2005 年は、バブル崩壊後15年近くに及んだ様々な「負の遺産」の調整に目処がつけられた年として将来においても節目の年と記憶されるであろう。その意味で、バブル崩壊後の長期停滞の中で変容してきた日本の経済システムを評価する絶好のチャンスである。本稿では、まず、時計の針をバブル崩壊直後にまで戻し、そこでの日本の経済システムの評価、論争を出発点にして、この15年間におけるシステムの変化について検討してみたい。
バブル期の「日本経済システム礼賛論」
80年代の後半における日本の経済システムへの評価は内外ともに礼賛色の強いものであった。それは、バブル期の高成長の下で、円高を背景とした日本企業の国際的プレゼンスの高まり(資産規模や対外直接投資)や製造業を中心とした国際競争力の高さが大きく影響していたと考えられる。(当時の)自動車、電機機械産業等の圧倒的な競争力の高さは、日本企業に特徴的な終身雇用システムや系列システムなどと密接に関係していたという見方がその一例である。こうした経済システムへの高い評価は経済学の立場からも理論的に支持された。つまり、伝統的な新古典派経済学ではうまく解釈できなかった日本的経済システムの仕組み、特に、企業内や企業間でみられる長期・継続的な取引関係のメリットが70年代以降発展してきたゲーム理論や契約理論などで理論的にも説明できるようになったのである。当時の論調を反映したものとしては、90年度経済白書(平成2年度年次経済報告)が挙げられる。この白書は日本の技術開発力の強さを長期的な契約を前提とした日本の企業内、企業間の取引慣行に求め、その合理性と普遍性を強調した。一方、バブル崩壊以降、日本の経済システムへの評価も変貌することになる。
バブル崩壊以降強まったシステムへの批判
80年代末には既に日米構造協議で議論されたように、系列システムに象徴される日本のシステムが市場閉鎖的であるという批判があった。しかし、経済の低迷が長期化するにつれて国内からも既存の経済システムに疑問の声が上がるようになった。まず、長時間労働や過労死の多発など「会社人間」の問題点が認識される中で、企業中心社会からの生活者重視の社会への脱皮が必要という批判である。第二の批判は、日本の経済システムは欧米にキャッチアップするために政府が作った「特殊」なシステムであるという見方である。戦時中の「40年体制」が戦後もそのまま続いてきたため、時代の流れに適合できなくなるとともに、「制度疲労」を起こしてしまった。したがって、「後進的」なシステムは新しいシステムと取り替えなければならないという議論である。一方、90年代以降、グローバル化の圧力が高まるとともに、アメリカはIT革命の波に乗って高成長を遂げた。これは、「アメリカのシステムこそグローバル・スタンダードであり、日本のシステムもグローバル・スタンダードに収斂できるように、制度改革を行っていくべきである」という声を強くした。
このような議論を振り返ってみると、経済システムの評価はその時々の経済の状況にかなり引きずられ、その評価も振り子のように揺れ動いてきたことがわかる。しかし、これは日本だけの現象ではない。アジアのシステムの場合も、危機の前は「アジアの奇跡」と持てはやされたが、危機後は「縁故資本主義」と揶揄された。また、アメリカにおいてもITバブル崩壊以降、エンロンやワールド・コムを巡る企業不祥事でアメリカ型のコーポレート・ガバナンスへの絶対的ともいえる信頼が一気に崩れたのは記憶に新しい。
したがって、それぞれのシステムを冷静に評価するためには、まず、どのシステムもメリット、デメリットを持ち、完全なシステムなどないという認識がまず重要だ。その上で、あるシステムがある時期うまく機能していたとすれば、それを支えていた環境条件とは何か、また、システムが機能不全に陥ったとすればどのような条件変化によってもたらされているのかを綿密に検討する必要がある。「40年体制論」や「制度疲労論」は、機械(制度)が故障しても十分原因を調べないまま、寿命がきていると判断し、新品に安易に飛びついてしまうのと似ているのである。
バブル期のガバナンス・メカニズムの総無力化
そうした評価をする上でまず注意しなければならないのは、バブルにまつわる問題と経済システムとの関係である。日本の場合、不良債権問題の原因となった不動産関連への過剰融資は、メインバンクのモニタリング・審査能力が十分でない、つまり、ガバナンス機能不全のため起こったとする主張がしばしばなされる。しかし、バブルの世界を支配する行動原理は「横並び行動」(“herd behavior”)である。「これはバブルである」と分っていてもむしろそれに逆らうことのリスク(自分一人違う行動をして失敗した時のペナルティ)が大きくなってしまうからである。バブルの世界では、価値や評価の座標軸自体が大きく動いてしまうため、どのようなシステムを持ってしても有効なガバナンスを行うことは難しい。また、「事後的」には非効率的な融資であったといくら批判できても、「事前的」には地価上昇期待を前提とした担保依存型融資はそれなりの経済合理性があったといえる。バブルの問題は経済システムの違いに起因するのではなく、株式会社の有限責任にまつわる「資本主義の宿命」といもいえる根深い問題なのである。
