近年、産業政策、すなわち産業に対するミクロ的な介入政策に対する関心が再び高まっている。実際、「産業政策」と「政策・制度」をキーワードとして「日本経済新聞」の記事を検索すると、2016年以降、特に18年以降、その件数が増加している(図参照)。
注目すべきことに、産業政策への関心は世界の経済学界でも高まっている。例えば欧州の学術誌「Journal of Industry, Competition and Trade」は20年1月、カール・アイギンガーウィーン経済経営大教授とダニ・ロドリック米ハーバード大教授をゲストエディターとして産業政策に関する特集号を組んだ。両氏は「産業政策の再生と21世紀のための論点」と題する序論で「関心が低下し、時代遅れになったと早計に言われていた産業政策が表舞台に帰ってきた」と指摘した。
産業政策への関心は米国にも及んでいる。米経済学会が刊行する「Journal of Economic Perspectives」の19年夏号に、ニコラス・ブルーム米スタンフォード大教授らによる「イノベーション(技術革新)振興政策のための道具セット」という論文が掲載された。関連する実証研究のサーベイに基づき、研究開発補助金、研究開発費に関する税額控除、パテントボックス(特許から生じる利益に関する優遇税制)など9つの政策手段について、その効果に関するエビデンス(証拠)、政策の便益と費用の差などに関して評価している。
同じ傾向は経済学分野で最も権威が高いとされる、いわゆる「5大誌」に公刊される論文のテーマにも反映されている。産業政策をキーワードとして検索すると、00~09年には「American Economic Review(AER)」の1本の論文しか見つからないが、10~19年にはAERの6本など計8本の論文がヒットする。
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産業政策に対する関心の増大の背景について、アイギンガー教授らの論文は、発展途上国での産業構造変化の要請、先進国での長期的な労働市場悪化・金融危機、大きな技術変化があると指摘する。さらにそれらすべてに関わる事情として中国の存在を挙げている。
中国は単に経済規模の拡大だけでなく、15年策定の「中国製造2025」に象徴されるように、高度技術産業をターゲットとした産業政策により技術水準でも世界のトップをめざしている。米トランプ政権が近年、中国の産業政策に神経をとがらせているのはそのためだ。図には中国というキーワードを追加した場合の記事数も示してある。近年の産業政策に関する記事の増加が中国と関連していることが読み取れるだろう。
しかし経済学界での産業政策に対する高い関心の背景は、こうした現実の事情だけではない。計量経済学を基礎とする経済の実証研究の方法の発展により、産業政策の効果を厳密かつ定量的に識別・評価できるようになったことが重要だ。この点を具体的な論文に即して説明したい。
米カリフォルニア大バークレー校のパトリック・クライン教授とエンリコ・モレッティ教授は14年に「Quarterly Journal of Economics(QJE)」に公刊した論文で、1930~50年代の米テネシー川流域の開発政策について評価した。
テネシー川流域開発公社(TVA)はフランクリン・ルーズベルト大統領によるニューディールの中心的施策だ。またそれは日本の新産業都市建設や地方創生政策など、地域を対象とした産業政策の典型例でもある。だがその効果については厳密に検証されてこなかった。両教授の論文は「自然実験」といわれる実証研究の手法を用いて政策の効果を検証している。
そもそもテネシー川流域が開発政策の対象に選ばれたのは、低開発であることなど特定の属性を持っていたからだ。そのため政策実施前後での経済の変化を、同地域と政策の対象とならなかった他の地域の間で比較しても、政策の効果を識別できない。そこで両教授は、同様の開発政策の候補とされながら、政治的理由で政策の実施に至らなかった6つの地域を比較対象として計量分析した。
その結果、テネシー川流域では工業の雇用成長率が公共投資実施期間中だけでなく投資終了後も相対的に高いこと、一方で農業の雇用成長率は投資実施期間中には高いが、投資終了後にはむしろ他地域より低くなっていることが分かった。これらの結果は、特定地域に集中的に公共投資を実施する地域開発政策が、集積効果を通じて、工業の成長に持続的なプラス効果を持ち得ることを示すものだ。
またサブリナ・ホーウェル米ニューヨーク大助教授は17年にAERに公刊した論文で、「回帰非連続デザイン」と呼ばれる方法を用いて研究開発補助金の効果を検証している。同氏が取り上げたのは、米エネルギー省が提供する研究開発補助金だ。同省は補助金の支給対象企業を選定する際、企業の申請書に基づき企業をランキングしている。
ランクは連続的に付けられるが、あるランクを境にそれより上の企業は補助金を受け、下の企業は補助金を受けられないという非連続性が生じる。この非連続な区分の上と下で、補助金支給の前後に、特許の数などのイノベーションの成果に関して非連続な差が生じるかどうかを検証するのが「回帰非連続デザイン」だ。分析の結果、補助金の受給は、被引用数で重み付けした特許数、民間のベンチャーキャピタルから出資を受ける可能性などを大幅に引き上げることが分かった。
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これら2つの論文が用いる自然実験と回帰非連続デザインは、因果関係を識別するための実証分析の手法として経済学分野で近年広く用いられている。こうした手法により、産業政策の効果について確固とした実証的根拠が示されている。
またTVAの背景となった地域間の経済格差は今日の日本でも重要な問題だ。30年にわたり低成長を続けている日本経済にとって、イノベーションの加速が喫緊の課題であることは言うまでもない。こうした問題を解決するための手段として、産業政策は有力な選択肢となり得る。
重要なことは、近年の研究は産業政策の効果だけでなく、政策の有効な実施方法についても知見を提供している点だ。ホーウェル氏の論文は、研究開発補助金の効果が年齢の若い企業、新しい産業の企業ほど大きいことを示した。
またフィリップ・アギオン米ハーバード大教授らは中国の企業別データを用いて、産業政策が生産性を引き上げる効果がどのような場合に大きいかを検討している。その結果、一つの産業内の多くの企業を対象とする、あるいは年齢が若く生産性が高い企業を対象とするなど、産業政策が企業間の競争を促進するようにデザインされている場合に、生産性引き上げ効果が大きいことを示した。
産業政策を実施する際には、中間的・事後的な評価に加えて、こうした知見を基に事前に有効な政策実施スキーム(枠組み)をデザインすることが重要だ。
2020年5月29日 日本経済新聞「経済教室」に掲載