解雇補償「適正額」どう探る

鶴 光太郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

2015年の安倍晋三政権の雇用制度改革で焦点になりそうなのが、雇用終了(解雇)の問題である。解雇に起因する紛争に対しては、(1)そもそも未然に防止する(2)もし起きたとしても、できる限り迅速かつ効率的に解決する(3)そして、決着が図られた際にも、解決の仕方を多様化する--という点を、三位一体で進めることが重要である。

解雇について、労働契約法16条は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を乱用したものとして、無効とする」と定める。現行制度では、解雇無効判決によって労働契約関係の継続が確認されることになる。

しかし、現実には原職復帰は多くなく、最終的には金銭補償による和解で解決することが多い。また、都道府県労働局によるあっせんや労働審判などでも、金銭補償による解決が多くみられるが、補償金の水準にはばらつきが大きいことが指摘される。

こうした状況を踏まえると、前述の(3)の視点に照らし、労働契約関係の継続以外の方法で、労使双方の利益にかなった紛争解決を可能とする仕組み、具体的には、解雇補償金制度(いわゆる金銭解決)の導入が必要である。

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解雇補償金制度とは、不当解雇の場合、法律で定められた一定額の解雇補償金を使用者から労働者に払い、雇用関係を解消する仕組みである。欧州諸国ではこうした制度が普遍的である。補償金の額については、法律などで勤続年数に応じて不当解雇の際に支払われるべき目安額が明示されており、制度が導入されれば、予測可能性が高まることが期待される。

政府が昨年まとめた成長戦略(日本再興戦略改訂版)では、主要先進国では判決による金銭救済ができる仕組みが整備されていることを踏まえ、透明で客観的な労働紛争解決システムの構築に向け、15年中に幅広く検討を進めることを明言している。改革に向けて待ったなしの状況だ。

大きな論点となるのは、解雇補償金の水準の決定の仕方である。欧州諸国の補償金の水準をみると、勤続年数20年の場合で大陸欧州諸国が賃金の1~2年分、雇用保護の弱い英語圏諸国やオランダなどでは半年前後となっており、やはり、ばらつきが多いことがわかる(表参照)。

表:不当解雇の場合の解雇補償金は、各国で水準にばらつきが目立つ
(月額賃金換算の解雇補償金水準)
(単位:カ月)
ベルギー3.0
英国5.5
ニュージーランド6.0
オーストリア6.0
デンマーク6.6
オランダ7.0
ノルウェー12.0
フィンランド14.0
ポルトガル15.0
フランス16.0
ドイツ18.0
イタリア21.0
スペイン22.0
スウェーデン32.0
(注)OECD調査(2013年)。大半が勤続年数20年を想定、スウェーデンは10年以上。ニュージーランドはこれに約6.2週分の賃金が加わる。ドイツ、スペインはここから退職金分を差し引く。米国はあらかじめ決まった補償額がない

12年の世界銀行の調査では平均的な姿をみるために、勤続年数によって異なる金額を集計し、勤続年数1年当たりの解雇補償金の水準を求めている。高所得国の48力国では賃金の1.8週間分(平均値)、経済協力開発機構(OECD)諸国の35力国は2.1週間分(同)となっている。

政府が法律などで解雇補償金の水準を決める場合でも、それは個々の国の労働市場などの特性を反映していると考えられる。補償金の望ましい水準を検討するためには、まず、企業と労働者の交渉によって得られる最適な補償金の水準を考えるべきである。

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ここで注意しなければならないのは、米スタンフォード大学のエドワード・ラジアー教授が1990年の論文で理論的に示した、解雇補償金の「中立性」である。具体的には、労働者がリスクに中立的で、賃金が完全に柔軟的であるなどの条件が成り立てば、補償金は雇用や労働者の厚生、企業の収益には影響を及ぼさないという結果だ。

なぜなら補償金を導入しても、賃金の時間的プロファイル(勤続年数に応じた賃金体系)の変化によって期間中に支払われるべき賃金が低下し、相殺されてしまう。そのため、労働者や企業の将来純収入(総和、現在割引価値ベース)には影響を及ぼさないというのである。リスク中立的な労働者は将来純収入にのみ関心を持ち、賃金プロファイルには無関心であることが背景にある。

しかし労働者は通常、リスク回避的であり、賃金も完全に柔軟というわけではない。補償金に見合う分、賃金が低下するとは限らないし、賃金プロファイルの変化も、労働者の厚生に影響を与える。したがって、中立性は一般には成立しない。雇用保護が労働市場に与える影響を分析した研究は数多いが、補償金の最適水準の決定に関するものは、かなり限定的である。

仏国立統計情報分析学院のステファン・オーレイ教授らの14年の論文では、労働者がリスク回避的である標準的なマッチングモデルを使って、労使が賃金と解雇補償金を巡って交渉する場合を分析している。このモデルによれば、最適な補償金(賃金対比)は(1-失業保険の所得代替率)/(割引率十失業者の入職確率)という単純な式で示せる。つまり、補償金の水準は、失業給付の代替率、失業者の入職確率、割引率(金利)が高まるほど低くなる。

職を維持しておれば得ていたであろう将来純収入を補償するという観点からは、失業給付が恵まれておれば、補償金はそれだけ少なくて済む。また、次の職を見つけやすければ、その時点から賃金が得られるため、やはり補償金は少なくて済む。

オーレイ教授らはこうして理論的に導出される解雇補償金の水準と、現実の法律などで規定されている補償金の水準を比べ、ノルウェー、フランス、ドイツなどは理論値に近いことを示した。一方、イタリア、スペインなどは理論値を大きく上回り、その水準は労働組合の影響を新たに明示的に組み入れたモデルから得られる水準と整合的となった。これは、労働組合の強い影響を示すものである。

一方、伊ボッコーニ大学のティート・ボエリ教授らは14年の論文で、ラジアー教授の中立性条件が成り立つ場合でも、年功型の後払い賃金制度のもとでは、解雇補償金は意味を持つことを強調した。

若い頃の低賃金を後になって取り返す仕組みのなかで、中高年の賃金水準は生産性を上回る。この両者の乖離(かいり)は、企業に解雇の誘因を生じさせる。その場合、補償金の水準をこの乖離以上になるように設定すれば、非効率な解雇を抑制できる。

生産性を上回る賃金は、若年期における労働者の企業に対する貢献(たとえば、その企業だけで通用する特殊な技能の取得=企業特殊投資)を反映しているとすると、最適な補償金がこうした投資のコストに依存することは明白だ。このモデルを考えると、補償金が勤続年数に依存することも理解しやすい。

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日本への解雇補償金導入を考える場合に参考になるのが、経済産業研究所(RIETI)の金銭解決に関するアンケート調査(2000人超の正社員対象)である。不当解雇の際に希望する補償額の中位値は、賃金の16カ月分であり、10~17カ月の幅のなかで勤続年数が多くなるほど増加していく。この結果は先にみた欧州大陸諸国とも近い。

しかし、欧州で補償金に勤続年数が強く反映されているのは、勤続年数が短い者から解雇される先任権ルールが徹底されていることが大きい。一方、日本の場合、中高年の賃金はそもそも諸外国よりも勤続年数による影響をより強く受けて高くなっている。したがって、企業側の負担を考慮すれば、日本での勤続年数の反映度合いは、欧州諸国よりも弱くなるべきであろう。

こうした日本独自の要因なども考慮しながら、労使双方が納得するルールづくりに向け、先入観にとらわれない柔軟な検討をしていくことが重要である。

2015年1月19日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2015年2月25日掲載

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