「限定正社員」から日本人の働き方を変える

鶴 光太郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

なぜ今、雇用改革か

雇用の問題は気づかぬうちに、じわじわと進行する。90年代初頭のバブル崩壊後、金融危機や不良債権といった、いわば目に見える問題にかかりきりで、その間、雇用において、少しずつ進行していたさまざまな問題は見過ごされてきた。

たとえば、80年代半ばには15%程度であった非正規雇用の比率は、今や40%近くにまでなっている。なかでも、有期雇用の割合の高さはOECD(経済協力開発機構)中、最も深刻な部類に入る。

過去20年間に、日本的な経済システムは輝きを失った。高度経済成長を実現した雇用システムも同様である。時代に合わなくなった制度をあらためなければ、世界経済のなかで次のステージヘ進めないのではないか。その認識は我々の中で強くなりつつある反面、我々のなかに「変えたくない」と思う力が非常に強くあるのも事実だ。弥縫策が繰り返された挙げ句、中途半端な状態になっている。

近年、人口減少とそれにともなう労働力不足への不安が高まりつつある。人口減少によって労働市場がどう変わるかを予測するのは難しい。現時点ではっきりしているのは、人口減少のなかで、急速に高齢化が進むということだ。

高齢化によって、雇用には大きく分けて2つの問題が発生すると考えられる。第1に高齢者の雇用を増やさなければならないこと、第2に若者の働く意欲をどう維持するかということである。

たとえば、前者に対して現在行われていることの1つに定年延長がある。ただし、この場合の延長とは、高い給与のまま高齢者を雇い続けることではない。給与を下げ、仕事内容などをリシャッフルしなければならない。

日本の賃金システムを諸外国と比較した場合、最も大きな違いは年功序列的に伸びていく給与である。過去20年間にその伸びのカーブは緩やかになってきているが、40代以上になるとほぼ伸びがなくなる欧米と比べれば、歴然とした違いがある。

本当に定年延長を制度として定着させるのであれば、かなり早い段階から賃金が伸びないシステムに変えていかなければ企業は経営的に苦しい。しかし、現実の40代、50代は、住宅ローンもあれば子供の教育にもお金がかかる世代である。賃金が上がらなければ生活することが困難である。

ここで明らかになるのは、男性が大黒柱となって家族を支え、女性が専業主婦として家庭を守るというモデルがもはや維持できないということである。夫婦が共働きをして、2人合わせてそれなりの年収を得なければならない。そうであるならば、それに応じた仕組みが必要となる。共働きの夫婦が子育てをするには、両者がともに長時間労働というわけにはいかない。ワーク・ライフ・バランスがあたりまえにならなければならないのだ。

そのための仕組みが、次に示す限定正社員である。限定正社員の普及は、あらゆる雇用制度改革の出発点になりうる。

限定正社員の普及が急がれる理由

そもそも正社員とは何だろうか。その定義は、(1)無期雇用、(2)フルタイム勤務、(3)直接雇用(雇い主が指揮命令権を持つ)の3点に集約できる。日本の場合、これらに加え、無限定正社員(正社員の「無限定性」)という傾向が顕著である。無限定正社員は、将来の勤務地や職務の変更、残業を受け入れる義務があり、使用者側は人事上の幅広い裁量権を持つ。

正社員の無限定性は、現在の日本人の働き方にいくつかの問題を引き起こしているが、ここでは2点を挙げておきたい。

第1に、冒頭でも述べた非正規雇用の拡大の要因となったことである。なぜか。正社員は雇用保障や待遇が手厚いために、90年代以降、企業が採用に慎重になり、その結果非正規雇用が増えたのである。

第2に女性の活躍を阻害していることである。無限定正社員が前提である社会では、妻は専業主婦で家族を支えることが要請され、さらに、女性自らが正社員として働こうにも、子育てや親の介護によってキャリアを継続することが困難であった。

これに対し、限定正社員とは、動務地、職務、労働時間、このいずれかが限定された正社員を指す。なかでも職務限定型が中心であることから、「ジョブ型正社員」とも呼ばれている。無限定正社員と比べ、同じ仕事をしていたとしても、処遇はやや低くなる。限定正社員を採用するのに法律上の規制があるわけではなく、また、大企業の約半数がすでに導入しているという調査もある。

限定正社員のメリットの第1は、男女ともに子育てや介護、またはライフスタイルに合わせた勤務が可能になることである。労働時間限定型なら、ワーク・ライフ・バランスに最も効果的である。職務限定型なら、自分のキャリアや強みを生かし、自らの価値を明確にすることかできるだろう。

企業にとっても、無限定の正社員より限定正社員のほうかハードルが低い。非正規雇用からの転換においても、無限定正社員に比べて容易であるから、雇用の安定が確保できる。非正規雇用の人たちが限定正社員になれば、彼らの雇用は明らかに安定する。雇用全体の少なくとも1割程度が、非正規雇用から限定正社員へ転換されることが必要だ。

