知的財産権の保護 運用状況の情報開示を

若杉 隆平
研究主幹・ファカルティフェロー

知的財産権の重要性が叫ばれるなかで、現実には国による制度の違いが存在している。国際分業を推進する立場からも、国際的な調和が求められているが、その前提として各国がどのように保護しているか、その運用状況を開示し、透明性を高める必要がある。

保護の度合いが国・経済に影響

知的財産権制度は保護する国の経済とその国に参入する外国企業の活動双方に影響を与える。また両者は貿易や直接投資、市場での競争を通じ相互に影響しあう関係にある。知的財産権の保護が弱い国では、技術・ノウハウの模倣が容易に行われ、模倣された安価な財・サービスが市場に出回る。このことで消費者は利益を得るが、一方で新しい発明や技術を生み出そうとする企業への経済的誘因は乏しい。

これに対し知的財産権の保護が強化されると、模倣品は排除され、市場に出回る財・サービスは知的財産権を保有する企業が供給するものに限られるため、多かれ少なかれ市場は独占的になる。企業は利潤を得るが、ユーザーは以前より高いものを買わされることになるかもしれない。

知的財産権の保護が強化されるときの効果はもう少し複雑である。保護が強化されれば、新しい技術や財・サービスを生み出す努力が報いられるため、財・サービスの発明や供給に取り組む新規参入者の活動を促す効果がある。その結果、市場が競争的となって、市場規模が拡大し、貿易も活発になる。このような好循環が実現する場合には、その国の消費者はプラスの利益を得る。

知的財産権保護の強化が独占による弊害をもたらすだけで終わるのか、その後の市場での競争を活発にするかは、その国の研究開発資源の豊かさに依存する。研究開発を行う人材・資源の豊かな国では、知的財産権の保護は研究開発を促し、市場を活性化する機能を果たすが、研究開発を行う人材・資源に乏しい国では、模倣品が駆逐されるだけに終わってしまい、独占の弊害が残る。

近年の国際貿易は、直接投資による生産工程の国際的分業の拡大によって特徴付けられる。分業化した生産工程の立地は国際間で容易に移動できるため、企業の意思決定は知的財産権の保護の程度により影響を受ける。保護の強い国には先端的技術を用いる生産工程を立地し、保護の弱い国には模倣しても高い価値を生み出さない技術を用いる生産工程が立地する傾向にある。その結果、保護が強い国には外国からの投資や新規性のある技術が流入し易く、市場は活性化する可能性があり、保護の弱い国ではその可能性は低くなる。

このように知的財産権の保護制度は、制度を設計する国の経済と制度の適用を受ける外国企業の双方に影響を与えることがあらかじめ分かっているため、その効果を見込んで内生的に決定される。これらの点に関する研究は国際的に幅広く蓄積されており、知的財産権制度を国際的に調和あるものにするには、制度の設計と実行の両面から考えておく必要がある。

保護の程度は所得と相関性

各国の知的財産権の制度を国際比較することは重要である。しかし、十分に信頼できる指標はまだ見当たらず、現時点では米アメリカン大学のパク教授らの特許権の保護に関する国際比較指標がよく用いられる。これは、各国の特許権の保護を(1)権利保護の対象が医薬品・微生物などまで幅広くカバーされること(2)特許権を保護する国際条約に加盟していること(3)未利用特許の利用義務づけなどの制約が少ないこと(4)権利侵害に対する防止措置が設けられていること(5)保護期間の長さが確保されていることの5つのカテゴリーの下に各制度の整備状況を点数評価し、合計最大値が5となるように各項目を加点したものである。

いくつかの国の指標を抜粋した図を見ると2つのことが読み取れる。第1は、過去5年間で保護の程度が高まっていることである。世界貿易機関(WTO)が定めた知的財産権協定(TRIPS)の締結によって、知的財産権の保護に関する国際的調和を図る取り組みが具体的成果を生んでいることがうかがえる。

図 特許権の保護指数
(出所)「Economic Freedom of the world: 2002 Annual Report」

第2は、保護の程度は国際間で依然として格差があり、かつ、所得水準との相関性を伴っていることである。所得の高い先進国では特許権の保護は高水準となっている一方、途上国では低水準となっていることが示される。ブラジル、ロシア、インド、中国(BRICs)においても保護の程度は高くはない。

このような制度格差を生むのは、それぞれの国が有している研究開発の人材・資源の豊かさの違いである。そして、これらは国の所得水準との相関性が高い。豊かな人材・資源を持ち合わせない国は、保護の利益が小さく、知的財産権を強化しないことによって自国の産業や健康・医療制度の得る利益が大きいため、保護の強化には柔軟に対応する傾向にある。この結果、途上国は知的財産権の保護の制度を整備することに消極的となることは容易に想定される。

保護の水準を高めるための制度の整備は、知的財産権の保護への外国からの要請に応えるのでなく、それぞれの国において研究開発能力を高めるための人材・資源が蓄積され、制度の整備がその国の利益となることが原動力となるのが最も望ましい。そうなれば知的財産権の保護は各国の意思によってさらに進んで行くであろう。

途上国に対し先進国と同等の制度を硬直的に導入するのは、容易でないのみならず、かえって非効率を生む。このことは多くの日本企業が生産工程の分業を拡大する東アジア諸国においても例外ではない。TRIPSの実施に関する国際的協調を実現する上では、途上国の研究開発能力を高めることが特に必要とされる理由である。

制度と実行の乖離が問題に

次に制度実行の問題を考えよう。財・サービスの生産工程を国際的に分業する多国籍企業は、最も効率的に生産・販売を行うことのできる地点を事業拠点として選択するが、知的財産権の保護の程度が異なることは、少なからずこの選択に影響を与える。企業は知的財産権によって技術・ノウハウがどの程度保護されるかを見極めて事業展開を決定する。国際間で知的財産権の保護に関する格差が少ないことは、グローバルに活動する企業の貿易や投資に与えるゆがみをそれだけ少なくする。TRIPSのもとに国際的に調和した知的財産権の保護を実現する理由もこの点にある。

この場合、知的財産権制度を柔軟に適用することを望む国で、保護の制度設計の問題だけでなく、その制度と実際に実行される保護の度合いとが乖離するという問題が起きる。現実に、知的財産権の法制度が整備され始めたものの、その実行が不十分で、制度と施行が著しく乖離していることが指摘される国は少なくない。制度上の保護と実際の保護とが乖離し、経済主体から見て実際にどの程度の保護がなされるかが明らかでないとすれば、国際貿易や投資は非効率なものとなる。自らの有する技術・ノウハウが知的財産権制度によって実際にどの程度保護されるかは、少なくとも事業を行う経済主体にとって予測可能でなければならない。

東アジア諸国における生産工程の分業ネットワークは世界の貿易や直接投資の中で大きな割合を占め、世界の工場として重要な機能を果たしている。多くの多国籍企業が参入するこの地域においては、知的財産権の保護が実際にどのように実行されているかが内外の企業にとって不透明であるという事態は回避する必要がある。知的財産権の保護制度の国際的調和は重要な課題であるが、その前提として知的財産権の保護が各国でどのように実行されているかを示す情報を開示し、制度実行の透明性を高めておくことが国際協調を進める上で不可欠である。

こうした情報開示は、既存の国際機関で進めるのが現実的だろう。WTOなど具体的にどの候補が望ましいか、どう情報開示を進めるかなどは今後の課題である。

2006年10月18日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2006年10月25日掲載

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