一律の赤字削減は問題

吉野 直行
ファカルティフェロー

今年6 月、カナダのトロントで開かれた20力国・地域(G20)首脳会議は、日本を除く先進国が財政赤字を2013年までに半減することで合意した。例外扱いとなった日本も、基礎的財政収支の赤字を国内総生産(GDP)比で15年度までに半減し、20年度までに黒字化することが「国際公約」となった。しかし、一ロに先進国といっても、各国の財政赤字の原因や置かれた状況は異なる。一律の財政赤字削減目標を掲げるのではなく、各国が抱える構造的な問題の解決法を模索することが必要である。

08年9月のリーマン・ショック後の世界的な経済危機への対応として、各国は金融の超緩和政策とともに、大規模な財政出動による経済政策を打ち出し、その結果として財政赤字が拡大した。しかしその後、ギリシャの財政問題をきっかけとしたユーロ危機を受けて、財政赤字の拡大をこれ以上放置できないという機運が欧州を中心に高まった。これが、G20での一律の財政赤字削減目標の設定につながった。

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一般の国民から見れば、税金は払わずに、できるだけ政府からのサービスを享受したいと思うのは自然である。財政赤字が増えても、それは、財務省の責任であって、自分の問題ではないと考えるからである。そこでまず、財政赤字の拡大がどのような問題を引き起こすのか、よく知っておく必要かおる。

第1に、たとえば日本は現在、約37兆円の歳入で約90兆円の歳出を行っているが、これは家計にたとえれば、毎月、37万円の収入にもかかわらず、90万円の支出をしていることと同じである。収入が足りない分は借金によって埋め合わせることになるから、大きな赤字がずっと続けば、借金地獄に陥ってしまう。国の赤字(財政赤字)も、将来必ず返済しなければならない借金であり、子供や孫の世代が負担しなければならない。現在の世代が税収以上に歳出を続けることは、子孫にそのツケを回しているのである。

第2に、財政赤字が拡大して国債発行が増えると、金利が上昇する。国債の発行額がどんどん増えれば、投資家に購入してもらうために高い金利を支払う必要が出てくる。国債金利の上昇は、他の金利の上昇も招く。企業の借り入れや住宅ローンの金利も上昇し、設備投資や住宅投資が減少して景気の悪化を招く。

第3に、国債が大量発行されると、その利払いと償還のために必要な費用(国債費)も大きくなる。結果として、国債費以外の歳出をカットせざるをえなくなってしまう。

第4に、政府部門が拡大することで、民間ができる仕事を奪ってしまう「クラウディングアウト」効果が発生する。社会保障なども、民間事業としてできることまで政府が行うと、事業の非効率がまん延して、コストが余計にかかってしまう。

このような財政赤字が引き起こす問題は、各国に共通しており、財政赤字を削減する必要かあることは確かである。しかし、財政赤字の原因は国によって異なり、財政赤字がどれくらいの水準になると大きな問題になるのかも、一概にはいえない。

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日本の財政赤字は、経済成長が停滞するなかで税収の伸びが低く、それに対して(1)高齢化に対応する社会保障費(2)大都市から地方への再分配である地方交付税交付金(3)過去に発行した国債の利払い費の3つの歳出が大きく膨らんでいることが原因である。

一方、欧米では、リーマン・ショック後の雇用減少を解消するための財政出動が大きな原因であり、日本の財政赤字とは、構造的な問題が大きく異なっている。

米国では失業保険の給付が膨大になり、また、米国と欧州大陸諸国は雇用調整を図るための職業訓練費用の歳出が増加した。歳人面では、とくに米国や英国で法人税収が大幅に減少したことが大きい。米国の法人税収はピーク時の約3分の1にまで落ち込んでいる。

以上のように欧米各国の財政赤字の構造は、高齢化のための歳出がさらに大きくなろうとしている日本のそれとは異なっている。財政赤字を単純に各国一律に削減するのではなく、それぞれの国の構造問題を解決できる政策を実施すべきである。

歳出カットの方法としては、英国は中央政府から地方政府への配分の削減を優先させようとしている。ただし、米国・英国ともに、教育費、とくに小中学校、高等学校の教育費は減らさず、将来的に経済成長を維持するための人的教育には重点を置いている。日本も、将来の経済成長の芽は摘まずに必要な歳出を確保し、高齢化への対応や地方への資金配分の見直しなどを考えることが急務である。

日本の構造問題を解決するためには、第1に、元気な高齢者が働き続けられる環境をつくることである。日本のアンケート調査によると、働き続けたいという希望は高い。

第2に、地方が自立した政策を確立しながら、民間からの資金を導入した経済活動を樹立することが必要になる。中央からの資金に頼るのではなく、新しい事業のために民間からの資金を調達する方法を模索する必要かおる。青森県では、レベニュー債(公共施設の運営収益だけで元利金を賄う指定事業収益債)の活用によって公共事業を維持しようとしている。さらに、郵便局や農協の窓口を通じて、地域ファンドや地域投資信託を販売し、地方への投資にあてることも一案である。さまざまな工夫により、中央政府からの資金に依存しない独自の道を模索する必要がある。

第3に、いうまでもなく、国債発行を減らすことは極めて重要である。ただし、日本が置かれている状況が欧米とは異なっていることにも留意し、過度に不安をあおることは避けなければならない。

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ギリシャは財政赤字の拡大によって窮地に陥り、欧州統一通貨であるユーロの信認低下を招いてしまった。だが、図に示したように、ギリシャの国債発行残高はGDP比で2010年に111.8%であり、日本の約200%と比べると低い。日本は、これだけの財政赤字にもかかわらず、なぜ、国債市場が安定しているのであろうか。

図 国債発行残高のGDP比
図 国債発行残高のGDP比

これは、日本とギリシャの国債の需給関係を比較するとわかる。日本の場合もギリシャの場合も、国債の増発により、供給はどんどん増えている。これに対して、日本では国債の需要も供給を上回るペースで増加を続けており、その結果、国債利回りは低下傾向にある。

日本の国債需要が増え続けているのは、(1)国債の最大の引受先である国内金融機関が、景気の低迷による民間への融資の減少分を国債購入の増加に回していること(2)国際決済銀行(BIS)規制では国債のリスクはゼロと評価されているため、金融機関は安心して国債の購入を増やせること(3)日銀の金融緩和が続いており、いわゆる「カネ余り」も続いていること(4)ユーロの不安により、日本の国債への需要が増えていること、などが理由である。これらの結果、日本の国債は大量発行にもかかわらず、国内で安定的に消化されている。

一方、ギリシャの場合には、国債が国内で安定的に消化されていたわけではなく、海外の投資家による購入が多かった。海外投資家は、ギリシャの財政赤字が拡大するなかで、その分のリスクプレミアムを要求した。十分なリスクプレミアムがなければ、海外投資家の資金はギリシャ国債から逃げるだけである。結果として、需要の減少と国債利回りの大幅な上昇を招いて、ギリシャ危機につながった。

ただ、これまで日本の国債市場が安定してきたといっても、今後とも大丈夫であるという保証はまったくない。政治が不安定な状況の下で、与党も野党も歳出については甘く、増税は極力避ける傾向が強くなると予想される。

日本の抱える構造的な問題を解決することなしには、財政赤字の削減は達成できない。そのためには、欧米諸国と横並びの一律の財政赤字削減目標を掲げるのではなく、各国の置かれた状況の違いも認識して、日本にとって真に効果的な改革を実行することが急務である。

2010年7月28日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2010年8月16日掲載

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