日銀の異次元緩和の限界は明らかだ。既に日銀は昨年9月下旬、異次元緩和を軌道修正している。短期金利でマイナス金利政策を維持しながら、長期金利を0%に誘導する新しい金融政策の枠組みの導入を決定した。この新たな枠組みは「量」重視から「金利」重視への政策転換を意味する。
そして今、日銀はひそかに異次元緩和を縮小する「ステルス・テーパリング」を進めている。にもかかわらず、長期金利が0.05%程度にとどまっているのは、市場はそれを「忖度」しているためであるという見方もあるが、本当にそれだけの影響だろうか。
そもそも、日銀が「ステルス・テーパリング」を進めているといっても、これまでネットで年間約80兆円(日銀が新たに買い入れる額から償還額を差し引いた、保有残高の増加額)のスピードで日銀が長期国債を買い取っていたものを、いまも年間約50兆円増のスピードで買い取る程度に減速しているだけで、日銀のバランスシートは膨張を続けている。その結果、現時点(2017年8月10日)の日銀のバランスシートは約500兆円、日銀が保有する国債は約430兆円にも達し、市場に一定の警戒感が広がっている。
バランスシートの縮小には、日銀が年間にネットで買い取る長期国債の量を、財政赤字(新規国債発行)の約30兆円未満まで縮小する必要がある。財政赤字の約30兆円を超えて買い取る場合、民間が保有する国債を日銀が吸収し、日銀のバランスシートの膨張は続くため、理論的に異次元緩和は手じまいできない。
現在、日銀は買い取る長期国債をネットで年間約50兆円に縮小しているが、財政亦字の約30兆円を下回っておらず、民間が保有する長期国債の量は減少している。
年間30兆円を切れば金利上昇
このように考えるならば、いま日銀が「ステルス・テーパリング」を実行しているにもかかわらず、長期金利が低い水準に抑制できているという事実は、いわゆる「ストック・ビュー」が妥当な証拠と思われる。
ストック・ビューとは、量的緩和が長期金利に及ぼす影響は、中央銀行が保有する長期国債の量(ストック)に依存するという見方である。すなわち、中央銀行以外の民間部門が保有する国債の量が減少していけば、国債に超過需要が発生し、長期金利には下落圧力がかかるとする考えが背後にある。
これに対し、中央銀行が行う日々のオペ量(フローである長期国債の買い取り量や売却量)が長期金利に影響を与えるという見方を「フロー・ビュー」という。
「ストック・ビュー」が妥当な場合、「ステルス・テーパリング」で長期金利に上昇圧力がかかり始めるのは、日銀がネットで買い取る長期国債が年間で財政赤字(約30兆円)を下回ったときとなる。
しかも、この問題がさらに複雑になるのは、アメリカの連邦準備制度理事会(FRB)が保有資産の縮小に着手することを決め、欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁も今年の秋ごろに量的緩和の縮小を議論すると明言しているという事実である。
マネーが世界を駆け巡るグローバル経済の下では、国外の金利水準と比較して、国内の金利のみを低い水準に抑制するのは極めて難しい。世界的な大規模緩和は転換点を迎えており、アメリカなどの長期金利が上昇していけば、日本の長期金利にも上昇圧力がかかる。
にもかかわらず、日本の長期金利のみを無理に低い水準に抑制しようとすれば、アメリカ等との金利ギャップが拡大し、高い利回りを求めてマネーが国外に流出するため、円安が進行するだろう。そして、円安は最終的に輸入物価の上昇を通じてインフレ率を押し上げ、結局のところ、それは名目の長期金利に上昇圧力をもたらす。すなわち、いずれのシナリオでも、長期金利は徐々に上昇していく。
その時、巨額な債務を抱える日本財政は、債務の利払い費が増加する。現在の対GDP(国内総生産)国債残高は約200%である。債務が約1000兆円もあるものの、国債金利の加重平均が約1%であるから、国債の利払い費は約10兆円で済んでいるが、金利が3〜4%に上昇しただけで30兆〜40兆円に増加する。つまり、利払い費は3〜4倍に膨らむ。
