非正規雇用と格差―処遇の均衡へ制度改革

鶴 光太郎
上席研究員

1990年代に長期低迷した日本経済は、調整過程を終えたが、さらに人口減少社会を乗り越え、新たなフロンティアを目指して飛躍を遂げるには、人的資本による潜在成長力強化が不可欠である。もともと資源がない日本の将来は「人の力」にかかっている。

一方、労働市場をみると、従来の労働需給、失業問題に加え、働き手・働き方が多様化する中で非正規労働者の割合が急速に増加し、正規労働者との待遇格差などがクローズアップされている。勝ち組のように見える正規労働者についても長時間労働が深刻になっている。こうした問題の解決に向けて、働き方の多様性と自律性が生かされる中で労働者の1人ひとりが働く意欲と自身の能力を高めていけるような、労働市場を支える新たな制度・仕組みを追求・実現する必要がある。

包括的、抜本的な労働法制改革について、2006年秋に経済財政諮問会議が「労働ビッグバン」を提唱、労働契約法制定や時間にとらわれない柔軟な働き方(ホワイトカラー・エグゼンプション)導入に向けた議論が行われ、その気運が高まった。だが、労使の対立は平行線をたどり、改革が政治的にタブー視される中、残念ながら生産的な議論が十分行われたとはいいがたい。それ以降の雇用・労働改革のテーマは誰にも心地よく聞こえる「ワークライフバランス(仕事と生活の調和)」に偏っているようにみえる。

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労働ビッグバンは「労働市場をより効率的にし、市場メカニズムが働くために必要な改革」と受け止められ、反発を招いた面もあろう。実際、「人は商品ではなく、労働市場を通常の市場と同じ次元で考えられては困る」という意見は根強い。一方、労働サービスも基本的に需要と供給で価格が決まる以上、市場メカニズム自体の意義を否定することは難しい。このように市場メカニズムの是非が対立軸となると、どうしても議論が平行線をたどってしまう。

この構図は、資源配分の効率性を重視する経済学者と、個々の労働者の権利や公正、正義を守ろうとする法学者の対立とも言い換えられよう。このとき、両者の接点を見いだすアプローチとして「比較制度分析」など制度を重視する経済学がある。つまり、どんな市場であれ、市場がうまく機能するためにその土台から支えるインフラストラクチャーとしての制度に着目する考え方である。その場合、目指す改革は「労働市場改革」ではなく「労働市場制度改革」となる。経済産業研究所は先ごろこうした問題意識で政策シンポジウムを開いた。

また、制度を重視する場合でも、民が自発的に形成する私的秩序(ソフトな制度)と官が法律・規制などで強制する公的秩序(ハードな制度)を区別する必要がある。「ソフトな制度」と「ハードな制度」の相互作用、連携をどう考えるかが制度変化=改革の重要な視点となる。

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こうしたアプローチは正規・非正規雇用の格差問題にどんな含意を与えるのか。「同一労働同一賃金」といった均衡処遇を求める声は強い。だが、パートタイムとフルタイム、有期雇用と期間の定めのない雇用との間での均衡処遇は欧州連合(EU)指令で定められている欧州でさえ、有期雇用の場合、労働者や職種の属性を調整してもなお正規雇用に比べ10-20%ほど賃金は低い。パートタイムの場合も、フルタイムとの賃金格差の約3-4割は労働者のどの属性では説明できない、つまり、差別的な部分が残るという研究結果がでている。

均衡処遇の強制といった「ハードな制度」を無理に導入しようとしても、実効性を確保するのは難しく、民の行動様式である「ソフトな制度」は容易に変化しない。

日本でも、08年4月に施行された改正パートタイム労働法では、正社員と同視すべきパートタイム労働者については、賃金決定をはじめ教育訓練の実施などを含めてすべての待遇に関しパートタイム労働者であることを理由に差別的に取り扱うことを禁止している。だが、先のEU指令が必ずしも実効性を伴っていないだけに、効果に過度の期待をかけるのは禁物だろう。

むしろ参考になるのはオランダの例だ。同国では、従業員10人以上の企業で1年以上雇用されている労働者には、自由に労働時間を短縮または延長する権利がある。使用者は原則、その要求に同意し、時間あたり賃金は週労働時間を変更する以前と同水準に維持する必要がある。

労働者がこうした強い権利を持つ場合、使用者側はパートかフルタイムで(時間あたりでみた)賃金や処遇を変えるインセンティブ(誘因)は持たなくなる。一方の待遇を使用者に有利に設定しても労働者が別の雇用形態を自由に選べることができれば、その意味で裁定が働くためである。このように法制で均衡処遇を強制するのではなく、企業が均衡処遇を徹底させるインセンティブをいかに作るか(「ソフトな制度」の形成)という視点が重要である。

非正規雇用問題の本質とは、待遇格差というよりむしろ、雇用者全体の3分の1まで占めるという、適正水準を超え、高くなりすぎたその割合にあるのではないか。これではまっとうな経済社会を維持していくための重要な基盤となる「社会的一体性」を損ないかねない。例えば、日本のパートタイマー比率は05年で男女とも経済協力開発機構(OECD)諸国中3位であり、有期雇用は女性では同2位の水準となっている。

例えば、パート比率が最も高い国はオランダ、オーストラリアといった均衡処遇が徹底している国であることを考えると、日本の高さは自然とはいえない。また、厚生労働省のアンケート調査によると、パート、有期雇用にかかわらず、非正規雇用者の2割程度が積極的に希望して非正規を選んでいるわけではなく、正規への転換を希望している。世帯の主な稼ぎ手が非正規という雇用形態の選択を余儀なくされているのも自然な姿ではない。

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非正規雇用の割合を、例えば現在の3分の1から4分の1程度に低下させるには、希望する者が非正規から正規へ転換できる機会が持てる仕組みを整備する必要がある。欧州では、有期雇用者や派遣における経験が正規雇用への「足がかり」になるかどうかが盛んに議論されている。

非正規から正規への転換を促進するには、正規雇用(内部労働市場)と非正規雇用(外部労働市場)という分断化された市場間の「壁」を低くし、両者の市場の行き来を活発化させ、「裁定」が働くようにする必要がある。そうなれば非正規雇用が使用者側にとって常にコスト的に有利になる雇用形態ではなくなり、待遇も自然とバランスのとれたものになるはずだ。

正規雇用の解雇規制と女性有期雇用の相関

解雇規制の強さを指数化したOECDの分析によれば、日本は正規雇用については比較的規制が強い部類、有期雇用については逆に比較的規制が弱い部類に入るため、正規雇用の有期雇用に対する相対的な解雇規制の強さを試算するとOECD諸国の中では第4位とかなり高い順位になっている。また、正規雇用の解雇規制の強さは国際的にみても有期雇用の割合と正の相関を示しており(上図)、日本の場合も非正規雇用の割合をここまで高めてきた背景となっていることは否めない。

スペインでも、有期雇用の割合が35%程まで高まり、その副作用に悩まされた。しかし、正規雇用の雇用保護縮小や若年などを正規雇用で雇い入れる企業への積極的なインセンティブ供与(補助金など)などの改革を実施して成果を上げた。こうした「分断化」された市場間の「壁」を低くする改革も真剣に検討されるべきである。

2008年5月13日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2008年5月27日掲載

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