2020年11月、地域的な包括的経済連携(RCEP)協定が署名された。この署名は、2012年11月に交渉開始に合意してから8年、2007年6月に我が国が提唱した東アジア包括的経済連携構想(CEPEA「セピア」、ASEAN+6)の民間研究開始から考えれば13年超を経て実現した。
詳細は本編に譲るが、我が国は、全体として高いレベルの自由化・ルール形成を実現するべく、交渉を積極的にリードした。先進国から後発開発途上国までを含む経済協定であるものの、日ASEAN経済連携協定など既存の域内協定では実現していなかった関税引き下げや重要な規律を盛り込んだ。また、中国及び韓国との間では初めての経済連携協定であり、WTOで約束されている両国の関税水準から関税を大幅に引き下げ、WTOルールにない規律を新たに確保するものとなった。
また、インドについては、2019年11月のRCEP首脳会合において、モディ首相から、最も弱い者、最も貧しい者の顔を思い浮かべ、それらの者の役に立っているかを問いなさい(recalling the face of the weakest and the poorest and then ask if the steps are of any use to them)、というマハトマ・ガンディー翁の言葉を引きつつ、未解決の問題があるとしてRCEP協定に参加しない決定をしたことが明らかにされた(注1)。それでも、署名に当たっては、戦略的な重要性の観点から、インドが希望すればRCEP協定加入交渉をスムースに行うためのメカニズムを我が国のイニシアチブによって署名国間の合意として確保した。
貴重な寄稿の機会をいただいたので、交渉の実際の様子について少し記しておきたい。
我が国は、外務省に加えて、経済産業省、財務省、農林水産省が密接に協力する体制を機能させ、各省の数多くのポストでそれぞれ何人もの関係者がバトンを継いで関わって交渉にあたり、我が国の国益を反映した交渉の妥結を導いた。
RCEP交渉全体としてみると、RCEPはASEAN中心性を認めており、ASEANの中でRCEP調整国とされたインドネシアが交渉中一貫して首席交渉官会合の議長を務め、また、ASEAN事務局が交渉の事務局役を果たした。
市場アクセス交渉では、物品、サービス、投資の各分野について、16か国で120、15か国でも105に及ぶ二国間交渉の組み合わせでそれぞれの関心品目等を出し合い関税引き下げ等の自由化に向けて交渉を進めた。我が国も、交渉参加国それぞれとの間で交渉を繰り返し行い、一つ一つ合意を積み上げていった。例えば関税について言えば、引き下げ後の最終的な関税水準のみならず、実現までの期間(協定発効即時又は発効後x年)や引き下げ期間中の年毎の関税水準(ステージング)を国毎に定めていった。
ルール分野の交渉では、知的財産権、電子商取引、投資、税関手続及び貿易円滑化等に関して様々な規律を定めた。原産地規則についても個別品目ごとに詳細を定めた品目別規則(PSR)を定めた。各国ごとに関心分野やセンシティビティ、柔軟性が異なる中で、我が国は全参加国で合意できる規律をできるだけ高いものとすることに腐心した。
私自身はRCEP交渉における我が国の首席交渉官としてRCEP交渉にかかわり、オンライン会議で参加15か国それぞれが署名するという特別な署名式を迎えることができた。2019年7月の着任直後から11月初めにかけて、公式の会合だけでも、中国鄭州での首席交渉官交渉会合、同北京での中間閣僚会合(閣僚レベルの会合には我が国からは経済産業大臣が参加。)、タイ・バンコクでの閣僚会合、ベトナム・ダナンでの首席交渉官交渉会合、タイ・バンコクでの中間閣僚会合、同バンコクでの閣僚会合、首脳会合が行われ、全体会合だけでなく、個別国とのバイ交渉も繰り返し行いながら、猛スピードで合意形成を進めていった。
2020年に入ると、新型コロナ感染症のパンデミックの影響で2月半ばには対面の国際会議が困難となり、RCEP 交渉もオンライン会議によって行われるようになった。オンライン会議としては難度の高いマルチの交渉であったが、上に述べたインドのRCEP協定への将来的な参加に関する取扱を含めて交渉終盤に残されていた困難な論点を一つ一つ解決して交渉妥結に導くことができた。
各国のカウンターパートは交渉相手であるが、RCEP協定の実現という目的は共通しており、数々の体験を共有することとなった。日夜を問わずメールやメッセージを交わしながら、時に全体会合で、また時に有志国と個別に綿密に連携し(全体会合中に同じ会議室の中でメッセージを送りあって連携し進行中の議論をリードすることも)、また、意見の異なる国を個別に粘り強く説得して、最終的には、幸いにも署名にたどり着く局面に携わるという得がたい経験をさせていただいたことに心から感謝している。8年にわたる交渉に関わったすべての関係者、指導いただいた上司、そしてRCEP協定の実現を後押しいただいた経済界や有識者の皆様のご尽力、サポートに改めて御礼を申し上げたい。
我が国の通商戦略は、マルチ、リージョナル、バイそれぞれの様々な取組を重層的に進め、地域戦略、安全保障戦略と相乗効果を生んでいかなければならない。RCEP協定がそうした通商戦略の重要な一翼を担っていくことを期待している。
「外務省経済局『我が国の経済外交 2021-22』(日本経済評論社)」から転載