企業組織のあり方を考える際、その構成員に企業の目標に向かって努力させるためどのような誘因を与えるかとともに、企業にとって重要な意思決定をどのレベルで行うかというのは古くて新しい問題である。つまり、最高経営責任者(CEO)に近いレベルで意思決定する「集権化」と、現場の従業員に近いレベルで意思決定する「分権化」のいずれが望ましいかという議論である。
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特に、過去四半世紀の間では情報通信技術(ICT)が企業の意思決定にどのような影響を与えるかが着目されてきた。1990年代に米ハーバード大学のマイケル・ジェンセン教授(現名誉教授)らは(1)意思決定は現場しか知りえない情報に基づくべきだが、それをCEOまで届けるには「情報伝達コスト」がかかること(2)現場に近いところで意思決定すればCEOの目標や意向と異なる意思決定がされ「利害対立コスト」が生まれることに着目した。
ICT活用は両者のコストを低下させる方向に働くが、情報伝達コストの低下は集権化へ、利害対立コストの低下は分権化へ作用すると考えられ、その効果は必ずしも一方向ではない。
一方、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のルイス・ガリカーノ教授は2000年の論文で、企業組織の意思決定のあり方を知識獲得の視点から理論化した。労働者が自分で必要な知識を得るための「知識獲得コスト」と、上司を頼ることで解決を得るための「情報伝達コスト」の大きさで最適な意思決定レベルが決まるというものだ。ICTは両者のコストを低下させるが、情報伝達コストの低下はやはり集権化へ働き、知識獲得コストの低下は分権化へ働く。
このモデルでは、いずれのコストの低下においても上司は余裕ができる分、部下の数を増やし、管理範囲が広がり、組織がフラット化することに留意が必要である。
ガリカーノ教授と、同じLSEのジョン・ファンリーネン教授、米スタンフォード大学のニコラス・ブルーム教授らの14年の論文は、前述の理論を実証的に裏付ける結果を示した。米国、英国、ドイツ、フランス、イタリアなど8力国、約1000社のデータを使ってICT活用が意思決定に与える影響を分析した。
具体的には、まず、企業本部と工場長の関係に着目し、工場長の自らの情報獲得能力を高めるとみられる統合基幹業務システム(ERP)のソフトウエアを使うと工場長への権限委譲が進むことを見出した。一方、企業内の情報伝達コストの低下をもたらすイントラネットがある企業では逆に工場長の自律性は低く、意思決定はより集権化していることがわかった。
次に、工場内での工場長と労働者の間の意思決定の関係に着目すると、労働者の知識獲得を高めるとみられるCAD・CAM(コンピューターによる設計・製造)を使う企業の方が労働者の自律性が高く、工場長に直接報告する労働者の数も多いことがわかった。一方、イントラネットの存在は工場長への集権化には有意に影響していなかった。
ハーバード大学のジュリー・ウルフ准教授は12年の論文で、300社以上の米大企業を対象に80年代半ばから90年代末までに企業組織の変化に着目し、フラット化が進んできたことを示した。例えば、CEOと部門長の間にあるポジションは最高執行責任者(COO)の廃止などで86年の1.6から98年に1.2となり、階層の減少がみられた。また、CEOに直接報告する幹部の数も同時期に4.4人から8.2人へ増加し、管理範囲が広がっている。
ただし、こうしたフラット化によって世に喧伝(けんでん)されてきたような組織内の権限委譲は必ずしも起きていないことも強調している。
CEOに直接報告する幹部の中で増加しているのは通常の事業部門長ではなく、機能別部門長である。特に、IT活用が進んでいる企業ほど、最高財務責任者、最高人事責任者など管理部門長のポストの数が増加し(グラフ参照)、経営トップに近いところで意思決定するようになったことが指摘されている。
(CEOに直接報告する幹部のポジション数、サンプル平均)
これは情報通信コストの劇的な低下により、企業全体を見渡す位置にある機能別部門長が相互関係の強い業務間で調整したり、シナジー(相乗効果)を追求したりすることが容易になったためである。
一方、CEO自身の意思決定については、企業組織のフラット化はCEOの部下への関わりを強め「ビジネスの現場により近づく」ためであることを明らかにしている。これは必ずしも部下とのタテの関係を強めるのではなく、むしろ経営上層部における議論を活発化させ、チームにおける水平的な情報の流れや協業がポイントとなっている。
また、CEOの時間の使い方をみると、企業がフラット化し直接の部下の数の多いCEOほど、事前に企画され部門横断的で参加者が多様な会議に割く時間が多く、独りでいる時間は少なくなっている。時間的な制約の大きい経営者が会議に出席して自ら意思決定する傾向を強めているのだ。このようにみると、やはりICT活用による情報伝達コストの低下による効果は予想以上に大きいといえる。
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日本に目を向けると、ソフトバンクの孫正義社長はIT革命の黎明(れいめい)期にそれを集権化に活用した希有な例である。孫社長が部下から徹底的に情報を集める手法は90年代に「千本ノック」と称され、その後も1万以上の財務データ(日々決算)をリアルタイムで分析し経営判断に役立てている。
ICTの影響を従業員の働き方まで広げて考えると、場所を選ばない柔軟な働き方である「テレワーク」は興味深い例である。オフィスや通勤に要するコストを削減し、働き手にとってもライフスタイル・ステージに合わせた勤務が可能になる働き方だ。
一方、潜在的な問題点は、同じ場所・同じ時間で働くことから得られる交流、情報の共有、チームワークといったシナジー効果が発揮できないことだ。また、上司が監視できないことが働き手のモティベーションに影響を与える可能性もある。もちろん、ICTによる電子メールやイントラネット、クラウドなどで情報共有ができるようになったことがテレワークを促進していることは間違いない。
こうした中で、在宅の従業員が主体にもかかわらず、ICT進化によりネット上で従来の職場と変わらない仮想的なオフィスを実現している企業が出てきている。在宅勤務のコンサルティングなどを手掛けるテレワークマネジメント(北海道北見市)は一例だ。同社ではネット上の仮想オフィスで机を並べる従業員の場所をクリックして呼び出し、顔を見ながら打ち合わせしたり、複数で会議をしたりすることが可能となっている。これも権限が委譲しやすい仕事が中心にならざるを得なかったテレワークの可能性を大きく広げる取り組みである。
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日本の大企業ではICT活用がいまだ十分でないという批判が多い。従来、従業員への権限委譲や従業員レベルでの水平的な情報コーディネーションが発達してきたことを考えると、ICTをむしろ集権化、経営層の強化に利用する余地や恩恵は大きいと考えられる。発想の転換が求められているといえよう。
2015年5月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載