敵対的買収の現実化にどう対応すべきか 岐路に立つ日本のコーポレート・ガバナンス

鶴 光太郎
上席研究員

はじめに

マスコミでも連日のように報道されたライブドアとフジテレビのニッポン放送を巡る経営権争いは、日本でも敵対的買収が現実の問題として認識されるようになったこと、企業と株主との関係のあり方について再考する機会を提供したという意味で、日本のコーポレート・ガバナンスの節目ともいえる事件であった。敵対的買収は難しいといわれてきた日本で敵対的買収が現実的になった背景とはなんであろうか。また、防衛策として、日本型ポイゾンピルの導入の必要性が議論されているが、企業社会のインフラという視点や「法と経済学」の立場からいかなる評価ができるか考えてみたい。

敵対的買収現実化の背景

敵対的買収が現実化した背景は、まず、企業間の株式持ち合いが、銀行と借り手間を中心に、90年代から急速に解消の方向に向かったことが挙げられる。この結果、安定株主比率はこの10年間で半減し、全体の4分の1まで下がってきている。こうした動きの裏で、数パーセントであった外国人株主の割合が2割を占めるまでに上昇し、浮動株主の割合がかなり高まっている。これは株式公開買い付け(TOB)などによる買収が容易になったことを意味している。

第2は、90年代以降、企業は過剰債務や銀行のリスク許容能力の低下に対応するため、借り入れよりも債務の返済に努力するとともに、手元流動性資産をなるべく多く保有する企業が増加したことである。そのような企業は金融システムが不安定な状態では確かに金融リスクには強いというメリットがあった。しかし、流動性資産を多く持てば、株価純資産倍率(PBR=時価総額/会計上の純資産)は相対的に低くなり、企業は買収されやすくなる。

企業買収の果たすべき役割

このように企業買収が比較的容易になったことで、敵対的買収への懸念も高まっている。しかしながら、敵対的買収を一律に排除するような考え方は適切ではない。企業価値が最大化されておらず割安な企業は、別の経営者がよりよい企業経営を行うことで、その企業価値を高めることは可能であるからである。また、経営者にとっては、(敵対的)買収の成功は自らの地位を失うことを意味するため、買収されないように経営努力を行うインセンティブが生まれる。日本の場合、メインバンクに代わって業績の悪い経営者にペナルティを与えるようなメカニズムが不在である現状を考慮すれば、企業買収の「脅威」による規律付けメカニズムは重要である。

一方、敵対的買収に対しては、企業の各ステイクホールダーとの暗黙の契約関係を破棄するため("breach of trust")、そうした関係の下で初めて可能になるような投資へのインセンティブが低下し、企業の競争力が低下するという問題点がしばしば指摘される。こうした見方は、1980年代後半、敵対的買収の嵐が吹き荒れたアメリカの産業競争力の低下をうまく説明しているようにみえた。しかし、その後のアメリカの経験は、敵対的買収を含む大胆な企業買収・再編が60年代以降築かれた非効率的なコングロマリットを徹底的に整理し、「選択と集中」を進め、90年代以降のアメリカ経済の再生、構造変化への基盤を築いたことを示している。その意味で、現在の日本企業も新たなフロンティアを切り開くためには、ステイクホールダーとの関係を維持することよりも、これまでの「しがらみ」を超えた再編を可能にするという意味で、むしろ企業買収メカニズムの積極的な活用が必要である。

買収防衛策の指針の評価

このような立場からすれば、敵対的買収に対する最も有効かつ望ましい防衛策は種も仕掛けもない「企業価値の最大化」であるはずだ。しかし、敵対的買収の脅威をより強く感じている企業の中には買収防衛策を導入したいと考えている企業も少なくない。また、経済産業省と法務省は、買収防衛策のルール形成を目指して「企業価値・株主共同の利益確保又は向上のための買収防衛策に関する指針」(以下、「指針」)を公表した(本年5月)。日本の会社法自体も、アメリカの会社法を意識して改革が進められてきており、アメリカのポイゾンピル型(ライツ・プラン型)の防衛策が導入できるような環境が整ってきている。こうした動きをどう評価するべきであろうか。

まず、「指針」が、現在の会社法では欧米並みの防衛策の導入が可能になっていることからむしろ過剰な防衛策を排除するためのルール形成を目指しており、経営者の保身手段の指針を与えているのではないという点は評価できる。しかし、「指針」で示されたいくつかの防衛策は、あくまで適法性・合理性という観点からみた「必要条件」を示しているだけであり、「十分条件」とは限らないことを企業側も認識する必要があろう。例えば、取締役会でポイゾンピルを導入するような場合、企業価値が向上するような買収策が提示された場合、それを合理的に解除する仕組みがいかに担保されているかが適法性上、重要なポイントになる。「指針」では、最終的に、委任状合戦などの株主投票でポイゾンピルが消却できる条項を設けるとともに、取締役会の恣意的な運用を排除するために、客観的買収防衛策排除条項の設定(例えば、具体的な評価・交渉期間の設定と期間経過後の防衛策の解除)や独立した社外取締役(のみからなる特別委員会)の判断重視、などを求めている。

しかし、例えば、社外取締役が独立であるかどうかの判断はどこまでも主観的であり、企業ごと、ケース・バイ・ケースの判断にならざるを得ない。「指針」は、この条件を満たせば必ず適法であるという買収防衛策を提示しているのではないのである。一方、株主総会の承認を得て導入される防衛策については、取締役会の決議で導入される場合よりも適法性は高いといえる。しかし、これも買収防衛策の内容次第であり、株主総会での承認=適法性を必ず約束するものではない。このようにポイゾンピルのような防衛策の最終的な適法性(十分条件)は司法によって判断されていくことになるのである。

