ITの「日本化」で停滞打破

岡崎 哲二
ファカルティフェロー

「バブル崩壊」以来、現在までの日本経済について「失われた20年」という表現が見られるようになっている。しかし、まず指摘しておきたいのは、一口に20年といっても1990年代と2000年代では日本経済の状況がかなり相違するという点である。

このことは表のマクロ経済データからも読み取ることができる。日本の実質国内総生産(GDP)成長率は、80年代の年平均3~4%台から、90年代に0~1%台へ大幅に低下した。一方で90年代に米国経済が2~4%台の成長を持続したことが、日本経済の停滞感・閉塞感をより大きなものとした。

表:実質経済成長率の日米比較
表:実質経済成長率の日米比較

これに対して2000年代前半になると、日本の経済成長率が回復し、特に02~07年に続いた「いざなぎ超え」の長期好況期には2.5%と、米国より若干低いがほぼ同等の成長を達成した。さらに02年以降の日本経済の回復について特筆すべき点は、マイナスの公需寄与度が示すように、それが財政出動に依存することなく実現したことである。

2000年代における経済回復の特徴は、供給面にも認められる。深尾京司・一橋大学教授と宮川努・学習院大学教授の計算によると、実質付加価値成長に対する全要素生産性(TFP)の寄与度は95~00年の年平均0.2%から00~05年には1.3%に上昇し、それによって両期の間の実質付加価値成長率の上昇を説明できる。すなわち、供給面から見ると、2000年代の日本経済の回復はもっぱら生産性上昇によって達成された。

◆◆◆

ただ、2000年代の日本の経済成長率は、差が小さくなったとはいえ依然として米国より低く、絶対的水準でも決して高くないことも事実である。このような成長率の停滞をどのようにとらえたらよいだろうか。

90年代以降の米国の経済成長について、その原動力をIT(情報技術)の普及によるTFP上昇に求める見方が有力である。07年版の「米大統領経済諮問委員会年次報告」は、特に90年代後半以降の米国の成長について、IT資本への投資が流通や金融などの幅広い産業で活発に行われ、それら産業でTFPが大幅に上昇したことを強調している。

他方、日本については、2000年代に入ってもIT資本の投資が米国より小さいこと、またIT投資がTFPを押し上げる効果も小さかったことが、複数の研究で示されている。ITは多くの産業部門における生産プロセスや技術革新(イノベーション)に影響を与える点で、歴史上の蒸気機関や電力と同様に典型的な汎用技術(GPT)である。90年代以降の日本経済の相対的低成長の有力な原因の1つは、ITという新しい汎用技術の導入と普及の遅れにあると見ることができる。

一般に、汎用技術については、それが発明されてから、広く経済に普及し、実際に生産性上昇に結びつくまでに長い時間差がある。この点を経済史の視点から論じたのは、米スタンフォード大学のポール・デービッド教授である。

デービッド教授は、20世紀前半における代表的汎用技術である電力が、どのようにして多くの産業のプロセスを変え、生産性を引き上げたかを検証した。米国では、19世紀末に電力の電灯事業への利用が開始されたが、工場動力の電化は遅れ、電化によって産業の生産性が上昇したのは1920年代以降であった。

この時間差の理由としてデービッド教授は、電化が旧設備の廃棄というコストを伴ったこと、および電化が生産性上昇に結びつくためには工場組織の再設計などの関連するイノベーションが必要とされたことを挙げている。新しい汎用技術が経済・産業の幅広い側面と関連しており、それだけにいったん導入・普及に成功すれば大きな効果が生じる半面、そこに到達するまでに多くの課題を解決しなければならないのである。

◆◆◆

明治以降の日本の経済発展の過程は、汎用技術の導入と普及の過程という側面を持っている。幕末開港直後の日本にとって、西欧で発達した近代的工場組織自体が新しい汎用技術であった。それをいち早く導入して輸出による成長を実現した代表的産業に製糸業(生糸製造業)がある。

中林真幸・東京大学准教授は、日本の製糸業への近代的工場組織の移植過程を分析し、工場組織が定着し高い生産性を発揮するためにいくつかの課題を解決する必要があったことを明らかにした。第1に、製糸業者が製品改良を行う動機を持つためには、市場がどのような製品を求めているか情報を得るとともに、それに基づいて行った製品改良の成果が彼らの利益となる必要がある。この条件の充足を可能にしたのは、製糸業者の共同出荷結社が独自の商標(ブランド)を確立するというイノベーションであった。

第2に、大規模工場を効率的に運営し、高品質の生糸を低コストで生産するために独自の賃金体系が開発された。各労働者の賃金を、各人の製品の品質、物的生産性などの複数の要素に基づいて総合評価し、賃金を決める「等級賃金制」である。こうして日本の製糸業で大規模工場が効率的に稼働するようになったのは20世紀初めであり、1870年に前橋藩が最初の西欧式モデルプラントを設置してから約30年が経過していた。

戦前の製糸業に対応する戦後日本の代表的輸出産業は自動車工業である。そして製糸業が近代的工場組織という汎用技術に基づいていたように、自動車工業は、別の新しい汎用技術を体現している。それは多数の部品から構成される製品を、移動式組み立てラインで大量生産する技術であり、20世紀初めに米フォード・モーター社で確立された。

フォード・システムが日本の自動車工業へ移植される過程については和田一夫・東大教授の詳細な研究がある。和田教授は、フォード・システムが単なる移動式組み立てラインではなく、部品互換性、工場設計、賃金体系などの関連する要素を含む文字通りの「システム」であることを強調している。そのため、日本の自動車工業がフォード・システムを導入するには、これらの要素を実現する必要があり、その課題を試行錯誤を通じて解決していった結果、同じく1つのシステムとして、トヨ夕自動車の「カンバン方式」が生まれたというのである。

日本でフォード・システム導入の試みが始まったのは1930年代であり、「カンバン方式」の確立は60年代前半であった。近代的工場制組織の場合と同様に、フォード・システムの移植にも約30年の期間を要したことになる。

日本経済の発展過程における製糸業と自動車工業の経験は、新しい汎用技術を移植し、それを生産性上昇に結び付けるために、組織を含めて関連するさまざまな分野のイノベーションが必要であることを示している。そしてまた、これらイノベーションの結果、技術が原型とは異なる形で定着し、それが日本の産業の国際競争力の源泉となった。

◆◆◆

ITは近代的工場組織、大量生産技術に匹敵するスケールの汎用技術であり、その一層の利用が今後の日本経済の持続的成長のために必須なことは論をまたない。一方で、過去の経験に照らせば、これまでその普及と生産性向上効果が十分に進んでいないことは、けっして異常でも悲観すべきことでもない。それは、関連分野のイノベーションを伴いながら、日本に固有な形でのITの普及・利用の条件が形成される過程と見ることができる。

現在、政策的に必要なことは、この過程を促進し、少なくとも阻害しないことである。例えば介護・医療は、急速な高齢化の下で、今後需要が拡大する分野であるとともに、ITによる生産性向上の潜在的可能性が大きい分野でもある。しかし、現行の制度の下では、介護・医療施設経営者にとって、新しい技術を導入して生産性を向上させても、それが利益の増加に結びつかないため、新技術導入へのインセンティブが弱い。「成長戦略」を議論する際に真剣に考慮すべき論点である。

2010年8月11日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2010年8月27日掲載

この著者の記事