日本経済新聞グループでは、多様で柔軟な働き方やイノベーション(技術革新)を通じた企業の生産性向上を後押しするため、「日経スマートワーク」プロジェクトを昨年来、推進してきた。その一環として、学識経験者らが参画し、企業ヒアリングや実証分析を行い、その知見を広く発信することを目的とした「スマートワーク経営研究会」が今年6月に中間報告として「働き方改革と生産性、両立の条件」を公表した。
◆◆◆
同報告は日経スマートワークの目玉である「スマートワーク経営調査」(以下、同調査)の結果を使い、同調査に参加した上場企業など602社の多岐にわたる特徴・取り組みと企業のパフォーマンスとの関係を分析し、まとめたものである。筆者は研究会の座長として本報告の執筆・とりまとめを務めた。本稿では、同報告の主要部分である第1章(担当・滝澤美帆東洋大学教授と筆者)、第2章(同・滝澤氏)、第3章(同・山本勲慶応義塾大学教授)の概要について紹介したい。
第1章は同調査で得られた企業の特徴・取り組みと企業パフォーマンスに対し、第一次的接近というべき基本的関係を明らかにしている。同調査では、スマートワーク企業を特徴づける「人材活用力」「イノベーション力」「市場開拓力」「経営基盤」という4つの分野で調査が行われ、各分野での評価が点数化・指標化されるとともに、前半3つの分野を合わせた「総合力」の指標も作成された。
まず、分野ごとの指標の相互関係であるが、「人材活用力」「イノベーション力」「市場開拓力」を示す指標のそれぞれの組み合わせの相関係数はいずれも高いことが明らかになった。これらの分野の補完関係、相乗効果の高さをうかがわせる結果である。
また、「総合力」「人材活用力」は労働生産性や総資産経常利益率(ROA)でみた企業パフォーマンスとの相関が正で(弱いながらも)有意であり、こうした指標と企業パフォーマンスとの間の正の関係を確認できた。特に、高収益企業グループではこうした力を示す指標と労働生産性との連関がより強い一方、低収益企業ではこうした力を示す指標とROAとの連関がより強くなっている。
第1章ではさらに「人材活用力」のすべての調査項目について、高生産性と低生産性の企業で明確に異なる特徴・取り組みを抽出した。しかしこれは一つ一つの調査項目と企業の生産性との単純な相関をみたもので、複数の特徴などが生産性に同時に与える影響は明らかではない。
そこで第2章では、「人材活用力」のみならず、すべての調査項目を網羅した上で、労働生産性の違いを説明できる調査項目はどのようなものがあるかを検討した。かなり多岐にわたる調査項目について、事前に生産性との理論的関係を考察することは容易ではない。特定の理論に準拠した場合、説明変数の選択が恣意的になる恐れがあり、潜在的に重要な変数を見落とす懸念もある。
第2章では、先験的な理論にはよらず、全調査項目の中で、どのような項目を抽出して組み合わせれば全体として生産性との相関が最も高くなるかを考察するため、人工知能(AI)でおなじみの機械学習手法を用いて抽出した。分析の一部を抜粋すると、以下の特徴を持つ企業の生産性が高いことが明らかになった。
①社外取締役比率や女性社外取締役比率が高い企業
②従業員1人当たりでみた社会貢献活動費用が高い企業
③健康経営優良法人の認定を受けている企業、性的少数者(LGBT)への施策で家族手当・休暇を同性パートナーへ拡大している企業
④短時間勤務正社員や所定内労働時間限定正社員の比率が高い企業、職務限定正社員制度がある企業
⑤正社員の総実労働時間が短い企業
⑥海外の大学などとの共同研究プロジェクト数が多い企業、部長クラスで決裁できる研究開発費の上限が高い企業、従業員1人当たり広告宣伝費が高い企業
以上の結果は、膨大な企業属性や取り組みの中でも、特にガバナンス(企業統治)の体制が整い、柔軟で多様な労働環境が担保され、イノベーション活動を積極的に行っている企業の生産性が高いことを示唆している。
第1、2章は企業パフォーマンスとして主に労働生産性に着目し、一時点(2016年度)における企業の特徴・取り組みとパフォーマンスの関係を検討しており、両者の因果関係までは特定できていないことに留意が必要だ。
◆◆◆
一方、第3章は複数年のデータが入手できた労働時間などのいくつかの項目と利益率の関係に着目し、複数年における影響の変化や、パネルデータの利用により因果関係にも配慮している。まず、対象企業の働き方改革に関する各種の施策が、ROAと売上高営業利益率(ROS)といった企業の利益指標にどのような影響を与えるか、経年的な影響の変化も考慮しながら分析を行った(12年度から16年度の5年間)。
ダイバーシティ(人材の多様性)の推進、柔軟な働き方、賃金体系の見直しについては、利益率の影響はおおむね統計的に有意ではないものの、健康経営については施策実施の2年後で影響が有意であり、経年的な影響をすべて合わせてみてプラスで有意であることがわかった(図参照)。この結果は、効果が生じるには一定の期間を要するものの、健康経営の実施によってROAやROSといった利益率が高まることを示していると解釈できる。
働き方改革により、長時間労働の是正は必要であるが、その一方で懸念されるのは、企業のパフォーマンスに悪影響を与えていないかということである。このため、対象企業の正社員の労働時間に注目し、働き方改革などによって長時間労働が是正されたことで企業パフォーマンスが変化したかを検証した。
14年以降に多くの対象企業でみられた正社員の労働時間の削減が、企業の利益率とどのように関係しているかを確認するため、図の観察や回帰分析を行ったが、正社員の労働時間は利益率に統計的あるいは経済的に有意な影響を与えていないことがわかった。
このことから、働き方改革による正社員の長時間労働の是正は、企業の利益率を高めるような効果は見いだせないものの、逆に利益率を低下させるような副作用も確認できないといえる。長時間労働を是正した場合、多くの企業ではそれまでの売り上げや利益を維持できており、時間当たりに換算した効率性を高めていることを示している。
◆◆◆
以上、それぞれの章は、異なった、また発展途上の分析アプローチを用いていることもあり、中間報告全体として企業パフォーマンスを高めるための具体的な企業の特徴や取り組みについて明確かつ決定的な結論を導き出すことは容易ではない。
一方、3章で共通した結果は、労働時間水準の低さや削減の取り組みが必ずしも企業パフォーマンスを悪化させておらず、むしろ高い労働生産性との関係が確認されたことだ。こうした結果は、長時間労働の抑制を目玉とする働き方改革が企業の生産性向上と矛盾せず、両立できることを示す重要なエビデンス(証拠)を提供しているといえる。
2018年7月2日 日本経済新聞「経済教室」に掲載