解雇に金銭解決の導入を

鶴 光太郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

欧州危機が深刻化する中、南欧諸国を中心に労働市場の改革機運が高まっている。その好例がイタリアで6月に成立した「労働市場改革法」(キーワード参照)である。産業、企業を抜本的に合理化し、経済を成長軌道に乗せるには硬直的な解雇規制の見直しが必要との立場から、企業主導の金銭解決が初めて導入されることとなった。

もともとイタリアを含め南欧諸国は、正規雇用の解雇規制が経済協力開発機構(OECD)諸国の中でも強く、正規雇用の保護にほとんど手をつけられなかった。そのため正規雇用はそのままにして有期雇用の解雇規制を緩和するという二重構造的な労働市場改革を行ってきた。その結果、有期雇用の離職率の高まり、訓練機会の減少、生産性の低下をもたらし、特に若者、女性、移民、未熟練労働者に負の影響を与えてきた。

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こうした問題は2008~10年に世界不況が有期雇用を狙い撃ちにして深刻化した。ボッコーニ大学のティート・ボエリ教授は11年の報告で、スペインはリーマン・ショック時に有期雇用が29.5%だったが、08~10年に全体の雇用喪失に占める有期雇用の割合が76.9%と高水準だったことを示した。これは危機前に有期雇用の割合が14.3%で、不況期の雇用喪失に占める有期雇用の割合が12.8%だったフランスとは対照的である。その後、フランスの失業率が10%程度に留まった半面、スペインでは7月には25.1%まで高まった。

マドリードの金融研究センターのサミュエル・ベントリア教授、仏エコール・ポリテクニークのピエール・カユック教授、カルロス3世大学のホアン・ドラド教授らは12年の論文で、両国で有期雇用の削減規模がこれほど異なるのは、スペインがフランスに比べ正規雇用の保護は強い一方、有期雇用の規制が弱く、両者のかい離が大きいためだと指摘した。スペインがフランスの解雇規制を採用した場合、失業率上昇の約45%を抑えられたとのシミュレーション結果を報告している。

ベントリア教授、ドラド教授、スペイン銀行のホアン・ジメノ氏は、12年の論文でスペインの労働市場改革を分析した。同国は97年に正規雇用促進契約(30~44歳以外の雇用機会が小さい層が対象で、解雇補償金の水準が一般の無期雇用より低い)を導入し、この契約での採用には社会保険料の企業負担を採用当初2年間、40~60%軽減した。だが、同契約は社会保険料の負担軽減終了と同時に解雇されるケースが多く、あまり効果を生まなかったとしている。

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このため経済危機が深刻化した09年にはスペインなどの経済学者100人が署名した「スペイン労働市場再出発のための提案」で、労働市場の二重構造に終止符を打つため単一契約が提案されることになった。単一契約とは有期雇用の解雇補償金(キーワード参照)が無期雇用に比べ大幅に低い状態を解消。新たな雇用者に対し無期、有期の区別なく、解雇補償金は同じで勤続年数とともに増加するようにする仕組みである。

このような単一契約は、詳細な仕組みは異なるものの、フランスでは米マサチューセッツ工科大学(MIT)のオリビエ・ブランシャール教授とトゥールーズ第一大学産業経済研究所のジャン・ティロール教授、カユック教授と仏経済統計研究所のフランシス・カラマルツ教授、イタリアではボエリ教授とトリノ大学教授のピエトロ・ガリバルディ教授らによって政府へ提言されてきた。昨年から今年にかけて、OECDや欧州委員会が開くセミナーでも、解雇規制や単一契約がテーマの1つとして掲げられるなどホットトピックとなっている。

単一契約を実際に取り入れた国はまだないが、スペインは無期雇用の不当解雇について補償金引き下げを予定し、単一契約の趣旨を取り入れた改革を目指している。パブロ・デ・オラビデ大学のイグナチオ・ガルシアペルツ教授らは12年の論文で、現在のスペインで無期雇用と有期雇用の解雇補償金を統一し、勤続年数当たり日給45日分(無期雇用・不当解雇、上限月収42カ月分)から、12日分~36日分(上限月収24カ月分)にした場合、失業率は14.5%から11.4%に低下するとの試算を示した。

