来年4月に予定される消費税率引き上げを再び延期するかが議論されている。焦点の1つは消費税率引き上げが消費を落ち込ませるリスクだ。そこで本稿では、筆者が米連邦準備理事会(FRB)エコノミストのデービッド・キャシン氏と経済産業研究所で実施した研究に基づき、消費税率引き上げがどのように消費に影響を与えるか検討する。
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日本の消費税は、非課税品目が少ないうえ、単一の税率が適用されており、小売価格への転嫁が強く要請されている。そのため消費税率引き上げがアナウンス(告知)されると、税率引き上げ幅と同率の物価の上昇が予期される。
この予期された物価上昇が消費に与える影響は、経済学における標準的な消費の決定理論である「ライフサイクル仮説」に基づき考察できる。ライフサイクル仮説では(1)生涯での消費の合計は生涯所得と等しくなる(2)家計は消費の変動を避ける性質がある――ことが仮定される。家計にとっては生涯所得を均等に割り振り、平準化して消費するのが最適であるというわけだ。
さらに同仮説により、消費税率引き上げでこの最適消費が2つの経路を通じて恒久的に低下することも示せる。
第1の経路は、生涯所得が低下することを通じて消費を変化させる「所得効果」だ。消費税率引き上げで物価が上がれば、他の状況が一定なら、実質生涯所得は低下する。すると生涯を通じた予算制約を満たすために、消費も同じ比率だけ低下するのだ。
第2の経路は、相対物価が変化することで消費のタイミングが変化する「異時点間の代替効果」だ。物価上昇が予期されると、消費が変動するとしても、物価の低いうちにより多くの消費をしようとする。そのため物価が上昇するまでは相対的な消費水準は高まり、実際の税率引き上げ後は消費水準が低くなる。
異時点間の代替効果はいわゆる駆け込み需要と区別する必要がある。駆け込み需要とは、税率が上がる前に車やテレビなどの耐久財、缶詰や洗剤といった備蓄可能な非耐久財を購入しようとすることで発生する。物価の低い時期に購入を増やすという点では異時点間の代替に類似するが、購入タイミングの変化のため「支出」は変化するが「消費」は変化させない。駆け込み需要による支出の増加は、増税実施後の反動減で調整され、長期的には消費水準に影響を与えない。短期的には大きな経済変動要因となるが、ここでは分析の対象外とする。
所得効果と異時点間の代替効果はともに消費税率引き上げに対する反応だが、発生するタイミングは異なる。図は、アナウンス時点と増税実施時点で消費がどのように変動するかを示したものだ。所得効果は、消費税率引き上げがアナウンスされると即座に発生し消費水準を下げる。税率引き上げ前でも、生涯所得の低下として認知されるからだ。
一方、異時点間の代替効果は、アナウンス時点では消費水準を引き上げる効果を持つが、増税実施後にはむしろ消費を低下させる。つまり図で示したように、アナウンス時点、増税実施時点の2段階で消費を低下させるのだ。
消費税率引き上げが消費に与える長期的影響は、アナウンス時点と増税実施時点の消費の変化の合計で測定可能である。そこで筆者らは、家計調査の個票データを用いて消費の低下幅を測定した。ただし駆け込み需要と反動減の影響を除外するために、備蓄不可能な非耐久財に対する支出だけを「消費」とした。
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実際に消費の低下幅を測定するには、アナウンス時点がいつなのかを特定することがポイントとなる。一般に、増税は多くの政策過程を経て決定されるため、家計がどの段階で「アナウンス」されたと認知するかは分からない。そもそも家計ごとに増税を認知するタイミングが異なれば、一律にアナウンスのタイミングを特定できない。
しかし2014年の消費税率引き上げでは、13年10月1日の安倍晋三首相の記者会見が増税のアナウンス時点とみなせる。その直前まで安倍首相が増税延期・中止を決断することへの期待が高まっており、サプライズ効果をもたらした。ほぼ全家計で一律に明確なアナウンスとなった。
13年10月のアナウンス時点、14年4月の増税実施時点の消費の変化を計測したところ、季節性や世帯属性の変化などを調整したうえで、消費は13年10月に4.1%、14年4月に1.0%低下していた。つまり消費税率引き上げにより、消費が計5%落ち込んだ。
税率引き上げ幅である3%と比べると、5%の消費落ち込みは過大な変化にみえる。しかし13年10月時点では10%までの引き上げが予定されていた。つまりアナウンスされた引き上げ幅は5%と認識されたはずだ。そうであれば増税幅と消費の減少幅がほぼ等しいという結果であり、むしろライフサイクル仮説を積極的に支持する結果だ。
消費税率引き上げは、消費に大きな影響を与えるが、増税実施時点での消費の減少は相対的に小さい。同様の結果は、1997年4月の3%から5%への消費税率引き上げでも確認される。筆者らの推計によれば、97年のケースでは、増税実施時の消費の落ち込みは0.7%であった。
アナウンス時点での消費の落ち込みについても、97年のケースとの比較は興味深い。なぜなら97年のケースでは、アナウンス時点での消費の落ち込みは検出できなかったからだ。ライフサイクル仮説が成立するなら、所得効果は存在したはずだ。にもかかわらず消費の変化が検出されなかったのは、明白なアナウンスがなかったため、世帯ごとに増税を認知するタイミングが異なり、マクロでみれば消費の明確な落ち込みが観察されずに済んだと考えられる。
逆に14年のケースでは、増税延期への期待を高めたうえで、予定された引き上げ時期直前に明白なアナウンスを出したため、多くの家計が同時に消費水準を変更することになり、マクロでみても大きな消費の変化が生み出された。
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これらの結果から、以下の政策的含意が導ける。第1に相対物価の変化によっては消費のタイミングはそれほど変わらないため、実際の消費税率引き上げそのものは消費に大きな影響を与えない。逆に、既にアナウンスをした場合、税率引き上げを多少延期しても消費の回復は望めない。
第2に消費の急激な変化を避けるには、税率に関する大幅な情報の更新を避けるべきだ。増税のように国民生活に大きな影響を与える政策が、実施直前に政策決定プロセスなしに変更されればマクロ消費に不要な変動を生む。長期的な税制変更のスケジュールを示し、それを着実に実施していくのが望ましい戦略だ。
第3に消費の指標の重要性である。今回、アナウンス時点での消費の落ち込みが観察できたのは、備蓄不可能な非耐久財の消費に注目したからだ。消費支出全体でみると駆け込み需要の影響もあり、アナウンス時点には増加していた。正確に消費の状況を判断するには、適切な指標を観察する必要がある。
高齢化が進む日本では、さらなる消費税率引き上げは不可欠だ。ライフサイクル仮説を前提とすれば、増税で消費が落ち込むことは避けられない。しかし実施時期ではなく引き上げ決定のプロセスに十分配慮すれば、不要な消費の変動を避けることは可能だ。
2016年5月23日 日本経済新聞「経済教室」に掲載