東アジア統合-「外向き思考」で地域を包め

田村 暁彦
RIETIコンサルティングフェロー

東アジア統合の進め方に関し、各国がいろいろな枠組みを提案している。日本提案は従来の単なる焼き直しではなく、未来や地球規模の連携を思考する「外向きの地域主義」こそがその本質だ。外向きの通商政策には、国民が経済政策を選択する際の手段になるという意義もある。

東アジアと米国 同時進展を企図

わが国の通商政策は、昨年から今年にかけて、大きく転換してきている。昨年は、東南アジア諸国連合(ASEAN)+3(日中韓)にオーストラリア、ニュージーランド、インドを巻き込んだ経済連携協定(EPA)をわが国が提案。今年1月の東アジアサミットで、民間有識者による研究開始が合意された。

一方、米国と自由貿易協定(FTA)交渉を妥結させた韓国などに触発され、日本でも米欧とのEPA交渉に対する気運が高まりつつある。今年度の通商白書でも、これを提言する内容が盛り込まれるとの報道もある。

ASEAN+6とのEPAを打ち出す一方で、米韓FTAが合意されるや今度はこれに追随して日米EPAを打ち出そうとするとは、日本の当局はどんな戦略に基づいてEPA政策を進めているのかといぶかる向きもあるかもしれない。もちろん、政策当局側にも言い分があろう。ASEAN+6については、30億人の人口、9兆米ドルの国内総生産(GDP)を擁する地域に経済連携関係を構築する意義は容易に理解できるし、一般に「ヌードルボウル」現象と呼ばれる東アジア地域に多数のFTAやEPAが錯綜した状態を解消するために、単一のシステムに統合すべきだとの見解もうなずける。

一方、米欧とのEPAは、米欧市場で韓国企業と競争関係で劣位におかれるのを懸念するわが国の経済界が主に主張しており一定の経済合理性がある。FTAやEPAには「ドミノ効果」、つまり、ある国が締結するとそれにより劣位に置かれる別の国が追随し締結に走るという連鎖のメカニズムが内蔵されているといわれており、わが国がその法則通りに動いたとしても不自然ではない。

経済成長に大きな影響

しかし、ASEAN+6も米欧とのEPAもどちらも極めて野心的な構想で、成否は予断を許さない。従って、これらの構想を統一的に説明し今後のわが国の通商政策を支える哲学を明確にしておくことが、今後これらの構想を現実化していく過程で非常に重要になってくると思われる。

筆者は、この哲学を導出する鍵は、すでにASEAN+6自身に内包されていたと考えている。ASEAN+6は、東アジアを包摂するEPAというだけでなく、従来の類似の取り組みとは異なるパラダイムに基づいている点が重要である。

従来の東アジアでの地域主義は、主として2つの動機に基づいていたとされる。1つは「防御的地域主義」、すなわち、EUや北米自由貿易協定(NAFTA)などの地域主義に対抗すべく東アジアでも類似の動きが活発化したということである。もう1つは「東アジア域内の事実上の統合に立脚した政府間システムの構築」、つまり、政府レベルでの連携強化の動きを進める背景に、電子・電気機械や自動車を中心にした多国籍企業による工程間分業を組み込んだ域内生産ネットワークの構築が進み、それにつれて域内貿易構造も深化したという事実があるということである。

しかし、ASEAN+6の背後にある哲学は、実はこの2つの動機を超越したパラダイムに基づいている。それは、「外向的地域主義」ともいえるものであり、世界貿易機関(WTO)に代表される多国間主義の今後が不透明である現状で、わが国が主体的に採りうる最も自由貿易思考の強い通商政策と考えられる。これは、わが国との経済関係が現時点では希薄であっても経済連携を追求するという「未来志向」と、東アジア地域の経済統合を進めつつも東アジア以外の地域との連携にも前向きに対応するという「地球規模志向」の2つの要素から成る。

