イノベーションの実現と制度的諸課題

若杉 隆平
研究主幹・ファカルティフェロー

なぜイノベーションか

現在、イノベーションの実現は、学術の分野、ビジネスの世界のみならず、各国の最重要な政策課題にまで掲げられている。シュムペーターが『経済発展の理論』において述べたイノベーションの語源はラテン語のinnovare(既存のものに新しいものを吹き込み、新たにすること)にあると言われている。創造的変化の重要性を示す概念として広く定着している。2006年3月にとりまとめられた政府の第3期科学技術基本計画においてもイノベーションは随所に用いられ、今日の日本における最も高い政策目標の1つに位置づけられている。

古今東西を通じて諸々の制約条件を打破する上でイノベーションが重要であることに変わりはないが、かくも意識的に大々的に政策目標として取り上げられるには2つの客観条件があると思われる。第1は、日本の長期にわたる経済成長の停滞である。1980年代末のバブル崩壊後日本経済は経済成長の輝きと確信を失う時期が長い間続いた。経済成長率を時系列データで観察すると、過去10年以上にわたる日本経済の停滞は、経済成長への確信に対して大きなショックを与えものであり、クロスセクションデータによる国際比較で見れば、日本の低い経済成長は際だったものである。東アジア、アメリカはもとより、統合後の経済停滞に直面したドイツにも及ばない。このことは日本経済が世界の経済成長グループから脱落しつつあることへの大きな警告となった。第2は、日本の少子化・高齢化による日本の将来に対する不安である。経済成長の源泉である資本蓄積、労働力の増加では日本は発展途上の東アジアには遠く及ばない。しかも、高齢化・少子化によって質の高い人的資源の必要量の供給が危ぶまれる。こうした見通しの下で経済成長を実現するには、日本経済の生産性を高める他に道はない。そのための拠り所とされたのがイノベーションである。

第3期科学技術基本計画では「未来を切り開く多様な知識の蓄積・創造」「人類の夢への挑戦と実現」「環境と経済を両立し持続可能な発展の実現」「革新を続ける強靱な経済・産業の実現」「子供から高齢者まで健康な日本の実現」「世界一安全な国・日本の実現」という目標を掲げて、2006年から2011年の5年間に政府の研究開発投資を25兆円とする目標を閣議決定した。これらのいずれを実現する上でもイノベーションは不可欠である。財政支出の削減が続く中で過去2回の科学技術基本計画の投資規模を上回る決定は、日本社会が直面する様々な問題に対するソリューションを科学技術に期待する政策姿勢が鮮明に現れていると言って良い。

イノベーションの実現には幅広く、奥深い底辺が必要である。新しい財・サービス、新しい社会の仕組を実現するには、基礎的な学術・文化における発明・発見、それを担う人材を育成する教育、そうしたことを実現する場としての大学、新しい財・サービスを供給する企業、新しい財・サービスが顕在化し、供給者にインセンティブを与える市場があって初めて可能となる。イノベーションを実現するには、抽象的なスローガンではなく、各段階のパフォーマンスを1つ1つ高めていくための地道な努力の積み重ねが必要なのである。

研究開発投資は過小か過大か

イノベーションは起業家をイメージさせ、学術研究と一線を画していた。しかしながら、今日のイノベーションを巡る状況は以前と異なり学術研究に大きな期待を寄せていることに特徴があるように思う。

国の経済規模に対する研究開発投資総額の大きさでは、日本の水準は欧米とくらべて決して低くない。しかし、日本の研究開発投資は欧米と異なっている。それは、民間部門の投資割合が極端に高く、政府の投資割合が小さい点である。このことは、研究開発の使途において、基礎研究に薄く、応用研究・開発研究に厚いという資源配分上の特異性をもたらしてきた。民間部門が研究開発費の過半を担っているという日本の特異性は、長い間続き、かつ、その傾向は近年さらに顕著となってきている。政府の研究開発費の大半は大学・公的研究機関に配分される。公的研究機関への配分の相当部分が研究委託を通じてさらに民間企業に再配分されるのが実態であることを考慮すると、真に公的な研究開発投資の規模とは、大学・公的研究機関で支出される資金の規模と言って良いだろう。大学や公的研究機関の活動は市場の評価を受けることが少なく、非効率な配分が行われることを指摘する者が多い。このため、科学技術基本計画における政府の研究開発投資に対するコミットメントは、研究開発投資が期待する成果を生み、国民に還元されるか否かの評価と表裏一体となって実現されるであろう。

日本経済は、戦後1980年代まで、外国の豊富な技術機会と高い吸収能力とによって、世界のトップランナーにまで上り詰めてきたことは確かである。その主役は民間部門であった。大学の研究費を増やすべきであるという意見は見られたが、イノベーションを実現するために学術研究に多くを期待することも、また、大学の研究が非効率で成果に乏しいといった批判も今日ほどではなかった。