アメリカと日本の企業社会のインフラの違い

このようにみてくると、「指針」が図らずも示したことは、日本企業が適法性の高い、合理的なポイゾンピルを導入するために求められる要件(例えば、取締役会の恣意的な運用の排除の立証)のレベルは相当高いということである。それは、言い換えれば、ポイゾンピルという買収防衛策の仕組みを支えているアメリカのインフラは日本のそれと相当な開きがあるということである。

まずは、株主と企業の関係である。アメリカの場合、伝統的に経営における株主重視が徹底されているだけでなく、株主からの利益最大化へのプレッシャーは大きい。特に、90年代以降、年金基金などの機関投資家が企業の経営に積極的に注文をつけるようになってきている。こうした強い「モノをいう株主」とそれに配慮する経営者というインフラが必要なのは、ポイゾンピルという買収防衛策自体が元々、経営者サイドに寄った方策だからである。アメリカでは、企業の過半が法令上の根拠地としてデラウェア州を選択しており、ポイゾンピルの制度自体も、デラウェア州の裁判所でその違法性に関するさまざまな判例の積み重ねによって確立されてきた仕組みである。税収の関係からなるべく企業を誘致したい州の立場からは、防衛策に関しても経営者寄りのルール作りがなされてきたという指摘もある。したがって、バランスをとるためには経営者の保身につねに目を光らせ、時には、行動を起こす株主の存在が必要となるのである。

アメリカでポイゾンピルを導入した企業の分析をみると、ポイゾンピルが敵対的買収を退ける効果はむしろ小さく、ポイゾンピルの存在が買収者との交渉を有利にし、プレミアを上昇させ、結果的に高値で売却する効果がむしろ大きい(Comment and Schwert 1995)。つまり、ポイゾンピルは、経営者の保身よりも、買収者から株主により多く利益を与えるための「交渉道具」と位置付けられているのである。一方、日本の場合、例えば、株主総会や委任状合戦で買収防衛策が検討されたとしても、当該企業との直接の取引関係を持たない一般株主の影響力は弱く、彼らの利益を損なうような経営者寄りの判断がなされる可能性も強い。

第2は、アメリカの場合、社外取締役が過半数を占める企業が多く、社外取締役が株主の利益を代表して経営に問題があれば CEO の交代を含め経営に介入するし、敵対的買収提案に対する判断で中心的な役割を果たすことが共通認識となっている。一方、日本においては、社外取締役の必要性や役割が十分理解されているとは言い難い。社外取締役が企業社会の中で根付き、そのマーケットが形成されていくにはまだ時間がかかりそうである。例えば、商法改正により2003年4月から、大会社における企業統治機構の選択性が導入され、企業は、アメリカ型の企業統治システムを採用した「委員会等設置会社」(取締役会の下に社外取締役が半数以上占める、指名、監査、報酬委員会設置の義務付け)を選べるようになった。しかし、制度自体が先走りしており、実際に「委員会等設置会社」へ移行した企業は一部に止まっているのが現状だ。

第3は、司法の役割である。アメリカの場合、1985年にデラウェア州最高裁判所が出したいわゆる「ユノカル判決」(「ユノカル基準」)が防衛策の違法性基準を示す判例として有名である。しかし、それが絶対的基準になっているわけではなく、むしろ、柔軟性の高い基準で判断しているため、どのような判決がでてくるかはむしろ事前に予見、決定しがたいと言われている。つまり、司法が企業買収に関する実用的なルールを提供するため、司法判断の積み重ねにより、「ポイゾンピル法」を作ってきたともいえる。日本の場合、上記でも述べたように、「指針」が適法性の決定的根拠にならない以上、防衛策の適法性は司法判断に委ねられることになる。しかし、これは、大陸法(ドイツ法)の影響を受け、すでに立法化された法律をそれぞれの訴訟に適用するという考え方の強い日本の司法に対し、英米法のように司法に立法機能も要求することを意味する。世界で最も企業買収の経験のあるデラウェア州の司法でさえ、こうした判例の積み重ねによるルール作りの道のりは決して平坦ではなかったことを考えると、日本の司法がこうした防衛策の適法性を判断していくという負担はかなり大きいといえる(Gilson 2004)。

自国のさまざまな環境条件が十分整っていなければ、諸外国の制度を移植しても根付かないという現象は、先進国の法制度の発展途上国への移植に関する実証研究でも明らかである(Berkowitz, Pistor and Richard 2003)。したがって、日本の場合、むしろ、ポイゾンピル導入を牽制する動きとして、独立的な社外取締役や「モノ言う株主」の存在がクローズ・アップされ、インフラが整備されていくことが期待される。実際、この6月の株主総会では、授権資本枠拡大(取締役会決議で発行できる株式数拡大)の提案が、東京エレクトロン、横河電機、ファナックで否決された。また、ポイゾンピルを提案した8社についても、議案は可決されたものの有力な機関投資家から反対されるケースもあったようである。その意味でも、日本のコーポレート・ガバナンスは大きく変化していく岐路に立っているといえよう。

2005年9月号「経済セミナー」に掲載

文献
  • Berkowitz, D. and K. Pistor and J-F. Richard (2003), "Economic Development, legality and the transplant effect," European Economic Review 47: 165-195.
  • Comment, R. and G. Schwert (1995), "Poison or placebo? Evidence on the deterrence and wealth effects of modern antitakeover measures," Journal of Financial Economics 39: 3-43.
  • Gilson, R. (2004), "The poison pill in Japan: The missing infrastructure," Columbia Business Law Review: 33-40.

2005年9月1日掲載

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