有期雇用、賃金で補償を

鶴 光太郎
上席研究員

今秋から年末にかけて非正規雇用に関する政策論議が大きなヤマ場を迎える。有期労働契約を議論してきた厚生労働省の労働政策審議会労働条件分科会が8月に「中間整理」を発表したのに続き、9月には同省の「今後のパートタイム労働対策に関する研究会」が報告書を公表した。これらを土台に、厚労省は非正規労働者の公正な待遇確保に必要な政策の方向性を示す「非正規雇用ビジョン」(仮称)の年内策定を予定している。

本稿では、経済産業研究所のプロジェクト成果で、筆者が編著者の1人である「非正規雇用改革―日本の働き方をいかに変えるか」(日本評論社)に基づき、共同研究者と取り組んだ最近の分析も交えて、非正規雇用問題の改革の方向性について議論したい。

◆◆◆

非正規という働き方を特徴付ける軸は(1)労働時間(フルタイム→パート)(2)雇用契約期間(無期→有期)(3)雇用関係(直接雇用→派遣)――の3つである。つまり非正規雇用の働き方はいわば、正規雇用を原点とした「3次元の世界」で特定される。その中で最も重要な軸は雇用契約期間である。自ら希望してパートや派遣を選ぶ人は多くても、自ら有期雇用を選ぶ人はほとんどいないからである。有期雇用は不安定な雇用の根本原因であるだけでなく、正社員と異なる処遇をする際の言い訳に使われてきた。

これまでの非正規雇用の議論をみると、非正規雇用をパート、派遣、有期雇用(フルタイム直接雇用である契約社員を主に想定)という異なる雇用形態に分けて、それぞれで独立的に政策対応を考える傾向が強かった。「3次元の世界」を無理やり「1次元の世界」に押し込めるようなもので、どうしても無理が生じてしまう。パートや派遣といった形態にかかわらず、非正規雇用の共通の問題である有期雇用という「横串」を刺す発想の転換が必要である。

しかし厚労省分科会の中間整理をみる限り、労使の対立が続き、有期雇用の政策論議はあまり進展していない。労働者側が無期雇用原則を掲げ、有期雇用を契約の入り口や出口で制限するような規制を求めていることも一因だ。日本のように有期雇用を自由に使ってきた国でこうした規制を導入すれば副作用は大きいし、正社員化や雇用安定化に貢献するかどうかも海外の例をみる限り疑わしい。

派遣法改正の際と同様に、労使がこうした「量的規制」で対立を続け、最終的に中途半端な妥協策に終わるのは避けるべきである。むしろ、非正規労働者の処遇改善に論点を絞り、現実的な政策のあり方を考えるべきではないか。

使用者側が「処遇の改善=コスト上昇」を気にするのは当然だが、それが従業員のやる気や生産性向上に結びつく仕組みを考えるべきだ。

◆◆◆

正規雇用と非正規雇用の処遇の違い、特に賃金格差の存在をどう考えるべきか。まず、仕事やキャリアなどほかの条件が同じで契約期間のみが無期と有期で異なる場合には、雇用が不安定な分、有期雇用にはそのリスクを補償するプレミアムが賃金に上乗せされるべきである。

経済産業研究所が非正規労働者を対象に実施した「第5回派遣労働者の生活と求職行動に関するアンケート調査」(大阪大学の大竹文雄氏、岡山大学の奥平寛子氏、名古屋商科大学の久米功一氏との共同研究)では、仮想的な質問に答えてもらった。その結果、3年から1年に雇用契約期間を変更する場合、賃金補償を求めた者は平均して2割程度の賃金引き上げを要求していた。要求補償率は日雇い派遣や契約期間の短いパート・アルバイトで低い一方、契約社員は高くなっている。

また回帰分析をすると、学歴が高く、正社員になりたくてもなれなかった非正規労働者、正社員を希望している者ほど、要求補償率は高い。正社員に近い働き方をしている者ほど、雇用安定補償への欲求が強いことがわかる。

実は、不安定な雇用に何らかの補償をすべきだという考え方は、厚労省分科会の中間整理で労使とも認識をほぼ同じくしている数少ない論点である。非正規労働者の中で特に不満の強い非自発的非正規労働者の幸福度を高めるためにも、契約終了時にそれまでの賃金の一定割合の金銭を支払う仕組みをぜひとも実現させるべきである。