今日、イノベーションの実現に学術研究に多くの期待が寄せられているのは、民間部門の研究開発投資の効率性が低下し、これまでのように民間部門が中心となって研究開発資金を投入し続けても高い成果が得られないことが認識されてきたからに他ならないと筆者は考える。日本の研究開発投資の効率性を評価する研究は、1970年代から盛んに行われてきた。黒田昌裕教授を中心とする慶應義塾大学の研究グループはその代表格であった。筆者もこの分野での研究に初期の段階から携わってきた者の1人である。今日においても日本経済の生産性分析に多くの研究者が取り組んでいる。ただし、民間部門、大学共に日本の研究開発投資のうち真に研究開発に投入されている資金がどのくらいであるかは極めて曖昧であるし、民間部門、大学のそれぞれの研究開発投資を分離可能な形で評価する研究は見当たらない。大学の研究開発投資の社会的収益性が高いことが示されれば、大学への研究開発投資が過小であることを示す証拠になり、民間の研究開発投資の収益性が高くないということになれば、民間部門の研究開発投資が過大であることを示す証拠となる。研究開発投資の規模が最適か否かの問題は、民間部門と大学の研究開発費の配分政策を左右する重要な研究課題である。

連続的進化の過程:入口と出口

イノベーションは連続したプロセスと捉えるべきである。この中で注目すべき局面として2つ上げたい。1つは、パラダイム変革を起こすような画期的技術を生み出す学術研究の局面である。イノベーションの入口に当たる領域である。学術論文の引用や科学技術分野の優位性に関するデルファイ調査によれば、日本が優位性を有している分野は少なくないが、米・欧との距離が開き、また、中国、インドなどの新興国の急激な追い上げを受けている分野がないわけではない。近年、学術研究の成果がイノベーションに直接結びつくサイエンスをベースにするtechnology pushタイプのイノベーションが増加していることから、イノベーションの実現において果たす学術研究の役割は高まりつつある。生命科学、情報通信科学などの分野が例としてあげられる。この分野での担い手は優れた研究者集団の存在である。欧米、中国、インドを見ても、優れた研究者集団が存在するところに学術研究とイノベーションとの結びつきが生まれている。

もう1つは、イノベーションの企業化の局面、すなわち出口の重要性である。逆説的に聞こえるかも知れないが、基礎的な学術研究は社会の変化とは独立して行われる。かつて専制国家でも多くの学術的成果が生み出されたことを考えると、社会変化から隔絶された中でも学術は発展する。しかし、イノベーションは、その成果が財・サービスの供給を通じて社会の仕組みまでも変革する性格を有する。その原動力は利潤動機である。創造性ある研究開発と企業化精神が結びつき、ダイナミックな社会変革が生まれる。イノベーションによって新しい財・サービスが生み出されるには、そうした活動に誰しもが自由に参加しうる、競争的環境が存在すること、社会がそうした新しいことを実現するに十分に柔軟であること、そうした創造性ある活動が市場で評価され、十分に報いられることが必要である。このように考えるとき、今日の日本の社会制度はイノベーションを実現する上で適切なものといえるであろうか。

外国の技術・コンセプトを模倣することによって日本社会がイノベーションを実現してきた時期は、明確に設定された目標を確実に実現する上で整合的な企業組織、社会制度、報酬システムが効率的に機能したことと無縁ではない。年功賃金、長期雇用はその解である。しかし、新しい目標を自ら設定し、ある確率の下で成功が見込まれ、そうした事業に参加する人材の流動性、多様性の確保が課題となるとき、日本における過去の大企業の成功神話は却ってプラスにならないかも知れない。

イノベーションの実現は、常に不確実であり、変化に適合したものが生き残る進化の過程でもある。イノベーションは小さなマーケットから出発する。ユーザーのニーズを新しいイノベーションの実現に取り組むユーザー参加型のイノベーションもある。また、イノベーションを実現する局面で市場の規模が拡大し、それに対応する企業組織も変化する。小規模のイノベーターが大企業まで拡大していく道が最適な経路の場合があるかも知れないが、初期のイノベーターの関心は企業を拡大することではなく、次のイノベーションのシーズを開拓することであれば、途中で自らの有する企業を売却し、その売却益をもってイノベーションの報酬とすることが最適な場合もある。この場合には、M&Aはイノベーションに大いに貢献するであろうし、その可能性を否定してはならない。企業の価値、技術の価値が市場で正当に評価されて売買されることは、経営資源をより高い段階に受け渡す意味において、イノベーションを実現する上で重要な仕組みではないかと考える。

イノベーションの過程で企業組織には多様性が求められる。社会的システムを良く理解し、企業化を実現する能力を有する人材とともに、企業を生み育てる社会的環境が必要である。それは、財・サービスの市場だけではなく、金融市場であり、技術取引市場であり、企業そのものを取引する市場である。果たしてこうした市場は日本では形成されているであろうか。

