新春特別コラム:2016年の日本経済を読む

グローバル・ガバナンスの今後-COP21「パリ協定」合意に見る「一筋の光明」-

田村 暁彦
上席研究員

12月12日、厳戒態勢のパリにおいて開催された国連気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)は、世界の気温上昇を2℃未満に抑えるための取組などを盛り込んだ「パリ協定」を採択した。本協定は、2009年のCOP15において採択された「コペンハーゲン合意」のような政治合意とは異なり、れっきとした法的文書である。同様に法的文書である「京都議定書」(1997年のCOP3で採択)の後継協定となるが、同議定書とは異なり、加盟各国の温室効果ガス排出削減目標に関して法的拘束力がないことが、今次「パリ協定」の最大の特徴の1つである。

筆者は気候変動の専門家ではないので、「パリ協定」の内容の当否について論ずることは控えたいが、グローバル・ガバナンスに日頃より強い関心を有する立場から一言述べたい。

「パリ協定」は議会承認手続の回避を至上命題とする米国政府の方針の所産

今回のCOP21に至る道程および同会議の会議場内外における諸経過は、いずれ詳細が明らかになっていくのであろうが、これまでの報道を見る限りでは、米国が、気候変動を最重要課題の1つと位置づけるオバマ大統領の方針の下、野心的でありながらも米国が受諾可能な協定内容とするために、各国との交渉において政治資源を最大限駆使したことが伺える。米国政府が国際合意を受諾するに当たっての最大の障害は、何と言っても米国議会である。この構図は、気候変動のみならず、たとえば、通商(TPPの締結に必要なTPA(貿易促進権限)法案やTPP大筋合意内容の承認を巡っての議会の厳しい対応)や国際金融(新興国のクオータ配分や投票権を高めるIMF改革案に対する議会の反対)など、米国の外交政策全般において頻繁に見られる現象である(このような米国議会の姿勢は、往々にして、中国等新興国の台頭に象徴される国際政治の「多極化」現象に対する内向的な反応という側面がある)。今回のCOP21に際しては、米国議会(特に過半数を占める共和党)は、関連産業の利害および新興国との義務の均衡という観点から、その展開に対して厳しい目を光らせていた。米国が新たな法的義務を負う合意内容となれば議会承認を必要とするため、米国政府は、先進国のみならず全加盟国が責任を負うべきことや、各国別の排出量削減義務および新たな資金拠出については法的拘束性の対象外とするべきことを主張し、実際、「パリ協定」はそのような内容で妥結した。

「パリ協定」は混迷するグローバル・ガバナンスにおける「一筋の光明」

以上のような「パリ協定」は、筆者の立場からは次の3点で非常に興味深い。1つ目は、国際政治学において近年「レジーム・コンプレックス」と呼ばれる、グローバル・ガバナンスを巡る制度的乱立状態の中で、気候変動に関しては、伝統的な国際枠組である国家間条約レジームが曲がりなりにもその存在意義を改めて示すことになった点である。近年、国際政治学では、条約を基盤とする国家間組織が新たな合意や成果を挙げられない一方で、その他のレジーム、たとえば非公式な国家間取決、更には非政府組織(企業やNGOなど)を主体とする国際枠組が多数乱立する様相を呈していることが、研究対象として注目を集めている。さまざまな国際レジームが選択・淘汰されるダイナミズムを検討する「国際組織生態学(organizational ecology)」というアプローチも登場している。今回、法的文書である「パリ協定」の採択を通じて、国連気候変動枠組条約という国際公法枠組が気候変動に関する国際レジームとして中心的位置を占め続けることが確保されたといって良いであろう。その意味で、一部の国際法学者が「国際法は停滞の中にある(International law is stagnating.)」と嘆いた状況に対して、一矢報いたといえる。