システム変化の起点になったバブル崩壊と不良債権問題
90年代の経済システムの変容の基点になったのはやはりバブル崩壊による銀行の不良債権問題である。不良債権増大による銀行の財務状況の悪化は、2つのルートで経済システムに影響を与えることになった。第一は、金融システムへの影響である。メインバンクを中心とした関係依存型金融の場合、企業をスクリーニングしてその質を評価する、モニタリングを行う、借り手が財務危機に陥った場合、再融資や救済などを行うという金融機能を銀行が一手に握っていた。その場合、銀行の財務状況が大幅に悪化すれば、そうした機能全部が一遍に麻痺してしまい、金融仲介に甚大な影響を与えることになる。これは個別の金融機能がアメリカのように格付け機関、商業銀行、投資銀行、再生ファンドなどに分散化し、ショックも分散化されている市場型金融システムとの大きな違いである。世銀の分析でも、市場型金融システムの国の方が銀行危機から回復する時間も短いという結果が得られている(Honohan and Klingebiel (2000))。
さらに、重要なのは、関係依存型金融がそうしたショックの影響を長引かせる「先送り」のメカニズムを内在していたことである。関係依存型金融のメリットの1つは財務危機に陥った企業に柔軟的に再融資できる点であるが、それはデメリットにもなり、将来回収の可能性が少しでもあれば、不動産業等の非効率な借り手にも「追い貸し」を行うソフト・バジェットが97年の金融危機が顕在化するまで継続することになった。一方、潜在的に有望な借り手が多いとみられる製造業に対しては、資産リスクの高い銀行ほど貸し出しを抑制したという意味で「クレジット・クランチ」が発生した。このように、バブル崩壊の直接的な影響とそれを長引かせる「先送り」メカニズムが金融仲介機能の低下と歪みを生み、長期停滞を引き起こす要因になったと考えられる。
第二はコーポレート・ガバナンスへの影響である。不良債権問題、収益悪化で銀行の経営体力が疲弊する中で、メインバンクは借り手が財務危機に陥った場合の経営救済機能やラストリゾートとしての救済機能を大きく低下させた。これは日本のコーポレート・ガバナンスの要であったメインバンクのガバナンス機能の弱体化を意味する。この結果、融資関係に基づいた銀行と事業会社(借り手)との間の株式持合いは90年代後半から急速に解消に向かった。安定株主の割合はこの10年で半減し、全体の4分の1にまで低下するとともに、それを埋め合わせる形で外国人株主の割合が2割を超えるまで上昇してきている。取引関係に依存した安定株主や株式持合いの割合が低下し、浮動的な外国人株主の割合が増加したことで、経営者の株価や一般株主への配慮重視は相当強まったといえる。株主重視の動きは93年の株主代表訴訟制度改正(訴訟手数料定額化)により飛躍的に訴訟件数が増加したことでも強化されることになった。
高い経済成長を前提とした経済システムに起こった変化:雇用システムのケース
金融仲介機能の不全、メインバンク・システムのガバナス機能の弱体化をもたらした不良債権問題の解決の遅れは、それ自体、経済の「重石」となることで株式市場や金融システムの不安定化を継続させた。それが経済の長期低迷、不確実性を増幅し、更に経済システムを変容させる力となった。既存の各サブシステムを特徴付けた長期・継続的取引のメリットは将来、その取引から得られる利益の大きさに強く依存する。したがって、マクロの成長率が不安定かつ低くなれば、長期的・継続的取引で確実に得られると期待できるメリットもそれに応じて小さくなる。このため、企業内でも企業外でも取引を行う主体の長期的・継続的な関係へのコミットメントも弱くなるのである。
そのような典型例は、雇用システムであろう。他の先進諸国よりも長期雇用・後払い賃金(年齢・賃金カーブの傾きが急)の傾向が強いといった特色を支えてきたのは、マクロ、企業ベース双方での安定した高成長とピラミッド型の企業内年齢別従業員構成(豊富な若年労働力)であった。これらの要因が、自らの生産性よりも高いであろう中高年従業員の賃金を企業内の再分配で支えたり、また、将来に向かって確実に賃金が上昇していくという予想を経営側と従業員との間で共有したりすることを可能にしてきたのである。
