国境を越えて展開するサプライチェーン(供給網=SC)の全貌を公的統計で把握するのは難しい。だが例えば、米アップルが公開するサプライヤー(部品会社など)リストによれば、30もの国・地域にまたがる。
長く伸びた生産工程が多くの国々に立地するスネーク(蛇)型だけでなく、多くの国々のサプライヤーから中間財を寄せ集めるスパイダー(クモ)型も多い。これはジュネーブ国際高等問題研究所のリチャード・ボールドウィン氏と英オックスフォード大学のアンソニー・ベナブル氏による分類だ。
発展途上国の低賃金の労働力と先進国の高度な技術を組み合わせるメリットを多くの国々が享受してきた。だが近年、国境をまたぐSCを含むグローバル化には逆風が吹いている。経済産業研究所(RIETI)で筆者らが1万人を対象に実施した調査でも、グローバル化への反対は輸入競合産業の従事者を越えて広がり、現状を変えられる恐れなど心理的な動機に基づく根深いものとなっている。
本稿では世界貿易の趨勢に触れつつ、グローバルSCの行方を展望したい。
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新型コロナウイルスの世界的流行の初期にみられた世界貿易の急減は早期に回復した。今後も増勢が続くか現時点で見通すのはコロナ禍で難しい。だがコロナ以前から停滞していた点に注目すべきだ。2018年ごろから拡大傾向は中国を含めても世界全体でみられなくなっていた(図参照)。
日本に関しても、海外生産比率は長期上昇傾向が頭打ちとなり、製造のアウトソーシング(外部委託)額における海外の割合も1割強で横ばいだ(経済産業省統計)。世界の海外直接投資(対外フロー)も、08年のリーマン・ショック前にピークをつけた後は低迷している。長期間低下傾向が続いていた粗輸出に占める国内付加価値の比率も、上昇へ転じた(国連・経済協力開発機構調べ)。
転換の要因を厳密に特定するのは難しいが、世界銀行の「World Development Report」(20年版)が指摘したように、世界に広がる保護主義の影響に加え、中国の変化は無視できまい。
生産年齢人口が減少に転じただけでなく、国有企業が強大化し、重要データの海外持ち出しを禁止するなど市場を閉ざした。1980~90年代に改革開放に転じた中国をグローバル経済に組み込んだプラスの効果は、ひとまず出尽くしたと考えられる。
国連貿易開発会議(UNCTAD)の「World Investment Report」(20年版)が過去30年の海外生産を回顧するように、グローバルSCは転換期にあると考えられる。ロボット化を背景に国内回帰が進むとみる向きもある。
だが日本では、東日本大震災を上回る南海トラフ巨大地震が今後30年以内に発生する確率は7~8割とされ、国内集中のリスクは高い。一時的な供給途絶も安全保障上許されない財の国内生産には、製品価格高騰を甘受する覚悟とともに、投入する補助金に対する将来の財政負担について国民的合意を得る必要がある。とはいえ、供給網を軒並み「チャイナ+1」というように、複線化していてはコストが上昇してしまう。
また最新版の「ものづくり白書」によれば「原材料に遡るまでの調達ルートをすべて把握している」日本企業は1割にとどまる。長く伸びたスネークの先に連なる数次先のサプライヤーの人権侵害や軍事転用も問題となりかねない。この状況を考えれば、直接取引先だけでなくSC全体の活動をビッグデータも活用して把握しなければ、無秩序な分散化にもリスクがある。
グローバル・バリューチェーン(国際的な価値の連鎖)に連なって発展を目指していた途上国にとっては、サプライヤーの選別厳格化は難題だ。中国からの分散化は好機とはいえ、低賃金の強みを減殺するロボット化もあいまって、開発モデルの変更が迫られる。
世界貿易の拡大一辺倒の基調に変化はみえるが、国境を越えたデータ移転は拡大を続けている。筆者らのRIETI企業調査によれば、国境を越えてデータを移転する企業は生産性が高い。インターネットの普及とともにSCの海外展開は本格化したが、ビッグデータやブロックチェーン(分散型台帳)を活用すれば、分散化しても効率性を保つSCの構築は可能だろう。
その際、想定外の事態ではリンクが切れる前提で、損傷した箇所を迅速に修復する「柳に雪折れなし」的なレジリエント(復元力のある)でスマートなスパイダー型SCとなろう。デジタル化により多くの国々でSCが再構築されれば、世界の貿易が新たな拡大軌道に乗ることを促すだろう。
こうした高度なSCには個人情報は保護しつつも、国境を越えて産業データを自由に移転できる枠組みが重要だ。これに関連してSCにとって、国境水際での貿易自由化にとどまらず、国境の内側に踏み込んだ法制度の深い統合が重要になっているとナディア・ロチャ世界銀行エコノミストらは指摘する。データの役割が増すに伴い、グローバルSCのサプライヤー選択の重点が、安い労働賃金から信頼できる法制度に移っていることを示唆している。
この点で環太平洋経済連携協定(TPP11)は先進事例となる。将来には知的財産権やプライバシーの保護、独立した司法、ルールに基づく国際秩序の尊重などの面で、制度的に親和性の高い市場経済の国々をつなぐSCも展望できよう。
ただ、SCには単なるスポット市場での買い物と異なり、関係の持続性がある。企業は多少のショックを受けても、旧来のパートナーと縁を切り新しい相手と取引を始めるより、取引関係を維持し取引量を調整する傾向が強い。取引量が激動した東日本大震災やリーマン・ショックに際しても取引先の組み替えは限られたことが確認されている。世界貿易のコロナからの急回復も既存ネットワークの強さを示しているのだろう。
だがいったん構築された関係が永久に続くものでもない。米トランプ前政権による対中関税の引き上げに際しても、対米輸出拠点を中国からベトナムなどに移す動きがみられた。従来の研究でも、移ろいやすい為替変動よりも、持続すると目される自由貿易協定(FTA)に貿易は強く反応することが確認されている。
日本企業は、英国に欧州大陸向け、メキシコに米国向けの生産拠点を設けた。だがその時点では、英国の欧州連合(EU)離脱やトランプ政権登場は想定されず、地域経済統合は続くと認識されていただろう。つまり持続的な後戻りしないコミットメント(約束)を伴う制度的枠組みが構築されれば、米中対立に対応し企業はコストをかけてSCを組み替えることとなろう。
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ただ、リーマン・ショック、東日本大震災、コロナ禍程度では再編は起きない。英国が離脱するまでのEUや、トランプ政権が見直す前の北米自由貿易協定(NAFTA)並みに持続すると認識されれば、SCは組み替えられるだろう。
2021年7月16日 日本経済新聞「経済教室」に掲載