「新しい通商政策」の必要性

田村 暁彦
コンサルティングフェロー

我が国は、その貿易額の大きさやWTO体制に占める地位の大きさに照らすと、WTO紛争解決メカニズムに付託した案件数は必ずしも多くはないが、この興味深い事象を我が国の産業特性に着目して分析した研究がある。Princeton Institute for International and Regional Studiesが四半期毎に出している"World Politics"という雑誌の2007年1月号に掲載されているChristina Davis & Yuki Shirato著 "Firms, Governments, and WTO Adjudication: Japan's Selection of WTO Disputes" という論文がそれである。

環境変化が激しい業界に適していないWTO紛争解決システム

本研究は、どのような産業に関わる紛争がWTO紛争解決システムに付されるのかについて検討を加えており、分析の結果、当該産業を取り巻く「ビジネス環境の変化のスピード(velocity of the business environment)」と関係が深いことが分かった、としている。環境変化が激しい業界については、時間やコストがかかるWTO紛争解決システムによる解決は不向きであり、従って、WTO提訴案件は、一次産品や、鉱工業品のうち環境変化が緩慢である繊維や鉄鋼に集中する、というのである。そして、我が国の場合は、提訴案件は、WTO発足直後は自動車、近年では鉄鋼に集中しているが、それもこの分析結果と符合する、特に自動車は、WTO発足直後はまだWTO提訴による解決に馴染む論点もあったが、21世紀に入ってからは、自動車産業を取り巻く環境変化が加速化し、WTO提訴が紛争解決のツールとして適合しなくなった、としている。また、我が国の主要輸出産品の1つである電気電子については、そのビジネス環境の変化の早さにより、WTO提訴の対象となったことがない、としている。

上記の研究は、特定産業のビジネス環境の変化の速度と、当該産業のWTO紛争解決システムに対する依存度との相関関係についてであったが、同様のことは、紛争解決システム、即ちルールエンフォースメントに限定されることなく、WTOのもう1つの柱であるルールメーキング、ひいてはWTO体制一般との相関関係についても言えるのではなかろうか。たとえば、関税削減交渉が長引けば、外国市場へのアクセスには不透明感が長いこと付きまとい、産業側からすれば、外国市場の関税削減をいつまでも待つ代わりに、当該市場への直接投資等、別のチャネルでの展開を考えるだろう。仮に、ターゲット国と我が国がEPA・FTA交渉を行っていれば、そちらに望みを掛けるという向きもあろう。あるいは、新たな製品の開発に向けた研究開発に全力を傾け、関税等の市場障壁に左右されない商品を産み出す、という戦略を採るかも知れない。

WTO体制に対する産業間の「関心・関与の跛行性」の問題

このように、上記研究のメッセージを、個別産業とWTO体制一般との関わりの濃淡を説明する理論として一般化できるとすれば、ビジネス環境のスピードが速い産業を主としてオフェンス産業として抱えている国には、WTO体制と対峙するに当たって、オフェンス産業とディフェンス産業の間に「関心・関与の跛行性」が生じることになる。通商交渉はギブアンドテイクであり、オフェンスとディフェンスの利害がバランスして、当該政府は交渉に参加することが、国民との関係で正当化される。これが、仮にディフェンスのみの利害を以って通商交渉に臨まなければならないとすれば、つまりゲインはなく、良くて現状維持、むしろ高い確率でルーズする交渉に臨まなければならないとすれば、より高次の目的を掲げない限り、当該政府は多くの国民から、「そんな交渉には参加しない方がよい」と諭される可能性が高い。

オフェンス産業とディフェンス産業の間に、当該産業を取り巻くビジネス環境の変化の速度に大きな差異がある場合に見られる、この産業間の「関心・関与の跛行性」の傾向は、特に我が国に強いのは、上記研究が描出している通りである。他の先進国を見ると、たとえば、米国は、ハイテク産業のみならず、たとえば農業についてもオフェンス利益がある。EUも、農業についてワイン等の地理的表示といったイシューでオフェンス利益も存在するほか、東方拡大によってEUは全体として途上国的色彩が濃厚になってきている。豪州、ニュージーランド、ノルウェーといった先進国も、オフェンス利益は主として一次産品である。我が国と似ているのはスイスくらいではないだろうか。

重商政策的発想からの脱却を迫られる我が国の通商政策

仮にこのまま上記の「関心・関与の跛行性」が拡大して行けば(そしてその可能性は高い)、我が国としてWTO体制そのものへの国全体としての関与について前向きの姿勢が維持出来なくなる可能性がある。しかし、WTO体制という世界経済の「公器」への関与を減退させる、ということは、現状として世界貿易システムに大きく依存している我が国として採り得ない途であることは言うまでもない。

しからば、我が国の通商政策は、オフェンス・ディフェンスといった重商政策的発想から脱却して、拠って立つ哲学を新たに探す必要があるのではなかろうか。

このことに関連して、私は、以前「通商政策は、我が国国内の経済構造改革を市民が選択するための情報提供インフラ」と、その目的を根本的に変化させることを提唱した(日本経済新聞2007年6月5日「経済教室」参照)。WTOの立憲化という議論が国際経済法学者の間にも少数ながら存在することも踏まえつつ、自由貿易を我が国で「知る権利」的存在と位置づけることも可能かも知れない、と述べた。

この主張への賛否はさまざまにあろうが、既に述べた、オフェンス産業とディフェンス産業と間のWTO体制に対する「関心・関与の跛行性」に由来する我が国の問題を克服するための、重商主義を超越するより高次の哲学の必要性は、強調しておきたい。

*本稿は執筆者個人の責任で発表するものであり、執筆者所属機関あるいは経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

2008年6月10日

2008年6月10日掲載

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