2012年12月に第2次安倍政権が発足し、「アベノミクス」と呼ばれる一連の経済政策を開始してから6年以上が経過した。この間の日本経済の状況をマクロの長期的視点から観察しよう(図参照)。
国内総生産(GDP)ギャップとは、実際のGDPと経済の実力に対応する潜在GDPの差を潜在GDPで割った値で、いわば生産要素の稼働率の指標だ。08年のリーマン・ショックで大きくマイナスになったGDPギャップが13年以降、ほぼゼロまで回復していることがわかる。景気対策という点で現政権の政策が成果を上げているといえる。
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一方で、経済成長率はこの間、1~2%で推移している。これは「失われた20年」などと呼ばれる1990年代以来の日本の平均的な成長率水準と同等だ。現政権は一連の経済政策により90年代以来の低成長を脱却することを標榜してきた。しかしこの点については成果が上がっていない。生産要素がほぼフル稼働しているにもかかわらず、成長率が低い状態にとどまっているという事実は、低成長が「不景気」やデフレによるものではなく、構造的な原因によることを示している。
この点は、図で示した潜在成長率の要因分解により確かめられる。潜在成長率は、資本投入量の寄与、労働投入量の寄与、および技術進歩などを反映する全要素生産性(TFP)上昇率に分解される。これによると、第1に13年以降の潜在成長率は、90年代からリーマン・ショックまでの値より低下している。第2にその主な要因の一つは全要素生産性上昇率の低下にある。
全要素生産性上昇率の低下は日本経済にとってとりわけ深刻な問題だ。一般に全要素生産性が上昇しなければ、労働力の伸び率を超える経済成長は持続可能でない。労働力の不足を資本投入の増加で補っても、それに伴い資本の限界生産性が低下するためだ。
しかも日本では人口高齢化により今後労働力がほぼ確実に減少していく。こうした状況を反映し、近年日本で生産性への関心が高まっている。17年末に閣議決定された「新しい経済政策パッケージ」では、18~20年の3年間を「生産性革命・集中投資期間」として日本経済の生産性の底上げを図るとされている。また日本の生産性やイノベーション(技術革新)に関する体系的な研究書や啓発書が相次いで刊行されている。
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日本経済の生産性停滞の原因を理解し、生産性を上昇させるための対策を考える際、2点に注意する必要がある。
第1は前述したようなマクロの全要素生産性の変化の原因は、狭い意味での技術変化だけではないことだ。内外の多くの研究が示すように、産業間、企業間、事業所間などの資源配分の変化によっても全要素生産性は変化する。
産業間の資源再配分の効果については、例えば深尾京司・アジア経済研究所長(一橋大教授)は、2000年代の日本で産業間の資源再配分効果が大きなマイナスだったという結果を報告している。星岳雄・米スタンフォード大教授などの「ゾンビ企業」に関する研究は、90年代以降の日本で、企業の新陳代謝の遅れが企業間の資源配分の変化による生産性上昇を停滞させていることを示唆している。
戦前の日本経済についても大塚啓二郎・神戸大特命教授と園部哲史・政策研究大学院大副学長の研究は、戦前期の日本の全要素生産性上昇の20~50%程度は、産業間の資源再配分によるという結果を報告している。また戦前の主要産業だった綿紡績業の企業レベルのデータを用いた筆者の研究によれば、1914~24年の労働生産性上昇の約半分は、企業の参入・退出を含む広い意味での企業間の資源再配分に起因していた。
第2の注意点として、技術変化がマクロ的な生産性上昇につながるには、関連する様々な投資や社会制度の変化が必要とされることだ。
ロバート・J・ゴードン米ノースウエスタン大教授の近著「アメリカ経済 成長の終焉」は、電気と内燃機関という19世紀後半に生まれた2つの汎用技術が1920年から70年まで続く生産性上昇と経済成長の波を作り出したと指摘している。そのうえで米国人の生活全般を大きく革新したことや、これら汎用技術が成果に結び付くには様々な関連する技術開発や、電力ネットワーク、道路ネットワークなどの補完的な投資が必要だったことを強調している。新技術を起点とした生産性上昇の波は社会変革と表裏一体の関係にあるという見方だ。
この点は日本経済の経験とも合致している。幕末の開港により、様々な近代技術の利用可能性が日本人に一挙に開かれた。重要な点は、それらの技術を活用して生産性を高め、新しい産業を興す際に、並行して進展した社会の仕組みや制度の変革が前提条件を提供したということだ。
明治初年に行われた幕藩制下の諸規制の撤廃により、すべての人がそれぞれの能力を生かして自由に職業、経済活動、住所を選択できるようになった。また人々が経済活動のためにコーディネートされた形で協働する組織として企業や工場が普及した。技術の導入、改良、およびそのための人的資本形成を進める仕組みとして大学が創出された。そして憲法で国家が所有権の保護を確約したことは、人々の経済活動の誘因を確保する意味を持った。
19世紀末に始まった生産性上昇を伴う日本経済の持続的成長は、これらの大規模な社会変革の帰結だといえる。
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これらの点を考慮すると、現政権が掲げる新しい政策パッケージと、それを改訂した「未来投資戦略2018」は、どう評価されるだろうか。
まず情報通信技術の急速な発展に対応したインフラストラクチャーへの投資が強調されているのは妥当といえる。大容量・高速の通信技術を人々が広く利用できるようにすることは、これまでの電力や道路などのインフラと同様、イノベーション創出の基盤として不可欠であり、外部性(影響)が大きい点で政府の役割が期待される分野でもある。労働市場のインフラ整備を通じて人材の適切なマッチングを目指す施策も、資源配分の効率化を通じて生産性上昇に寄与すると考えられる。
しかし重要な点に関する政策の不整合性も指摘できる。近年の米国の経験が示すようにイノベーションにおける大学の役割は大きい。新しい政策パッケージが「高等教育は、国民の知の基盤であり、イノベーションを創出し、国の競争力を高める原動力でもある」と指摘するのはこうした現状を反映したものだろう。
一方で新しい政策パッケージは、高等教育の無償化を実施する際に、支援対象となる大学の要件の第一に「実務経験のある教員による科目の配置」を挙げている。この施策で想定されている大学の役割は実業教育であり、世界のトップスクールと研究の最先端で競争し、それを通じてイノベーションの中核を担う大学の姿と大きく異なっている。
また未来投資戦略2018には、農林水産業振興や観光振興など、民間の資源配分に政府が介入する伝統的な産業政策が盛り込まれている。この点も経済全体の生産性向上という目標との間の整合性が問われるべきだろう。
イノベーションを通じた生産性の上昇は日本にとって極めて重要な課題だ。それだけに、この目的に向けて注意深く合理的で整合的な政策を構成し実行する必要がある。
2019年2月5日 日本経済新聞「経済教室」に掲載