このようなイノベーションの入口、出口の課題を解決するのはヒトである。「モノからヒトへ」の重点のシフトは学術研究への期待を高めていることと無縁ではない。

不確実性への対応:確率と保険機能

日本がイノベーションを活発に実現する社会となりうるには、これまでの延長線上で単調に資源の投入量を増加させることではなく、優れた人材の育成と多様で柔軟な社会制度の実現が必要となってきている。いくつかの具体的なことを触れる前に、図1の科学技術振興機構・研究開発戦略センター(生駒俊明センター長)がとりまとめた1枚のマップを紹介しよう。この図は、イノベーションは、科学技術が生み出される入口から新しい財・サービスを企業が供給する出口までの間、一連の連続した過程として捉えており、その間にはイノベーションを育て上げる場があることを示している。政策形成においてイノベーションを連続した過程として取り扱うべきであるというメッセージを示していることは、注目すべきである。同時に、イノベーションはいくつかの局面を経て実現され、それぞれの局面において必要とされる知識、人材、資金が異なっていることを示している。それぞれの局面に最も相応しい知識、人材、資金の組み合わせが実現されることが、資源を効率的に投入し、イノベーションを成功させる鍵となる。研究開発投資の規模だけではなく、投資の質が問われるのはこのためである。

公的研究開発資金は、文部科学省、経済産業省、厚生労働省、農林水産省などの縦割り制度の下で配分されており、原理的には重複はない。このような重複を有しない制度を縦割り的に実施することは、イノベーションの一連のプロセスを分断することを意味する。本来連続的なイノベーションのプロセスを省庁の所掌事務によって縦割り的に分断することは、イノベーションの実現にとって大きな阻害要因になる。

公的資金は税金である以上、成果の上がらないような使用をしてはならないと言われている。しかし、イノベーションは入口の不確実性の高い局面から、出口に行く過程で徐々に成功確率を高めていく。個々のプロジェクトを見れば、成功するものもあれば、失敗するものもあって当然である。こうした不確実性に即して研究資金の配分に確率的概念を導入する例は米国には既に見られている。学術研究の段階と出口近くでは成功確率が自ずと異なるであろうし、それに対応した制度を設計する柔軟さが求められている。

新しく生産される財・サービスは、これまで取り扱われた経験がないことから、元々社会の受容性は低い。新技術が社会に受け入れられるまでの間、時間を横軸に、受容性を縦軸にとると、受容性は時間の経過ととともにロジスティック曲線を描くことが経験的に知られている。学術研究には規制が少ないが、企業化に進むにつれて規制が増えてくる。近年の安全重視の環境条件はこの傾向をさらに顕著にする。イノベーションに伴う社会の受容性を高めるためには、初期需要の確保と並んで危険をどのようにコントロールするかが重要になってくる。規制によるコントロールは1つの方法であるが、新規性が一律に犠牲になる可能性がある。規制に替えて、危険を保険によってカバーすることも考えるべき手段であろう。今後のイノベーションにおいて医療・福祉が大きな領域になることが予見されている。この領域における安全の確保はとりわけ重要であるが、コントロールの方法如何がイノベーションのスピードを左右する。その例として医薬品の研究開発をあげることができる。この分野での危険、不確実性をカバーするために保険制度の充実は大きな効果を有するであろう。

イノベーションの一連のプロセスは人の異動によって連続性が確保されるが、人材の流動性は、イノベーションの不確実性という困難に直面する。元々、不確実性は高い報酬によって報いられる。イノベーションに優秀な人材が集まるとすれば、不確実であっても良い待遇、高い報酬、高い社会的評価が得られる可能性があるからに他ならない。高い評価と報酬が確実に約束される場があるならば、不確実で低い報酬の場には人々は決して移動しない。不確実であることは確実な場合よりも高い水準の待遇が得られて初めて、バランスする。優れた人材がイノベーションにチャレンジすることの少ない日本社会の問題はこの点にある。

人材の育成:イノベーション実現の基礎

学術研究、技術開発、企業化のいずれをとっても人的資源は最も重要な資源である。実際に研究開発投資の過半は人件費である。学術研究・研究開発に従事する人材を国際比較すると、日本の人的資源は数の上では少なくない。しかし、質は不明である。たとえば、研究開発に従事する研究者と補助者がどのように区分されているかは、日本では必ずしも明らかではない。真に研究に従事する者が豊富であるのか不足しているのかは、はっきりしない。また、企業化の不確実なプロセスに挑戦する人的資源は日本は極めて層が薄い。ベンチャー起業家がその一例である。

人的資源を教育し、市場に供給するのは大学の本来の使命である。社会が政府研究開発投資の拡大をコミットし、学術研究に多くを期待するのは、大学が産学連携によって具体的成果を生み出すことよりも、学術研究を進めることの出来る人材、研究開発を担うことの出来る人材、企業化を実現できる人材の育成、供給を期待するからに他ならない。大学以外にこの機能を期待することはできない。また、イノベーションは国際的視野で取り組むことが必要である。外国の優れた人材を積極的に受け入れることが同時に行われ、相互に競争することになれば、国際市場に通用する高い水準の人材が形成されてゆく。その意味でも国際的な視野を有したプロフェッショナルを大学が教育し、供給することの重要性は大きい。

「三田評論」2007年6月号に掲載

2007年6月25日掲載

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