これまで女性が活躍するには女性が「男になる」ことが必要とされた。男女雇用機会均等法は結果的に、女性も男性並みに働くことを強要したのではないか。男性以上に長時間労働に励んだ女性は、そうすることによって男性社会を勝ち抜いてきたのだ。

では、その女性の夫が「お前がそこまで頑張るのなら、俺はもっと家事を担当するよ」と言ったとしても、夫が無限定正社員であるならば、現在の日本の働き方はそれが許される状態にはない。残業も転勤も、命令されれば絶対に従わなければならないなかで、男性正社員が妻を支えるために一歩退いて働く選択肢は用意されていないのだ。

処遇とは全体のバランスである

限定正社員の普及において特に留意しなければならないのは、同じ企業のなかでの無限定正社員から限定正社員への転換である。本人が限定正社員について十分理解しないまま、企業側がいわば「だまし討ち」のようなかたちで転換させることがあってはならない。

転換はあくまで本人の希望を起点として行われるべきであるし、1度限定正社員に転換しても、また元に戻ることができる仕組みを確保しておかなければならない。これは非常に大事なことである。

限定正社員に転換すると解雇されやすくなる、労働組合はそう言って反対をし、テレビ番組でも「地域の事務所がなくなったら解雇されました」というストーリーを紙芝居形式でやっていた。ここには誤解もあるが、我々に注意を喚起するという点においてはむしろ有意義だったとも言える。

ただし、理解しなければならないのは、限定正社員を自ら選ぶ人の事情であり、環境である。たとえば勤務地限定型の人の場合、子育て中であるとか、親の介護をしているとか、そういった状況のなかで、若干の不利益を納得して働いているはずである。「自分は限定的に勤務する」と納得した人に対して、事業所がなくなるからという理由で配置転換を命ずることが本人にとってメリットがあるとは限らない。

解雇といった話題は、まるで腫れ物に触るように避けられることが多い。しかし、こうした仕組みを取り入れる際には、最初に「こういった場合には解雇の可能性がありますよ」「通常の正社員と違いますよ」と、丁寧に話をして、双方が納得していなければならない。

大事なのは、処遇とはその人の生活、全体のバランスにおいて決まるということだ。残業はしないとか、転勤したくないとか、職務を変えたくない、という価値観を持っているならば、少々賃金は低くてもいいと考える人は少なくないはずだ。その意味においては、むしろ企業側のほうが導入に及び腰になっているようにも見受けられる。

付け加えれば、無限定正社員はこれからも企業のなかで一定の割合は必要であると考えられる。ただし、無限定性が現在のように、ほとんどすべての正社員に求められるべきではない。一部の幹部候補生だけに限ってよいのではないだろうか。

我々の価値観を転換せよ

働き方の仕組みを変えなければならないのは正社員のありかただけではない。詳しく述べる余裕はないが、ことに重要なのは日本人の労働時間に対する考え方だ。

日本は法律上、1日8時間以上労働してはいけないと定められているにもかかわらず、36協定というものが存在し、結果的にサービス残業を含め、青天井の長時間労働がなされている。

日本の長時間労働は世界的に見ても、異様と言うほかない。過労死というものが存在していること自体、諸外国では信じられないだろう。

長時間労働を抑制する手段として、日本は残業代という割増賃金を支払っているが、その実効性ははなはだ心許ない。むしろドイツで行われている労働時間貯蓄制度―賃金ではなく休暇として与える―のような仕組みを考えるべきではないだろうか。

日本の場合、労働時間というとすぐに賃金の話になる。私はこれには非常に違和感を覚える。労働時間と賃金はいったん切り離して考えるべきである。特にホワイトカラーの仕事は、時間に比例して、成果が上がるというものではない。

現在の日本に、残業しても賃金が増えない仕組みは2つある。1つは管理監督者の適用除外制度であり、これによって課長クラス以上は残業代がつかない。もう1つは裁量労働制だが、これは他の国にはない。管理監督者のほうはあまりにも緩く、だから「名ばかり管理職」と言われるものが横行している。一方で、裁量労働制はその認定基準が複雑なせいで、企業全体で0.何パーセントしか導入されていない。かたや、やりたい放題の仕組みであり、かたやガチガチの仕組みなのである。

我々はもっと使い勝手のいい制度を導入しなければならない。そのためには単に労使が綱引きをするだけではなく、国民的な議論をすることこそが必要なのである。

人間社会には必ず慣性が働く。変えたくない、ずっとそこにとどまっていたいと思う。雇用も同じで、仕組みを変えるということは我々の価値観が試されるということである。

たとえば、限定正社員について説明する時に、私が無限定正社員としてバリバリ働く妻を支えるために夫が限定正社員になるという未来予想図を示すと、男性からも女性からも、「寂しい」「情けない」といった反応が返ってくる。なんだかんだ言って、「なぜ男が出世をめざして頑張らないのか」という観念に凝り固まっているのは我々のほうなのだ。

慣れ親しんだものから離れることは難しい。仕組みを変えるためには、我々自身が意識を変えなければならない。それが雇用改革のいちばんのポイントかもしれない。

「中央公論」2014年12月号(中央公論社)に掲載

2014年12月11日掲載

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