はじめに
トランプ政権は、鉄鋼・アルミの輸入が国内産業の弱体化をもたらし米国の安全保障を損なうとして、1962年通商拡大法第232条により鉄鋼に25%、アルミに10%の輸入関税を課した。また、中国による知的財産権の侵害を理由に通商法301条に基づき500億ドル相当の中国製品に25%の関税を課す措置を発表し、さらにはハイテク製品をはじめ1000億ドル相当の中国製品への関税の積み増しを表明した。これらに対して中国は同額の報復的関税の引き上げに次々と着手した。国際競争圧力から鉄鋼・アルミ産業を保護することがもたらす経済と雇用への悪影響が懸念されるだけでなく、WTOルールの枠外での一方的な輸入制限の実施は世界貿易を崩壊させる危険性をもっている。こうした輸入制限と報復の応酬には、これまでの米政権が中国に求めてきた市場開放や知的財産侵害への対策を巡る米中間の考え方の隔たりが背景にある。鉄鋼・アルミ産業の特異性や知的財産権保護の実態を踏まえつつ輸入制限措置の問題点と貿易政策のあり方について考えてみたい。
他品目への拡大・相手国の報復
米国における鉄鋼の輸入制限は1960年代に溯る。1960年代初には米国の鉄鋼メーカーの市場での価格支配力が強く、コスト上昇を容易に価格に転嫁することが可能であったため、賃金引き上げが容易に実現され、反面、世界各国の競争企業が導入した連続鋳造設備への投資や技術開発への取り組みに後れをとり、国際競争力は低下し始めていた。その結果、米国内の鉄鋼価格は上昇し、鉄鋼輸入が増加する事態となった。ジョンソン政権は鉄鋼産業からの輸入制限措置の求めに応じて日欧との間で輸出自主規制の協定を結び、輸入を抑制した。それ以来、米国は鉄鋼の輸入を抑制するために輸出自主規制、反ダンピング(不当廉売)、一定基準の価格以下の輸入を抑制するトリガー価格、補助金相殺関税等の措置を半世紀以上にわたり繰り返してきた。しかし、2018年3月23日に発動された輸入制限措置は、安全保障を理由としている点でこれまでのセーフガードと異なる。
「自国の安全保障上の重大な利益の保護のために必要」な場合にはWTOルールの適用例外が国際的に認められてはいるが、極めて限定的と解される。米国通商拡大法第232条でも、これまでの認定例は石油関連8件に留まっており、うち貿易制限措置に至ったものはそのうちの5件に過ぎない。ハイテク産業や希少資源など安全保障に関わる産業は広範囲に及んでいると考えられる。なぜ鉄鋼・アルミ産業が安全保障上の理由に該当するとして取り上げられたかが問われる。特に、生産工程のグローバルな分散が進んでいる今日、生産工程が自国内で完結するような産業は珍しく、多くは国際的な生産網の中に組み込まれている。今回の米国商務省の調査報告書(2018)を見る限り、鉄鋼・アルミだけが輸入競争に晒され、弱体化し、安全保障を損なう特別の産業であるとする説得的理由に乏しい。鉄鋼・アルミの輸入増加が産業競争力の低下をもたらし、ひいては安全保障に支障をもたらすとするならば、そうした理由は他の多くの財やサービスにも少なからず適用され、また、他国でも同様に貿易制限を正当化する理由に使われる。この結果、安全保障上の理由による一方的な輸入制限は、多くの産業に拡散し、また、他国における輸入制限に拡散する。1930年スムート・ホーレー関税法の当初の目的は米国中西部の農業労働者の保護であったが、工業部門に直ちに拡大したことは周知の事実である。
需要産業への影響と雇用減
今回の輸入制限は、鉄鋼・アルミへの国際競争圧力の軽減自体に目的があり、産業再生に効果があるとは考えにくい。先に述べたように米国鉄鋼業は長期にわたり輸入制限によって国際競争圧力から保護されてきたが、その間に鉄鋼業が再生したとは言いがたい。鉄鋼業の雇用減少の主要因は技術変化・需要変化・成長産業への資源配分の変化といった構造変化にあり、輸入増加による影響は僅かであったことはGene Grossman米プリンストン大教授の研究(1986)によって既に示されている。また、鉄鋼業の再生は効率的技術の利用と優れたマネジメントによる高コスト是正・生産性向上に拠る他ないことがRoger Ahlbrandt 米ポートランド州立大教授等の研究(1997)で示されている。トランプ政権はラストベルトに立地する鉄鋼業の雇用環境を改善することを選挙公約とした。単に国際競争圧力の軽減を目的とするものであるならば、輸入制限措置は国内鉄鋼・アルミの価格上昇を招くだけで、米国鉄鋼・アルミ産業の再生はかえって遅れるだろう。
