やさしい経済学―公共政策を考える 人口減少下での政治

第4回 生涯負担からの議論を

小黒 一正
コンサルティングフェロー

1人1人の負担を考えるときにも長期的な視点は欠かせません。

高齢者が増え、現役世代の負担が増すなか、重要なのは「生涯での純負担」を考慮することです。純負担とは、ある個人が政府に支払う税や社会保険料の負担と、政府から受け取る公的年金・医療・介護といった受益との差額を指します。

ある30歳代の個人が、ある年に140万円の税や保険料を支払い、80万円の受益を得た場合、この年のこの個人の純負担は60万円です。この個人が生涯で8000万円を負担し、3000万円の受益を得る場合、生涯の純負担は5000万円となります。この生涯負担が世代によってあまりに差があると不公平と感じる人が増えてしまいます。

生涯負担を考えるとき、税の負担に関心が向かいがちですが、現状は社会保険料収入(60兆円)のほうが、国税収入(50兆円)より多く、社会保険料の負担にも目を向ける必要があります。年金や医療・介護に関する社会保障財源を消費税などの税で賄っている場合は「税方式」、保険料で賄っている場合は「保険方式」といいます。しかし、問題の本質は受益と負担の関係性の強弱の違いにあります。

つまり、財源が税でも負担分が将来返ってくるならば「保険方式」、財源が保険料でも負担分が将来戻ってくるとは限らないならば「税方式」の性格をもつと考えた方がよいでしょう。社会保障の改革に当たっては財源が、税か保険料かという議論より、受益と負担の関係性の強弱を考える方が国民の負担実感に即した議論になるでしょう。

なお、米ボストン大学のローレンス・コトリコフ教授らは、各世代の生涯純負担を把握する「世代会計」の重要性を提唱しています。日本政府も一時期は公表していましたが、現在は中断しています。改めて世代会計を公表し、税と保険料の本質的な違いに目を向けながら、生涯の純負担に関する議論を深める必要があるのではないでしょうか。

2015年10月30日 日本経済新聞「やさしい経済学―公共政策を考える 人口減少下での政治」に掲載

2015年11月18日掲載

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