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こうした南欧諸国の動向の日本への示唆は何であろうか。日本の場合、民法上は解雇は原則自由だが、解雇権乱用法理は不当解雇をその権利の乱用ととらえ解雇そのものを無効にする。つまり原職復帰を使用者に義務付けている(未払い賃金の支払い義務含む)。一方、欧州では裁判で解雇が不当とされても、一定の金銭を使用者が支払って雇用関係を解消させる解決が一般的である。こうした解雇補償金=金銭解決の仕組みは日本では認められていない。

もちろん裁判所での和解、労働審判、労働局のあっせんにおいて金銭的な解決が行われているが、労働政策研究・研修機構や東京大学社会科学研究所の調査をみると、紛争解決の仕方で解決金がかなり異なり、少額のケースも多い。裁判で解雇無効が認められても、原職復帰して周りとの信頼関係を再構築するのは、企業内外の変化が迅速になる中でますます難しくなっている。不当解雇の際の使用者、労働者の選択肢に対する規制についてOECD諸国で比較すると日本は原職復帰しかなく金銭解決が認められていないため韓国、オーストリアと並んで最も規制が強い国と分類されている(図参照)。

図:不当解雇の補償水準と職場復帰の義務・頻度
図:不当解雇の補償水準と職場復帰の義務・頻度
(出所)OECD
(注)日本は職場復帰した際、裁判期間中に遡って賃金が支払われるため、平均裁判期間を6カ月と想定して解雇補償金としている。米国、カナダは損害賠償で争われるためあらかじめ決まった解雇補償金額があるわけではない

一方、原職復帰を求めない国ほど解雇補償金を活用し、その水準は高くなっていることがわかる。アングロサクソン諸国やオランダは、原職復帰の義務は少なく、解雇補償金の水準も低いグループに属している。転職自体が珍しくなくなった中で、解雇補償金の水準に十分配慮しながら、イタリアのように、労働者が金銭解決の選択権を持つ仕組みから導入すべきであろう。

無期雇用と有期雇用の二極化問題は日本でも深刻である。しかし、先の国会で成立した労働契約法改正に盛り込まれた5年を超えた有期雇用の無期雇用への転換原則義務化の効果はほとんどないであろう。欧州でも有期契約の最長継続期間の上限があるが、ほとんどの国で有期雇用の平均継続期間はその上限よりかなり短くなっている。有期雇用の雇い止め問題に対しては、「雇い止め法理」の法制化を図るよりも有期雇用にも金銭解決を導入し、将来的には無期雇用と金銭解決の仕組みを統合化することも視野に入れるべきだ。

日本の解雇規制は判例の積み重ねであり、法律の条文を変えても規制を緩和できるわけではない。整理解雇に対する判例も近年では全体的に手続き的な側面が重視されるなど時代の変化に比較的柔軟に対応してきたが、過去20年ほどの非正規雇用問題の深刻化などを考慮すると規制のあり方を再検討する意味は大きい。解雇補償金の水準が法律で明示されれば、それを変化させることで「解雇規制緩和」が初めて可能となり、単一契約が導入しやすくなるなど労働市場二極化の究極的解決に向けた一歩となる。長期的には人材流動化を通じた生産性の向上も期待できよう。

キーワード

イタリアの労働市場改革法

従来は従業員15人超の企業が不当解雇をした場合、裁判所は労働者の原職復帰と裁判期間の補償金を命じるが、労働者はそれを拒否して月給15カ月分の補償金を受けとることもできた。ただ原職復帰の場合、裁判期間の長い同国では未払い賃金が高くなり事実上、大企業は解雇ができなかった。改正法では補償金を最大月給24カ月分とし、金銭解決を中心に据えた。

解雇補償金

解雇には経済的理由(日本の整理解雇)、懲戒的理由(懲戒解雇)、個人的理由(狭義の普通解雇)によるものがあるが、いずれもその正当性は最終的には裁判で争われることになる。不当解雇の場合、かなり多くの国で企業は法定水準の補償金を支払い、雇用関係を終了させることができる。水準は低いが、正当な解雇の場合にも補償金が支払われる国は多い。

2012年9月18日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2012年10月4日掲載

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