それだけでなく鉄鋼・アルミ産業以外の分野に与える輸入制限の弊害は無視できない。鉄鋼・アルミの価格上昇は生産者に利益をもたらすとしても、それを中間財とする需要者への悪影響は避けられない。「洗濯機に関税をかけたら米国内に工場が増えそうだ」とトランプ大統領が発言したことが報道されたが、洗濯機の場合、価格上昇で割を食う消費者は、高い価格で購入するか購入を諦めるかしかなく、泣き寝入りする。しかし、鉄鋼・アルミの場合、需要者は自動車メーカーをはじめとする生産者であり、洗濯機を購入する消費者とはわけが違う。中間財価格の上昇はユーザー産業の限界費用を高め、国際競争力を失わせ、雇用を減らす。高い中間財価格を避けて生産拠点を国外に移転させるかもしれない。鉄鋼・アルミ産業の保護は需要産業の負担と雇用減を伴い、米国の経済厚生を悪化させる。こうした悪影響は市場が競争的である産業に対してより深刻となり、需要産業からも輸入制限要求が高まる危険性がある。
関税がもたらす国内価格の歪みは生産者と同時に需要者にも影響を及ぼす。鉄鋼・アルミ産業の再生が目的であるならば、採るべき政策手段は設備投資・研究開発の促進、労働者の訓練、生産地域のインフラ整備による生産性の向上など生産者にだけ効果が及ぶ国内政策であり、需要者にまで悪影響が及ぶ輸入関税を手段とするのは適切な政策とはいえない。
報復の連鎖
安全保障を理由とする今回の輸入制限は、鉄鋼・アルミ産業のセーフガードだけでなく、貿易相手国の市場を開放し、米国製品の輸出を拡大する上で交渉相手から有利な条件を得ることを狙っている。このことは米国の市場開放要求に譲歩した国から輸入される鉄鋼・アルミを関税賦課の対象から除外したことから読み取れる。
2国間で貿易収支を均衡させることが多角的国際貿易と矛盾することや一国の対世界との貿易収支・経常収支の均衡はその国の貯蓄と投資のバランス(あるいは総需要と総供給のバランス)を制御するマクロ経済運営によって実現され得ることは既に衆知であろう。にもかかわらず米国が貿易相手国に対して2国間の貿易収支インバランスの是正を求めるのは相手国から市場開放の譲歩を引き出すための交渉上の戦術であろう。
トランプ政権は、拡大通商法232条による輸入制限だけでなく中国による知的財産権の侵害を理由に通商法301条に基づきハイテク製品を含む1300品目500億ドル相当の中国製品に関税を賦課することを表明した。いずれも米国の一方的措置であり、WTOルール下で是認されるものではないことは明らかであるが、以前から中国に対して要求してきた市場開放や知的財産侵害への対策に関して目に見える成果を実現出来なかったことが背景にある。
米国は世界最大の市場である。巨大な市場を閉じることを「脅し」として自国に有利なディールをすることに米国が成功しなかったわけではない。1980年代、米国は通商法301条を背景に大幅な貿易黒字を計上する日本に対して、自動車の輸出自主規制や半導体の自主的輸入拡大を迫った。市場を閉ざされることを恐れた日本は譲歩した。しかし、そうしたことはWTOを生む契機となり、その後、一方的措置は国際ルールによって排除されてきた。2001年にWTOに加盟することによって自由貿易の利益を得ることができ、米国を抜くことが予想されるまでに経済規模を拡大した中国は、WTOルールを盾に報復措置に出ることを表明した。鉄鋼・アルミの輸入制限に対しては120品目輸入額10億ドルのナッツやワインに15%、8品目輸入額20億ドルの豚肉やアルミニウム・スクラップに25%の報復関税を実施した。さらに、通商法301条によるハイテク製品を含む1300品目500億ドル相当の中国製品への25%の関税賦課に対しては、大豆、トウモロコシ、小麦、牛肉などの農産物を中心とする106品目500億ドル相当の米国製品に対して25%の関税を賦課する用意のあることを表明して対抗した。これに対してトランプ政権は、知的財産侵害に対する追加的制裁措置として1000億ドル相当の中国からの輸入品に対して関税賦課を積み増すことを発表した。こうした一連の報復合戦が現実のものとなれば、両国の貿易摩擦は、小競り合いでは済まず、貿易戦争が不可避となる。かつて1930年スムート・ホーレー関税法による関税の一方的引き上げが貿易相手国の報復的関税引き上げをもたらし、世界貿易を崩壊させる悲劇に繋がった。この過ちを繰り返してはならない。
非市場措置と世界市場の歪み
今回の輸入制限の対象となった鉄鋼・アルミ産業には、素材産業特有の規模経済性を有し、供給能力が競争力を左右すること、急激な生産能力の拡大により世界供給能力の半分を中国企業が占め、その中に国有企業が存在することに特徴がみられる。
2000年以降、高度経済成長とともに中国鉄鋼業の供給能力は2000年の1.5億トンから2016年には11.6億トンに著増し、この間の世界の供給能力の増分13億トンの4分の3を中国企業が占めている。こうした生産能力の増加は、高度経済成長の期間では成長する中国国内需要を満たすものであったが、リーマンショック後の成長鈍化により中国国内市場が飽和するにつれ、増加した供給力は世界市場に向けられた。輸出量は2016年には1億トンを超え、米国全体の需要量を上回る規模にまで増加した。(図1)
アルミ産業も鉄鋼業と事情が似ている。2001年に430万トンであった中国のアルミ地金生産能力は2016年には10倍の4300万トンにまで膨らみ、世界の生産能力7550万トンの5割以上を占めている。(表1)
