1923年9月1日正午前、マグニチュード7.9の大地震が南関東を直撃した。25年の東京市の調査によれば死者・行方不明者は、東京府と6つの県を合わせて約10万5千人で、うち7万人を東京府、3万2千人を神奈川県が占めた。物的被害も大きく、被害金額は55億円(2010年価格換算で約7兆円)にのぼった。
比較のために阪神・淡路大震災(95年)と東日本大震災(2011年)の被害金額を同じく2010年価格で示すと、それぞれ約8兆円、約17兆円となる。関東大震災の被害金額は、絶対額では後の2つの震災より小さいが、各時点の経済規模と比較すると様相は全く異なったものとなる。
阪神大震災と東日本大震災の被害金額の前年の国内総生産(GDP)に対する比率はそれぞれ2.0%、3.5%に対し、関東大震災では35.5%(国民総生産=GNP=比)に達する。また1919年時点での土地を除く日本の国富(約530億円)と比較すると被害金額は10.4%で、日本経済は一挙に物的資産の約1割を失ったことになる。首都圏を壊滅させた巨大震災は、発展途上にあった日本経済に文字通り桁違いに大きな損失を与えた。
もっとも、震災による被害金額の甚大さの割には、マクロ的な経済活動規模への影響は大きくなかった。実質GNP伸び率は22年のマイナス2.6%から23年にマイナス4.6%に低下したにとどまり、しかも翌24年にはプラス12.5%にV字回復している。
しかし巨額の資産が一挙に失われたことは別の側面で日本経済に大きな影響を与えた。関東大震災が金融システムに深刻な打撃を与えたことはよく知られる。33年に日本銀行調査局が作成した報告書は、震災の金融システムに対する直接的影響として、貸し出し担保物件の焼失・破損、貸出先の被害による貸出金の回収不能、有価証券価格の低下の3つを挙げている。これらによる銀行のバランスシート悪化は、27年の「昭和金融恐慌」に帰結した。
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他方で関東大震災の経済社会への影響は必ずしもマイナスばかりではないことに留意すべきだ。その後の発展につながる変化の一つとして、人口や経済活動の空間分布への影響がある。
図は東京府の市部と郡部の人口分布の推移を示す。震災当時、東京府は15の区からなる東京市と8つの郡などで構成されていた。東京市は現在の千代田、中央、港、文京、台東各区と新宿、墨田、江東各区の一部を含む小さな地域だった。面積では東京府全体の3.8%を占めるにすぎないこの地域に、22年末には63.5%の人口が集中していた。そして震災の被害も東京市に集中した。全焼・全壊した建物の比率は市部で63.2%に達したのに対し、郡部では6.8%にとどまった。
東京市の人口は22年末の248万人から23年末には151万人に激減し、東京府に占めるシェアも47.0%に低下した。震災以前も人口過密を背景に東京市の人口シェアは低下傾向にあったが、震災時にシェアの下方シフトが起き、東京市の人口シェアはその後も以前のトレンドの延長線上に戻ることはなかった。震災により東京市から郊外の郡部への人口移動が一挙にしかも不可逆的に進展した。
震災で空間的分布が長期的に変化したのは人口だけではない。筆者は今泉飛鳥・埼玉大准教授、伊藤香織・東京理科大教授との共著論文で、東京府における工業の空間分布の変化について検討したことがある。北多摩、南多摩、西多摩の3郡を除く20の区・郡を、震災による建物の全焼・全壊比率が高い10区(高被災地域)と、全焼・全壊比率が低い5区・5郡(低被災地域)に区分して、工業労働者数の推移を比較した。
工業労働者数は、震災前の10年代半ばから22年までは両地域でほぼ同様の緩やかな上昇トレンドをたどったが、低被災地域の工業労働者が震災後も同じトレンドを継続したのに対し、前者では震災時に下方にシフトし、それにより生じた後者とのギャップは30年代になっても回復しなかった。震災被害は人口だけでなく産業の空間的配置にも長期的なインパクトを与えた。
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その後の発展につながる震災のインパクトは企業レベルでも観察される。 大久保敏弘・慶大教授、エリック・ストロブル・ベルン大(スイス)教授と筆者の共同研究では、横浜市の企業別データを用いて、震災被害が企業の動力化と存続に与えた影響を分析している。震源に近い横浜市では建物の全焼・全壊率が73.2%に達し、東京市以上に深刻な被害が生じた。本論文では構造計画研究所の高浜勉氏らが作成した横浜市の丁目レベルの建物被害データを21年、25年の企業別の原動馬力数データと組み合わせて用いている。
主要な発見の一つに、震災による全焼・全壊率が高かった地域の企業ほど、21年から25年にかけての原動馬力数の増加率が高かったという事実がある。震災による被災と復興が工場の動力化を進めたことを示唆している。また全焼・全壊率が高かった地域ほど、各企業の原動馬力数が企業の存続に与えるプラスの影響が大きかった。震災被害が効率性に基づく企業淘汰を進めたことを示唆している。これらから、震災が経済に「創造的破壊」をもたらしたと見ることができよう。
こうした企業の動きと関連する要因として、ミクロレベルの金融対策がある。震災による金融システムの不安定化を防止するため、震災直後から政府と日銀は迅速に対応した。
9月7日に政府は被災地の債務者の債務について30日間の支払いを延期する緊急勅令を施行した。また日銀は9月11日に「災害に対する日本銀行の覚悟」と題する木村清四郎副総裁談話を発表し、金額の限度、担保品の種類、日銀の取引先か否かといった条件にこだわらず、金融機関に対し資金供給をすると言明した。そして日銀による金融機関への流動性供給は日本銀行震災手形割引損失補償令により政府の支援を受けた。
こうした積極的な流動性供給の効果について、同じく横浜市を対象に筆者と大久保氏、ストロブル氏の別の論文で検討した。分析の結果、一定規模以上の被災企業について見ると、取引銀行が日銀による手形再割引を受けたことは、25年にかけての企業の存続確率を高める効果があったこと、その一方で企業の成長率にはマイナスの効果があったことが明らかになった。
これら2つの効果は、日銀が通常より緩やかな条件で流動性供給を実施したという事実と整合的であり、政府・日銀の金融面での震災対応のプラス面とマイナス面を示している。
GNPの3分の1以上の物的資産を破壊した関東大震災は経済の様々な側面に短期的のみならず長期的なインパクトを与えた。今後起こり得る深刻な自然災害に対し、その被害を極力小さくする努力だけでなく、被害が生じた後にそのマイナスのインパクトを避け、インパクトをプラスの方向に向ける施策も重要だ。
2023年8月17日 日本経済新聞「経済教室」に掲載