一方、正規と非正規雇用の賃金格差をすべて問題視すべきではないと考える。同一の仕事をしていても、その格差を合理的に説明できる場合があるためだ。例えば、従業員の採用・訓練・福利厚生で一定の固定費がかかる場合、労働時間の短いパートはその分、提示される時間当たり賃金は低下する。また労働者側の立場からみても、「労働時間が短い」「残業がない」という条件を重視する分、留保賃金(就業を希望する最低限の賃金、または許容できる最低限の賃金)が低下してもおかしくない。派遣労働者の場合でも、自らの職探しのコストを節約できる分、その留保賃金は低下するであろう。

正規労働者と非正規労働者のより本質的な違いは、正社員については将来の仕事が必ずしも限定されていない、つまり突然の残業、転勤、異動を何でも受け入れることを前提とした「無限定社員」という側面である。非正規社員と現在同じ仕事をしていても、将来の明示できない契約が上乗せされる分、正社員の賃金が高くなるのは当然だ。

アンケート調査で、他の勤務条件は同じでも望まない転勤や異動を拒めないという条件を追加的に受け入れるために賃金補償を求めた者は、平均で26%程度の賃金引き上げを求めた。一方、仮に賃金を50%上乗せされても転勤や異動は受け入れられないと答えた者が半数程度存在し、特にパート・アルバイトでその割合が高い(表参照)。

表:賃金が50%上乗せされても転勤や異動を望まない者の割合
表:賃金が50%上乗せされても転勤や異動を望まない者の割合
このように正社員と非正規社員が同一労働でも、賃金格差を客観的に説明できる場合があることに留意すると、パートタイム労働法第8条のように正社員に限りなく近い非正規社員(職務同一、キャリア同一、無期雇用)を厳密に規定して均等処遇(同一賃金)を強制することは相当無理があることがわかる。

実際、前述の厚労省研究会の報告書は、上記3要件を満たす該当者はパート労働者全体のわずか0.1%しかいないうえ、差別的取り扱いの禁止を避けるために新たに職務を明確に区分する場合もあると指摘している。

欧州でもパート、有期雇用の均等処遇は欧州連合(EU)指令で定められている。しかし実態は、東京大学の水町勇一郎氏が指摘するように、勤続年数、学歴などの客観的かつ理屈が通った理由があれば処遇格差は認められるが、そうでなければ認められないという「合理的な理由のない不利益取り扱い禁止原則」に沿った運用がなされている。

◆◆◆

同一労働同一賃金を目指す均「等」処遇を金科玉条にするのではなく、労働者ごとに異なる前提条件に応じてバランスのとれた処遇をする均「衡」処遇を実現するには「合理的な理由のない不利益取り扱い禁止原則」を法制化すべきだ。

この場合、「合理的な理由」があいまいであるとの意見もあるが、労使間で対話を進めながら個別ケースごとに柔軟に判断することも必要だ。均衡を著しく逸した処遇をすれば必ずペナルティーを受ける仕組みが導入されれば、悪質な処遇格差を事前に抑止する効果は大きいであろう。

こうした均衡処遇の枠組みでは、勤続年数に応じて異なった処遇をすることは容認されるわけだが、むしろそれを積極的に活用して非正規雇用の処遇を改善することも重要だ。つまり、期間比例的(年功的)な処遇をすることで均衡処遇を徹底させていくという考え方である。

アンケート調査のデータを使った回帰分析によれば、性別、年齢、学歴などの要因を考慮しても、非正規労働者の勤続年数や雇用契約期間が長くなれば、賃金水準(時間当たり、月当たり)は上昇するという関係が確認された。したがって非正規雇用の場合も契約期間や勤続年数が長くなれば、それが処遇改善に結びつく可能性は高いといえる。

ただしパート・アルバイトに限って分析すると、こうした関係は確認できない。パートは派遣と比べ勤続年数が長い者が多く、10年超の割合が3割を超える。にもかかわらず、長期的な貢献が必ずしも十分に評価されていないようだ。期間比例的な処遇は、特にパートの処遇改善を進めるうえで重要な課題となろう。

2011年9月29日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2011年10月12日掲載

この著者の記事