今回の景気回復の特徴の最後の1つは、日本の輸出が、こうした新しい垂直分業の下での世界の工場となったアジア全地域にしっかり組み込まれる中で伸びているところにある。日本の輸出が米国向けよりも、中国を中心としたアジア向けに急増し、今回の3度目の景気回復を助けているのはこのためである。

2004年4月12日号 毎日新聞社『週刊エコノミスト』に掲載

2004年8月9日掲載

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