このようなリスクに対応するには、できる限り早急に財政再建を進め、財政亦字を縮小していく必要がある。それが、「ステルス・テーパリング」の先にある金融政策の出口を強化することにもつながる。
この点で参考となるのは、内閣府が今年7月下旬の経済財政諮問会議において公表した「中長期の経済財政に関する試算」の最新版であろう。同試算では、2019年10月に消費税率を10%に引き上げ、「経済再生ケース」と呼ばれる非現実的な高成長を実現しても、20年度の国・地方を合わせた基礎的財政収支(税収等から国債費以外の政策経費を除いたもの)の赤字幅は8.2兆円になる。むしろ、現実的な成長を想定する「ベースラインケース」では、20年度の国と地方を合わせた基礎的財政収支の赤宇幅は10.7兆円と予測しており、これは消費税4%分に相当する。
厳しい財政の姿をみる限り、社会保障の抜本改革を行いながら、19年10月に予定する消費税率の引き上げは必ず実行するのが望ましい。もっとも安倍晋三首相は今回の総選挙で、消費増税の増収分を教育や子育て支援に充てる方針を打ち出したが、19年夏には参議院選挙をあることから、増税判断は別の話となるはずだ。もし2%の増税が一度に難しい場合は、18年度以降、4年連続で1%ずつ増税してはどうか。
インフレは税収伸びず歳出拡大
なお、正攻法の財政再建を行わずとも、高インフレを実現すれば財政は再建できるという主張もあるが、それは誤りだ。
高インフレが財政に及ぼす影響を考察するサンプル事例としては、1974年の「狂乱物価」を参考となる。政府は、狂乱物価を抑制するため、公共事業の抑制や公定歩合の引き上げを含む「総需要抑制政策」を実施し、インフレは沈静化したが、74年の経済成長率は戦後初めてのマイナスを記録した。
では、狂乱物価で財政はどのような影響を受けたか。この影響は、73年度と75年度の予算(国の一般会計)の比較で把握できる(表)。まず、CPI(消費者物価)は72年から74年で約38%も上昇したが、税収は73年度から75年度で約3%しか伸びていない。一方で、歳出のうち公共事業費は名目で前年同額に抑制したものの、社会保障関係費が約86%も伸び、歳出合計(国の一般会計当初予算)は約49%という形で、物価上昇を上回って伸びてしまった。
1973年度 | 1975年度 | 伸び率(%) | |
---|---|---|---|
歳出合計(当初予算)(億円) | 14兆2840 | 21兆2888 | 49 |
うち社会保障関係費(億円) | 2兆1145 | 3兆9269 | 86 |
税収(決算)(億円) | 13兆3656 | 13兆7527 | 3 |
基礎的財政収支(億円) | −1兆813 | −4兆1781 | 286 |
基礎的財政収支(対GDP)(%) | −0.9 | −2.7 | |
国債利払費(億円) | 4422 | 7800 | 76 |
国債残高(対GDP)(%) | 6.5 | 9.8 | |
CPI(消費者物価)上昇率 | (1974年/1972年) | 38 | |
(出所)財務省・内閣府資料 |
その結果、73年度から75年度で、国の一般会計における基礎的財政収支の赤字(対GDP)は0.9%から2.7%に悪化し、国債残高(対GDP)は6.5%から9.8%に上昇してしまう事態を招いた。また、この間、国債利払い費は76%増加したが、その程度で済んだのは、当時の国債残高(対GDP)が6.5%であったからである。すなわち、「打ち出の小づち」は存在せず、痛みを伴わずに財政再建できるという、「魔法」の理論はない。
インフレで利払い費が増加するリスクを回避しつつ、「ステルス・テーパリング」の先にある金融政策の出口を強化し、日銀のバランスシートを縮小するためには、財政再建を進め、新規国債発行量を縮小することが重要である。それが進捗すれば、日銀が買い取る長期国債の量が減少していっても、長期金利の上昇圧力を抑制できるはずである。
異次元緩和の限界が明らかになりつつある中、さまざまなリスクや欧米の動きも念頭に、金融政策の手じまいの準備に向けて、財政再建を進めることが望まれる。
『週刊エコノミスト』2017年10月17日号に掲載