中国の輸出拡大は、WTO加盟によって中国が世界市場に自由にアクセスすることが可能となったことを証明するものであるが、中国の鉄鋼・アルミの供給能力が短期間で顕著に増加したことにより世界市場での価格が低迷し、中国と貿易相手国との間で摩擦を生む要因となってきたことは事実である。WTO統計によれば中国に対する鉄鋼・金属のダンピング調査件数は世界全体の2割に達している。
中国の鉄鋼業には、鞍鋼集団公司、宝武鉄鋼集団公司などの中央政府管理下の国有企業の他、省政府管理下の国有企業が多数存在し、アルミ産業にも中央政府管理下の国有企業チャイナルコの他、省政府管理下の国有企業がいくつも存在する。こうした中国国有企業は国・地方政府の補助金などの救済を受けることから予算制約が緩くなり、赤字にもかかわらず退出しないで過剰な生産能力を維持する傾向にあり、この傾向は地方政府管理下にある中小型国有企業に顕著に現れることが渡邊真理子学習院大学教授の研究(2017)によって示されている。国有企業の非市場要因は世界市場での価格を歪めることに繋がりかねない。
米国の鉄鋼輸入は国内需要の3割を超えるが、中国からの輸入は1%にも及ばない(図2)。貿易相手国のダンピングや補助金による輸入急増が国内産業に深刻な被害を与えることを発動要件とするWTOのセーフガード・ルールを中国からの鉄鋼輸入に適用することは適切でないかも知れない。しかし、世界市場での過剰な供給能力が市場価格の低迷を生み、複数国からの安価な鉄鋼の輸入増によって米国産業が国際競争圧力を受けている可能性は否定できない。世界市場への供給が中国国有企業の非市場的要因によって拡大し、市場に歪みが生じたとすれば、その事態は是正されるべきである。
世界市場における鉄鋼の過剰生産能力は、OECD・グローバル・フォーラムにおいて議論され、累次のG20で取り上げられてきた。今回の輸入制限措置を調査した米商務省報告書(2018)でも「市場歪曲的補助金や政府の支援措置を撤廃し、鉄鋼産業の公正な競争条件を促し、市場を基礎とした成果に拠り、構造調整を促すことが必要である」旨を指摘している。国有企業への非市場的措置が生産能力の増加をもたらし、世界市場に歪みをもたらしたとしても、現在の国際貿易ルールでこうした問題に対応出来るわけではない。こうした問題は鉄鋼・アルミ以外の産業においても生ずる可能性がある。
当初の環太平洋経済連携協定(TPP)では、国有企業への不公正な利益の供与が公正でオープンな貿易・投資を損なうことを認識し、国有企業には「商業的慣例に合致した行動」を求めるルールを盛り込んだ。その推進役は米国であった。
拡大する中国の貿易取引において貿易相手国と共有されるべき知的財産権の保護が不十分であることが指摘されている。工業所有権の保護に関しては、パリ条約、ベルヌ条約、WTO・知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)等の既存の国際条約・協定において、知的財産権の権利水準の確保、内国民待遇・最恵国待遇、非競争的なライセンシングの禁止、知的財産権の侵害を防止するための国境での差し止め措置、WTO紛争メカニズムに準ずる紛争処理などがルール化されてきた。しかし、特許権の期間、医薬品の知的財産権やデータの保護、商標権の取得と不正使用防止、著作権保護期間の延長と権利保護、地理的表示の法的保護などに関しては十分ではないとされ、これらをルール化するためにTPP協定では知的財産権の保護に関する規定が取り上げられた。ここでも米国が積極的役割を果たしたがTPP協定から離脱した。
多国間ルール下での市場機能の向上
通商拡大法232条や通商法301条に基づいた米国の一方的輸入制限措置はWTOルールの下で是認されるものではない。審判不在のまま2国間で力による決着を指向することは、貿易相手国の報復を生み、当事国のみならず世界貿易を縮小させ、その結果、世界の経済厚生は悪化する。こうしたことは避けなければならない。しかし、モノの貿易で世界最大規模の中国(注1)に関してWTOにおける非市場国としての認定が変わらなかったことは、今回の安全保障を理由とする鉄鋼・アルミの輸入制限や知的財産権の保護を理由とする輸入制限の淵源とみることが出来る。世界市場の歪みの是正や知的財産権の保護を図る上で現下のWTOルールが中国を含む多国間での貿易ルールとして十分なものであるとは受け取れない。
米国、中国をはじめとするすべての貿易当事国が多国間ルールの下で非市場措置を排除し、知的財産権の保護を強化することによって市場機能を高めることこそが、米国の一方的輸入制限や中国をはじめとする貿易相手国の報復措置を抑止するうえで必要とされる貿易政策の方向であろう。
※本稿は日本経済新聞『経済教室』(2018年4月6日)に掲載された若杉隆平「米輸入制限の弊害(上)」をもとに加筆修正している。