2つ目は、「パリ協定」が各国別排出削減目標を法的義務の対象とせず、むしろ気温上昇や排出量削減に関する長期目標を実現するための手法として、5年に一度加盟各国に排出削減計画を提出させることによって、加盟各国相互のピアプレシャーを惹起し、実質的に排出削減を実現しようとするメカニズムを創設した点である。既に述べた通り、各国別排出削減に関する法的義務を課さないこととした理由の1つは、米国議会による承認手続を回避することにあったが、既に述べたグローバル・ガバナンスにおける「レジーム・コンプレックス」という多元化状態の一要素である「ソフトロー」という手法、即ち、国際公法を通じて主権国家に法的義務を課するという伝統的ガバナンス手法(「ハードロー」)以外の手法が、「パリ協定」の中に根を下ろすこととなった。これに対し、国際公法を通じて主権国家に法的義務を課するガバナンス手法の代表例は、WTOである。WTOは、紛争処理手続として二審制の違法性審査手続や対抗措置を含む履行確保手続を擁する、いわゆる「司法化」の度合の強い国際レジームである。このようなWTOは、国際法学の見地からは国際レジームの1つの完成形であるが、一方で、上記の国際政治の「多極化」と相俟って、新たな合意を難しくさせる遠因にもなっている。従って、「パリ協定」の採用した手法は、WTOなど国際法を巡る昨今の問題に関して1つの重要な処方箋を提起しているように感じる(なお、本手法は、「ソフトロー」の一形態である「プレッジ・アンド・レビュー」と言われる手法であり、我が国が長年に亘り提唱してきたものという点は想起されていい)。

3つ目は、今回「パリ協定」合意が可能となった背景には、議長国フランスの采配、米中間の事前合意、全加盟国が示した妥協の精神など、さまざまな要因があろうが、特に通商分野との比較で考えると、主題が持つ強い「倫理性」も指摘することが出来るのではないかと感じる。人間活動が地球温暖化をもたらしているかどうかについては関係者間で完全にはコンセンサスが得られている訳ではないのかも知れないが、それでも、今回COP21において、気温・排出量両面について相当に野心的な長期目標を条約文書に規定出来たのは、何よりも気候変動の問題性に対する国際社会の認識が切迫したものであったこと、気候変動が単なる経済的利得の問題を越えて強い倫理性を帯びた人類共通の問題であるとの認識が共有されたことが一因ではないか。これは、通商分野の現状と相当に異なる。通商の現行レジームは、比較優位原則に基づき、相互に貿易を自由化すれば共に経済厚生を向上させることが出来るという思想に基づいて国際法体系が作られているが、倫理性は必ずしも強くない。通商分野で倫理性を帯びうる局面は、たとえば途上国(特に後発途上国)開発の利害が絡んだ場合であるが、この場合南北対立が苛烈化し、「人類共通の問題」という構図を作り難い。通商分野においては、全加盟国が同一方向を向くための新たな思想の必要性を強く感じる次第である(本稿出稿後に、ナイロビで開催されていたWTO閣僚会議が12月19日、ドーハラウンドの扱いにつき合意できず、継続と終了の両論を併記した閣僚宣言を採択し閉幕したとの報が伝えられた)。

今後、「パリ協定」が擁する巧妙な仕組みがいかに機能するのかを観察していくことは、他分野におけるグローバル・ガバナンスを考える上で、極めて貴重な示唆を与えてくれるはずである。2016年は米国大統領選の年であることから、米国国内政治における内向的志向と党派対立は更に激化し、米国政府は外交政策の手足を一層縛られる1年となろう。これは、グローバル・ガバナンスに対する攪乱要因になりうる。只でさえ、外的環境は益々「多極化」が進み、さまざまな地球規模課題に対して国際社会が共同的かつ安定的な対応を取ることを難しくさせる状況が続く。「パリ協定」の採択は、そのような不透明な時代における一筋の光明であり、他分野においても各々の個別具体的な状況に即して、政策的創造性を働かせながら、適切なグローバル・ガバナンスの構築・運営に努力していくことが望まれる。

2015年12月25日掲載

2015年12月25日掲載

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