しかし、90年代に入ってからこうした環境条件が大きく変化する。まず、マクロ経済の成長率(及び期待成長率)が大きく屈折することになった。また、「団塊の世代」が中高年となり、ピラミッド型の企業内従業員構成が崩れてしまった。このため、企業側からすれば従業員は長く勤めれば将来高い賃金を享受できるという「後払い賃金」にコミットメントすることができなくなってしまった(賃金カーブの傾き低下)。景気低迷の中で相対的にかなり高まった労働コスト削減のために大企業が採った方策は、中高年の雇用はできる限り守る代わり、「入り口」の学卒新規採用を大きく絞るというものであった。これにより必要な新規雇用はコストの低い非正規雇用へ大きくシフトする流れができた。こうした延長線上に現在の若年失業、「ニート」の問題がある。
一方、雇用は守る代わり、「後払い」方式で相対的に割高になっている中高年の賃金にメスを入れるため、大企業を中心に90年代半ば頃から年俸制や成果主義が導入されていった。つまり、年俸制・成果主義は、従業員のインセンティブを高めるよりも、そもそも中高年の賃金抑制の手段として導入されたのである。加えて、成果主義が本来持つ問題点もいくつかある。例えば、従業員が客観的に評価されやすい仕事を重視したり、成果の達成を容易にするためなるべく目標を低く設定しようとする問題である。成果主義において従業員の「納得感」の得られる評価を行うことは、長期雇用を前提に長い時間をかけて行うこれまでの評価方式に比べ格段に難しいのである。このようにみると、成果主義が多くの企業で必ずしも機能しなかったことはなんら不思議ではない。非正規従業員が増加し、従業員の多様性が高まる中、働き手を1つにまとめ、インセンティブを高めるためには経営とのミッションの共有が一段と重要になっている。
日本はアメリカのシステムに収斂するか?:コーポレート・ガバナンスのケース
以上のような経済システムの変化はアメリカ型の経済システムへの収斂を意味するのであろうか。ここでは、コーポレート・ガバナンスに着目して考えてみよう。グローバリゼーションが世界各国のコーポレート・ガバナンスの収斂をもたらすかどうかについては、さまざまな議論が行われている。世界的な企業間の競争が収斂への推進力を生みつつあるという考え方がある一方、制度の歴史的経路依存性や補完性を重視する考え方からすれば、コーポレート・ガバナンスの制度自体は必ずしも収斂するとは限らないということになる。
このような論争を解く鍵は、制度やシステムを実態上、民間が採用しているような仕組みと法制度でフォーマルに定められた仕組みとに分けてシステムの収斂を考えることである。
Khanna, Kogan and Palepu (2002)は、発展途上国24カ国、欧州13カ国のデータを使い、株主保護の度合いを示す各指標に基づいた「法律上の収斂」と、サーベイ調査による総合的なガバナンスの質を示す指標に基づいた「事実上の収斂」、いずれが起きているかを調べた。すると、地理、言語、貿易等で関係の深い2カ国の間で「法律上の収斂」は起こっているものの(ただし、アメリカ型への一様な収斂は起こっていない)、「事実上の収斂」の方はみられないことが示された。つまり、ベスト・プラクティスと称して諸外国からフォーマルな法制度を移入するのは簡単であるが、それがその国の仕組みをして根付くかどうかは別の問題であるのだ。
日本の場合も、90年代以降、会社法の改正ラッシュが続いており、アメリカのシステムを意識した改革も行われている。例えば、経済界からの要望が強かった自己株式取得とストック・オプションの自由化は経営の自由度を高める措置として大きな影響を与えている。一方、大会社におけるアメリカ型の企業統治機構の選択的導入(2003年4月)については、その採用に向けての機運は必ずしも高まっていないのが現状である。アメリカ型の企業統治システムを採用した「委員会等設置会社」(取締役会の下に社外取締役が半数以上占める、指名、監査、報酬委員会設置の義務付けなど)を選べるようになったにもかかわらず、上場企業での採用は一部に止まっているためである。
また、近年ではいわゆる「村上ファンド」やライブドアのように国内企業が国内企業に仕掛ける敵対的買収が現実化し、アメリカのポイゾンピル型の買収防衛策導入のための指針なども整備されてきている。しかし、機関投資家のアクティビズム、独立的な社外取締役、判例の積み重ねによる立法に積極的な司法に代表されるように、アメリカ企業社会のインフラと日本のそれとは相当な隔たりがある(鶴(2005))。このため、ポイゾンピル型の防衛策が日本で根付くかどうかは不透明だ。日本の現在置かれている状況は、敵対的買収の嵐が吹き荒れる直前の80年代半ばのアメリカに似ているかもしれない。しかし、それは、アメリカ型のシステムへの収斂が可能である、また、求められていることを意味しない。なぜならば、日本のシステムがこれまで辿ってきた歴史的経路がその後の変化にも重要な影響を与えうるからである。今後の経済システムの変化プロセスもこれまで築き上げてきた土台から試行錯誤を繰り返しながらも、より良い変化を求めて前進していく「進化的プロセス」となるであろう。
2005年9月号『ESP』経済企画協会に掲載