前者は、ASEAN+6が、これまで東アジアの事実上の統合のらち外にあったインドを取り込もうとする姿勢から明らかであるし、後者は、例えば、ASEAN+6提案に触発された米国による、よりさらに規模の大きいアジア太平洋経済協力会議(APEC)大のFTAの提案に対して日本を含む東アジア諸国が「長期的な提案」として受容したという一連の経緯からもうかがえる。

「未来志向」と「地球規模志向」から成るこの「外向的地域主義」は、今後わが国の通商政策の哲学として根付き、着実に実践されれば、その広がりから考えて、わが国の経済成長に大きなインパクトを与えよう。「未来志向」という点では、世界銀行によれば、2030年には12億人が「グローバル中産階級」に属し(現状は4億人)、かつその分布は東アジア地域にとどまらない。また、「地球規模志向」では、東アジア統合がその効果を発揮するには、資源産出国や最終消費国との連携も視野に入れることは当然だろう。

もっとも「外向的地域主義」は日本の経済成長に直接インパクトを与えるだけではない。この哲学の真の意義は、それがわが国の経済構造改革に直接的ではないが重要な影響を与える点にある。

構造改革にも本質的な意義

国内経済政策と同じように、通商政策も国内の経済構造改革に貢献するといわれるのは、一般に交渉の結果、自国市場が自由化するからだ。しかし、この点で、通商政策には一定の限界がある。なぜなら、通常、交渉の相手国が求めるのは、セクター別の輸入規制の自由化であるが、わが国の構造改革にとって最も重要なのはセクター規制というより、むしろ、税法や競争法、労働法、教育制度など業種横断的で国内経済政策分野の範ちゅうの規制だからである。

また、仮にこれらの業種横断的な規制の改革が相手方から求められた場合でも、この要求にわが国がどの程度応じるかは、相手方からどの程度の自由化を見返りとして得られるかに大きく左右されるため、結果的に、わが国の規制改革も限定的となる可能性がある。

そこで、通商政策の貢献について、発想を転換してはどうだろう。つまり、通商政策自体が経済構造改革をもたらすというより、むしろ通商政策は、税法や労働法などの国内経済政策によって実現される経済構造改革を市民が選択するための情報を提供するインフラであると考えるのである。

どんな国内経済政策を採用すべきかを国民が判断する際、世界経済の実情に対する正確な理解は必要不可欠である。多くの国々と経済連携関係を結び、それらの国との財やサービスの交易が一層進めば、世界経済の実情はよりよく分かるようになる。とすれば、自由貿易を目指す通商政策は、国民がどの政策を選択するか判断する際の情報インフラとなりうるといえよう。なるべく広く多種多様な国々との経済連携関係を志向する「外向的地域主義」はこの目的に資することになる。

世界経済の実情を肌で感じるのは、例えば、中国製の製品が増えた、コールセンターのオペレーターの日本語に外国語なまりがあるといった、日本市場に流入する財やサービスによってだろう。一方、例えば携帯電話関連産業が、国内では活況を呈しながら、国際市場では日本企業は苦戦しているという事実は、わが国の市場が特殊であるゆえに、多くの人々は身近に感じていないのではなかろうか。1人ひとりが世界経済の現状を正確に把握して的確な政策を選択するには、その前提として可能な限り世界経済の現実に直接触れる環境をまず政府が確保することが重要なのである。

WTOが憲法的属性を備えつつあるとのWTOの立憲化という議論の一環で、自由貿易を市民の立場からとらえ、自由貿易を享受する権利を「人権」と位置づけようとする国際経済法学者も少数だが存在する。この考え方を参考にすれば、中長期的課題として、日本でも自由貿易をある種「知る権利」的存在と位置づけ、今後本格的に展開される改憲論議において議論の対象にすることも可能かもしれない。それにより、外向的通商政策が、わが国の経済政策の選択にかかわるインフラとして確固たる地位を占めることが期待できよう。

2007年6月5日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2007年6月12日掲載

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